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吉田茂が真珠湾を訪問していた証拠 「安倍首相が初めて」は誤報

楊井人文弁護士
ラドフォード米太平洋艦隊司令長官と吉田茂首相(肩書きは1951年当時)

安倍晋三首相は12月26日から米国・ハワイを訪れ、オバマ大統領とともに慰霊のため真珠湾を訪問すると発表した。これを受け、多くの主要メディアが「日本の現職首相が真珠湾を訪れるのは初めて」と報道。一方、読売新聞は1951年9月に吉田茂首相(当時)が真珠湾を訪れていたと指摘し、食い違いが表面化した。日本政府は吉田首相が真珠湾を訪れていたかどうかは確認がとれないとしているが、日本報道検証機構が調査したところ、1951年当時米太平洋艦隊司令長官だったアーサー・W・ラドフォード氏(Arthur W. Radford、1973年死去)が、真珠湾に置かれていた米太平洋艦隊司令部を吉田首相が訪れたときの様子を克明に語り、回顧録に残していたことがわかった。AP通信も当時、吉田首相が真珠湾にラドフォード長官を訪れたと報道していた。【追記あり】

吉田茂は太平洋艦隊司令部を訪れ、真珠湾を見渡していた

吉田首相は平和条約調印のため、1951年9月2日から米国・サンフランシスコを訪問した。向かう途中の8月31日〜9月1日と、帰る途中の9月11〜12日、ハワイに滞在したとされる。

真珠湾に置かれた米太平洋艦隊司令部が入っていた建物。ここを吉田茂首相が訪ねた可能性が高い。
真珠湾に置かれた米太平洋艦隊司令部が入っていた建物。ここを吉田茂首相が訪ねた可能性が高い。

米太平洋艦隊司令部は1941年以来、ハワイ州オアフ島の真珠湾に置かれている地図)。ラドフォード氏の回顧録「真珠湾からベトナムまで」(From Pearl Harbor to Vietnam)には、1951年8月31日にホノルル国際空港に到着した吉田氏ら全権団一行をホテルのパーティーで歓待し、講和会議を目前に控えていたことから無事出発できるよう警備に神経を使っていた様子が記されていた。

その後、平和条約と(旧)日米安全保障条約の署名を終えた吉田氏は、帰国途中で再びハワイに寄った際、太平洋艦隊司令部にラドフォード氏を訪ねたいと申し出、ラドフォード氏は喜んで吉田氏らを執務室に招き入れたという。ラドフォード氏の執務室は日本軍に撃沈された戦艦アリゾナの残骸が見える位置にあった。吉田氏がその執務室に入ると、ラドフォード氏の飼い犬が寄ってきて足元を嗅ぎまわり、吉田氏が抱きかかえたというエピソードが出てくる。

吉田茂首相が真珠湾を訪問していたことを伝えるAP通信記事(1951年9月13日付Arkansas Democrat、AP通信提供)
吉田茂首相が真珠湾を訪問していたことを伝えるAP通信記事(1951年9月13日付Arkansas Democrat、AP通信提供)

後年、ラドフォード夫人との会話の中で吉田氏がこの朝に司令部から真珠湾を見渡したときに決まりの悪い思いをしたと語ったという。ラドフォード夫妻は吉田氏が1964年に死去するまで、娘の麻生和子氏(麻生太郎元首相の母)とともに付き合いを続けていた。(原文は後掲

ラドフォード氏が来歴を回顧してテープに残し、部下だったステファン・ジュリカ・ジュニア氏(Stephen Jurika, Jr)らが書き起こしをまとめ、1980年に出版された。書き起こし全文は「フーヴァー戦争・革命・平和研究所」(米カルフォルニア州)に保存されていると、ジュリカ氏は巻頭で記している。

当時の報道とも一致 すでに訂正したメディアも

読売新聞は当時「吉田さん、真珠湾訪問」との見出しで、1951年9月12日午前中に吉田氏がラドフォード氏らを訪問したと記録し、「ラドフォード中将を真珠湾に訪ねた時は感慨深げだった」と伝えていた(9月13日付夕刊)。

読売新聞1951年9月13日付夕刊
読売新聞1951年9月13日付夕刊

AP通信も同日付記事で、吉田氏が滞在中、真珠湾にラドフォード氏を訪ねたと報道。APによると、同じ日の別の記事で、吉田氏が真珠湾で20分ほど滞在し、ラドフォード氏と写真を撮ったと伝えていた(ただ、このときの写真は見つかっていない)。朝日新聞も、訪問前の記事であるが「吉田全権は十二日午前ロング・ハワイ準州知事、ラドフォード米太平洋艦隊司令長官、オーランド太平洋陸軍司令官に答礼を行うことになっている」と記している(9月13日付朝刊)。

このように当時の3社の新聞記事とラドフォード氏の回顧録は基本的な事実関係が一致していた。吉田氏が訪ねてきた様子をラドフォード氏が語り残した内容も、非常に具体的で迫真性がある。1951年9月12日午前、吉田茂首相が真珠湾に面した太平洋艦隊司令部を訪れたことは事実とみて間違いない。

BuzzFeedは当時の読売新聞の記事などを詳しく紹介し、「現職首相として初めて」の記述を訂正。AP通信も当初、安倍首相が真珠湾を訪問する最初の日本の首相になると伝えていたが、8日付で訂正を出している

吉田茂はハワイで慰霊もしていた

朝日、産経、日経、東京の各紙は12月6日付朝刊の見出しや本文で、日本の首相が真珠湾を訪れるのは初めてと報じていた。共同通信も同様に配信していたが、12月10日朝現在、いずれも訂正は出していない。朝日新聞は9日付朝刊で、読者からの疑問に答える形で、吉田氏が実際に真珠湾を訪れたかは確認がとれておらず「新たな事実関係がわかれば、改めて報じます」と説明した。日本経済新聞編集局読者センターも当機構の質問に対し「新たな事実関係が判明すれば、紙面で適宜対応します」と回答。産経新聞広報部は「個別の記事や編集に関することはお答えできません」と答えるのみで、東京新聞からは回答がなかった。

真珠湾慰霊訪問の発表を伝える東京新聞2016年12月6日付朝刊1面
真珠湾慰霊訪問の発表を伝える東京新聞2016年12月6日付朝刊1面

一方、読売新聞は、初報の段階から吉田首相が真珠湾に「立ち寄ったとの記録が一部に残る」(6日付朝刊)、「51年に吉田首相訪問」(同日付夕刊1面)と指摘していたため、日本の首相が「米大統領とともに真珠湾を訪れるのは初めて」と報じていた。毎日新聞は本文で「日本の首相が真珠湾で犠牲者を慰霊するのは初めて」と記し、NHKも「現職の総理大臣が、真珠湾を訪れて犠牲者を慰霊するのは初めて」と伝えた。

吉田首相は慰霊のため真珠湾を訪れたわけではなかったとみられ(当時、アリゾナ記念館はまだなかった)、こうした表現は間違いとは言えない。ただ、外務省によると、吉田首相はこのとき真珠湾から少し離れた場所にある国立太平洋記念墓地で戦没者の慰霊を行っていた(12月7日報道官会見録追記)。したがって、真珠湾攻撃に関連した犠牲者の慰霊という点では、安倍首相が初めてというわけではない。

もっとも、安倍首相はハワイ訪問を発表した際、日本の首相として初めて真珠湾を訪問するといった発言はしていなかった。「外務省幹部」が記者団に現職首相の訪問は「初めて」と説明したとの一部報道もあるが、実際にどう説明したかは当機構として確認できていない。菅義偉官房長官も8日午後の会見で「アリゾナ記念館において現職の首相が慰霊を行うこと」や「アメリカの大統領とともに真珠湾を訪問すること」は今回初めてと説明したが、1951年に吉田首相が真珠湾を訪れたかどうかは明言していなかった。

【追記】

朝日新聞2016年12月16日付朝刊第2社会面
朝日新聞2016年12月16日付朝刊第2社会面

朝日新聞は12月16日、国際面で「『安倍首相が現職初』の報道 真珠湾、吉田茂首相も 1951年、米公文書に記録」と題し、ワシントン米海軍歴史センターにあるラドフォード米太平洋艦隊司令官(当時)の日報に、1951年9月12日午前10時45分〜同11時に吉田茂首相の表敬訪問を受けた記録があったことや、日本報道検証機構が明らかにしたラドフォード氏の回顧録にそのときのエピソードが紹介されていると報じた。そのうえで、第2社会面で、6日付朝刊1面トップの見出し「現職として初」と本文中の「日本の現職首相が真珠湾を訪れるのは初めて」との記述を削除するとの訂正記事を出した。しかし、産経、日経、東京の各紙や、共同通信は訂正を出さなかった。

菅義偉官房長官も16日午前の記者会見で、「当時の報道等の資料を確認した限りですね、1951年、吉田当時総理はホノルルを訪問して、その際に国立太平洋記念墓地で戦没者の慰霊を行い、また、当時の真珠湾に面した米国太平洋軍司令部を訪問している、このようなことは残っています」と述べ、事実関係を追認した。その上で、アリゾナ記念館への訪問は安倍首相が初めてだと説明した。(2016/12/16 13:50、12/1819:00追記)

【アーサー・W・ラドフォード氏の回顧録より】

With the Governor and others, I met Prime Minister Yoshida and his delegation at the International Airport in Honolulu on the afternoon of 31 August. After brief ceremonies of welcome, the party was escorted to the Royal Hawaiian Hotel, where the top floor of the main wing had been reserved for them. Every contingency we could think of had been provided for except one: what to do if the Prime Minister tried to leave his floor for a walk outside. We did not want him to leave his floor until his departure the next morning and hoped the matter would not come up. If it did, the security officer was to ask the Prime Minister to wait until he could get me on the telephone. I then would have to tell Mr. Yoshida as best I could that we preferred he not go out, and why. Fortunately, the Prime Minister stayed in his suite until the next morning, and there were no untoward incidents in connection with the visit.

ラドフォード元米太平洋艦隊司令長官の回顧録(Amazonより)
ラドフォード元米太平洋艦隊司令長官の回顧録(Amazonより)

On the way back, Mr. Yoshida and his party again stopped overnight in Honolulu. Now he was the head of a friendly government, and we who were responsible for his safety were satisfied with the usual security measures.

The Prime Minister said he would like to call on me at my headquarters, in the large concrete office building built during the war for Admiral Nimitz and his staff. My Office was at one end of the building, on the ground floor. Visitors arrived at a parking area in front of the building, which overlooked Pearl Harbor and particularly Ford Island, around which were battleship berths that had been occupied on 7 December 1941. From my office I could almost see the wreck of Arizona.

米太平洋艦隊司令部が置かれたMakalapa Driveの周辺地図(Googleマップ)
米太平洋艦隊司令部が置かれたMakalapa Driveの周辺地図(Googleマップ)

The Prime Minister with one or two aides arrived promptly and we had very pleasant visit. I had a feeling that he was a little uncomfortable when he arrived but decided later that I was mistaken.

I had a fine little Scottie ー named after a Royal Navy friend, Adm. Sir Rhoderick McGrigor ー who spent every morning with me. "Mackie" was stretched out in front of my desk as Mr. Yoshida entered. As Scotties will, he rose, walked slowly over to the Prime Minister, and allowed himself to be patted while carefully sniffing around his shoes and ankles. This started a dog conversation that took up most of the visit. I found that my guest was a great dog fancier and had raised Scotties of his own.

Years later, in a conversation with Mrs. Radford, the Prime Minister told how embarrassed he had felt on arriving at my headquarters that morning to find himself overlooking Pearl Harbor. The civilian driver who had brought him also seemed determined to give him a detailed description of what had happened on that fateful December day. Mr. Yoshida said that he was very much upset as he walked into my office and was so glad that my dog enabled him to start a conversation which took him his mind off Pearl Harbor.

(出所)From Pearl Harbor to Vietnam: The memoirs of Admiral Arthur W. Radford、Edited by Stephen Jurika, Jr., Hoover Institute Press, 1980, p.263〜264より。太字部分は引用者。

(*) 米太平洋艦隊司令部の地図(Googleマップ)を追記しました。(2016/12/11 08:00)

弁護士

慶應義塾大学卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHoo運営(2019年解散)。2017年からファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年『ファクトチェックとは何か』出版(共著、尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー受賞)。2022年、衆議院憲法審査会に参考人として出席。2023年、Yahoo!ニュース個人10周年オーサースピリット賞受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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