印象派の内部メセナ 画家「カイユボットの家」を訪ねる。
いつかきっと叶えていただきたい次のパリ旅行のために、旅を豊かにするための情報をお届けします。
印象派の画家クロード・モネが暮らしたジヴェルニーの家は、パリからの日帰り旅のデスティネーションとしてとても有名ですが、もっと手近なところにまだあまり知られていない穴場があります。
それはモネやルノワールらととても親しい関係だった印象派の画家ギュスタフ・カイユボットが暮らした家。
パリの南東およそ30キロ、車で1時間弱、郊外電車を使っても1時間ほどで行かれるYerres(イエール)という町の中にあります。
「カイユボットの家」の様子は、こちらの動画からご覧ください。
19世紀のブルジョワの暮らしを再現
ギュスタフ・カイユボット(1848‐1894)が12歳から31歳までヴァカンスを過ごした家は、外観からおわかりのとおりとても立派な邸宅です。印象派の画家というと、若い頃は絵が売れずに経済的にとても苦労したというイメージがありますが、カイユボットの場合は違っていて、とても裕福な家に生まれています。
父親は軍用テキスタイル事業で財を成した人で、ギュスタフはパリの一等地のアパルトマンで生まれ育ちました。ただし、当時のパリはオスマン計画、つまり首都大改造の真っ只中で、街中が工事現場のような状態でしたから、余裕のある人々は郊外や田園に別荘を求めました。カイユボット家が購入した邸宅は、その昔パリきってのスターシェフとして聞こえた人物が所有していた広大な英国式庭園のある屋敷でした。
カイユボットの絵は、当時新しく形作られてゆく都市の風景やブルジョワの暮らしを描いたものが有名ですが、カヌー遊びや草花の絵なども多く、ここでの暮らしが作風に大きく影響していたことがわかります。
持ち主はその後変遷し、1995年には地元イエール市が購入。20年がかりで庭と屋敷とを修復し、カイユボット家の時代に実際に使われていた家具を買い戻したりして復元されています。
「カイユボットの家」を訪ねると、ビリヤード室やアルプスの山小屋風の家、小川、菜園など、彼の絵の風景を追体験しながらブルジョワの暮らしに思いをはせると同時に、豊かな緑を満喫できます。
オルセー美術館の大寄贈者
ところで、オルセー美術館の目玉、印象派作品の多くがカイユボットのコレクションだったことをご存知でしょうか?
ルノワールの「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」、モネの「サン・ラザール駅」、マネの「バルコニー」…。
(え? これも?)というくらい、いまとても高い評価を得ている作品が、カイユボットの所蔵品だったのです。
というのも、カイユボットは、印象派仲間の集まりがカフェであれば、そこの勘定をうけもち、アトリエや展覧会場を借りるのを援助したり、経済面で仲間の画家たちを多いに助けた存在でした。そしてその一連の行動として仲間の作品を買いとっていた、というわけです。
カイユボットは45歳で亡くなっていますが、20代のときに弟が早逝し、そのときからすでに遺言状を作成していたという用意周到さでした。もしものときには蒐集した印象派絵画67作品すべてを国に遺贈し国立美術館の所蔵品とすることを希望していて、その手はずを任されたのがルノワールでした。
ところが、当時の美術アカデミーが印象派作品を国立美術館に入れることに反対したため、国は数年間受け取りを拒否したあげく、ようやくのことで30数点が所蔵品リストに加わることになったのだそうです。いまから思えばなんとももったいない話。もしカイユボットの希望がそのまま叶えられていたら、オルセー美術館の印象派の部屋はもっともっと充実したものになっていたことでしょう。
異色の画家の暮らしぶり、生涯を知ることによって、印象派の作品全体がより興味深いものに思えてくる。「カイユボットの家」は、そんなきっかけをくれる場所です。