「家電や車じゃなくて食べ物の下取り?」幸せは缶の中に ふわふわで香りがよくしっとりした手触りのパン
「下取り」と聞くと、白物家電や自動車などを思い浮かべるだろう。ところが、食べ物の「下取り」システムを作り上げた人がいる。それが栃木県那須塩原市のパン製造会社、パン・アキモトの社長、秋元義彦(よしひこ)さんだ。すぐ食べるパンや、パンの缶詰を作っている。
阪神大震災で支援食として送ったパンの半分以上が廃棄に
もともと、秋元さんのところでは、パンの缶詰は製造していなかった。パンの缶詰を作るきっかけとなったのは、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災だった。自社の1.5トントラックに焼きたてのパン2,000食を載せ、出発した。クリスチャンの秋元さんには各地に知り合いの牧師がおり、彼らがリレー式で神戸の教会まで運んだ。ところが、被災地のスタッフが「あとから来る人のために」と取っておいたパンは、数日でカビが生え、結局は半分以上が食品ロス(フードロス)として廃棄されてしまった。
後日、神戸の教会関係者から「乾パンは硬すぎて、年配の人や小さい子は食べられない」「保存がきくやわらかいパンを作って欲しい」との要望が届いた。気が遠くなるような何度もの失敗を重ね、翌年1996年の春にパンの缶詰を発売することができた。
神奈川県の市役所から「備蓄のパンの缶詰、古いの引き取って処分してください」
ある時、神奈川県のある市役所から電話が入った。「備蓄用のパンの缶詰、賞味期限が近づいたので、新しいものに入れ替えます。古いものは引き取って処分してもらえませんか」
秋元さんは、市民や職員に配ればいいじゃないですか、と伝えた。すると担当者は「期限はギリギリだし、税金で購入したものだから誰かが食べるわけにはいかない」と答えたという。
あるアンケート調査によれば、賞味期限が切れる前の直前の備蓄食をもらっても、8〜9割の人は捨てているそうだ。
もともと秋元さんは、缶詰1缶につき1円を、世界の飢餓地域に寄付する取り組みを続けていた。その取り組みを助けてきたのが「ハンガーゼロ(日本国際飢餓対策機構)」だ。
2005年、秋元さんと、ハンガーゼロの理事長の清家弘久(せいけ・ひろひさ)さんが出会い、話し合いを重ね、次のような「下取り」システムが出来上がった。
パン・アキモトのパンの缶詰の賞味期間が3年1ヶ月。それまでは、賞味期間が終了する手前で、購買者に連絡し、次の注文を受け付けていた。それを1年前倒しにし、賞味期間が終わる1年前(購入から2年)で連絡し、次も購入してくれるところで下取り(回収)を承諾してくれた人のものは回収する。その場合、回収する個数に応じて新しく買うものは値引きされる。回収されたら、ハンガーゼロを通して、コンテナなどで飢餓地域などに運ばれる、というものだ。
BtoB(法人)のみならず、BtoC(個人)にはヤマトグループが対応
前述の仕組みは、主に大口顧客である法人向けだ。これが個人となると、扱う単位が小さいので、手間やコストが膨大だ。秋元さんは、ヤマトフィナンシャルの森川秀明さんに相談した。その結果、顧客が着払いで保管していたパンの缶詰を送り、ヤマトの宅急便センターからハンガーゼロを通して飢餓地域や戦闘地域などに送るシステムが出来上がったのだ。
2011年3月11日の東日本大震災では、あわや倒産の危機に
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、パン・アキモトの本社の壁にヒビが入った。資金繰りも悪く、秋元さんは、倒産を覚悟していた。だが、そんな中、秋元さんは、パンの缶詰をトラックに載せ、東北の被災地へ向かい、現地で配り、簡単な調理で食料を提供していた。その様子がテレビ東京系列の『ガイアの夜明け』で放映された。被災地で、年配の女性がパン・アキモトのパンの缶詰を、涙を流しながら食べていた。
放映翌日からパン・アキモトには注文が殺到した。国内外から寄付金が2000万円も集まったそうだ。
金城学院中学校・高等学校や上智大学、ディノス・セシールなどで備蓄として活用
パン・アキモトのパンの缶詰は、全国の組織でも採用されている。
愛知県名古屋市の金城学院中学校・高等学校では、寄付用のパンの缶詰「救缶鳥(きゅうかんちょう)」に、生徒たちが手書きのメッセージを書く。
その中で、秋元さんの印象に残っているのは
" Happiness is in a can." (幸せは缶の中に)
という言葉だそうだ。
スワジランドへは北越コーポレーション株式会社が運ぶ
前述のハンガーゼロは、大阪港から世界各地にパンの缶詰を運んでいる。
2014年から始まったのが、アフリカ南部にあるスワジランドへの運搬だ。これを手がけたのが、北越コーポレーション株式会社という、製紙会社だ。木材チップ担当部長の荒井芳晴(よしはる)さんがキーパーソンとなり、大役を果たしている。
「心を満たすパン屋になりたい」
筆者が初めてパン・アキモトのことを知ったのは、日本初のフードバンクであるセカンドハーベスト・ジャパンの広報を担当していた時だった。2013年か2014年ごろ、東京都港区が主催し、災害食や備蓄食に関するセミナーが開催された。そこで、キユーピーの社員とともに、パン・アキモトの社員の方が登壇されていた。以前から、名前だけは知っていたが、初めて詳しく商品や活動の話を伺った。
その後、2017年、パン・アキモトの社長の長男である信彦さんや社員の鈴木さんにお会いし、社長の義彦さんにも直接取材させて頂いて、記事を書いた。
「9・9・9」(スリーナイン)に始めた 9(救)缶鳥プロジェクト(2017年9月9日)
パン・アキモトの救缶鳥プロジェクトは、第5回グッドライフアワードで環境大臣賞最優秀賞を受賞され、2018年3月1日には社長の秋元さんが登壇されての講演があり、それも聴きに行った。
サステナブル・ブランド国際会議で第5回グッドライフアワード環境大臣賞最優秀賞受賞の救缶鳥プロジェクト(2018年3月1日)
今回、再び記事を書こうと思ったのは、菅聖子さんの著書である『小さなパン屋が社会を変える 世界にはばたくパンの缶詰』(ウェッジ発行)を読んだからだ。パン・アキモトの取り組みについては、5年前からある程度は知っているつもりだった。だが、さまざまな人を追っかけ、丁寧に取材をして書かれた菅さんの著書を拝読し、秋元さんがお話しになられなかった紆余曲折や思いの強さを改めて知ることができた。
本の帯には「心を満たすパン屋になりたい。食べることで幸せを感じてほしい」と書かれている。幸せのために働く企業こそ、社会に貢献する本物の企業だと思う。
参考資料:『小さなパン屋が社会を変える 世界にはばたくパンの缶詰』菅聖子著(ウェッジ発行)