「フェイクニュース対策委」がわずか3週間でとん挫、炎上騒動のわけとは?
「フェイクニュース対策委員会」がわずか3週間でとん挫した。その炎上騒動のわけとは――。
米国で、4月下旬に公表したばかりの政府のフェイクニュース(偽情報)対策委員会が、わずか3週間で閉鎖に追い込まれる事態となった。
米国は、2016年の大統領選がロシアの標的となった、フェイクニュースによる情報戦の代表的な舞台だ。だが、ウクライナ侵攻に加えて、秋の中間選挙を控え、政府がフェイクニュース対策に本腰を入れようとした矢先に、その調整を担う政府機関が炎上、活動停止となってしまったのだ。
欧州連合(EU)ではフェイクニュース対策を強化するプラットフォーム規制法「デジタルサービス法」が議会を通過したばかり。フランスなどで専門部署の創設も相次ぐ。
そんな中、問題の震源地の一つでもある米国で、対策が頓挫した背景とは?
●「殺伐とした状況」
「偽情報ガバナンス委員会」のトップとして発表され、公に発言する機会もないままに辞任することとなったニーナ・ヤンコウィッツ氏は、7月6日付のニューヨーク・タイムズの記事の中で、そう述べている。
同委員会の設置が公表されたのが4月27日。それからわずか3週間後の5月18日に、委員会の一時停止と、ヤンコウィッツ氏の辞任にいたる。
まずポリティコが4月27日朝、国土安全保障省が新たに設置する「偽情報ガバナンス委員会」のトップに、偽情報を含むロシアの情報戦略を専門とする米ウッドロウ・ウイルソン・センターの元研究者で、ペトロ・ポロシェンコ政権下でウクライナ政府のアドバイザーも務めたヤンコウィッツ氏が就任する、と報じる。
その後、ヤンコウィッツ氏本人も、就任を認めるツイートをしている。
また同日、国土安全保障省長官、アレハンドロ・マヨルカス氏が下院歳出委員会の予算聴聞会で、「偽情報ガバナンス委員会」の新設を明らかにしている。「目標は、(同省の)リソースを結集して(偽情報の)脅威に対処することだ」と述べた。
●「真理省」の非難
「偽情報ガバナンス委員会」設置は、たちまち保守派からの批判の声を呼び起こす。
保守派のインフルエンサーらが、すぐさまつけたキーワードが「真理省」だ。ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』に登場する、歴史を思うままに改竄する組織だ。
さらには「偽情報ガバナンス委員会(Disinformation Governance Board)」の略称が「DGB」となり、旧ソ連の「KGB(国家保安委員会)」と1字違いだとの指摘まで出る。
これらのキーワードとともに「偽情報ガバナンス委員会」批判は一気に高まり、共和党上院議員らも次々に声を上げる。
「偽情報ガバナンス委員会」の設置が明らかになったのは、テスラCEOのイーロン・マスク氏が「表現の自由」の確保を掲げてツイッターの買収に合意した2日後、というタイミングでもあった。
マスク氏は、「偽情報ガバナンス委員会」設置について、「これはめちゃくちゃだ」とツイートしている。
ヤンコウィッツ氏が偽情報の専門家であると同時に、これまで前大統領のドナルド・トランプ氏批判をツイッターなどで行ってきたという旗色鮮明さも、保守派の標的となる。
ヤンコウィッツ氏はニューヨーク・タイムズのインタビューに、そう述べている。
だが、批判はリベラル派の人権団体などからもわき上がる。
民主主義擁護団体「プロテクト・デモクラシー」、デジタル人権団体「電子フロンティア財団(EFF)」とコロンビア大学「ファーストアメンドメント(憲法修正第1条)研究所」の3団体は、5月3日付で国土安全保障省長官のマヨルカス氏宛てに送った公開書簡で、そう述べている。
公開書簡では、米国憲法修正第1条が表現の自由の制限を禁じていることや、同省が人権侵害やそれに対する説明責任欠如という指摘を受けてきており、極めて信頼度の低い組織である、などと指摘。
その上で、政権交代によって「偽情報ガバナンス委員会」が悪用される危険性についても警告し、再考を求めた。
●曖昧な役割と個人攻撃
「偽情報ガバナンス委員会」が迷走した原因の一つは、組織の役割の曖昧さだった。
人権団体の公開書簡も指摘するように、フェイクニュース対策は「表現の自由」「検閲の禁止」と衝突する問題でありながら、「偽情報ガバナンス委員会」の役割と範囲が、明確に説明されていなかった。
国土安全保障省は、「偽情報ガバナンス委員会」設置表明の翌週、5月2日になって「ファクトシート」を公表した。
その中で、同委員会が「ロシア、中国、イラン」などの偽情報対策に焦点を当てた、政府内の調整を担うワーキンググループである、などと説明し、「このワーキンググループ、その役割と活動内容について混乱があった」と認めた。
さらに、議会に対して同委員会についての四半期ごとの報告を行って透明性を担保することや、超党派の国家安全保障諮問会議(HSAC)に、フェイクニュース対策と表現の自由の保障との兼ね合いなどについての勧告を求める、とした。
だがこの間に、趨勢はほぼ決していた。
そして同委員会をめぐる保守派の批判は、ヤンコウィッツ氏への個人攻撃に集中。ネット上での女性への誹謗中傷についての著書もあるヤンコウィッツ氏自身がその被害者となり、殺害の脅迫まで受けていた、という。
結局、国土安全保障省は「偽情報ガバナンス委員会」設置公表からちょうど3週間後の5月18日、同委員会の再検討をするためだとして、75日間の「活動停止」を表明。同日付で、ヤンコウィッツ氏は辞任する。
●情報戦対策の動き
ロシアや中国による、フェイクニュースを含めた情報戦の脅威への危機感を持つのは、米国のバイデン政権だけではない。
最も積極的な取り組みを進めてきたのは、EUだ。
欧州議会は7月5日、フェイクニュース対策を主眼としたプラットフォーム規制のための「デジタルサービス法」を最終的に採択した。
EUはすでに2015年、対外行動庁(EEAS)に東欧戦略コミュニケーションタスクフォース(ESCTF)を設置し、そのプロジェクトとしてロシア発のフェイクニュースのモニタリングとデータベース化を担う「EUvsディスインフォ」を運営。
さらに2017年にはフィンランドとEU、NATO加盟国により、ヘルシンキに研究研修機関として欧州ハイブリッド脅威対策センター(Hybrid CoE)を設置している。
またフランスは2021年、国防・国家安全保障事務総局に外国の情報戦のモニタリングを担う「外国からのデジタル介入に対する警戒と防護局(Viginum)」を設置した。
スウェーデンも2022年1月1日、司法省に偽情報のモニタリングなどを担う心理防衛庁を設置している。
そして英国は同年2月初め、ロシアの偽情報に対抗する政府横断(外務省、内閣府、国防省、内務省、文化・メディア・スポーツ省)の政府情報室を設置したという。
ウクライナ侵攻が続く中で、特に欧州での危機感は高まっている。
●情報戦の実例
ヤンコウィッツ氏は辞任後の5月21日、NPRのインタビューにこう述べている。
情報戦の脅威に、もっとも脆弱なのが社会の分断だ。
皮肉なことに、ロシアの情報戦略を熟知したヤンコウィッツ氏自身が、「真理省」のキーワードとともに党派的な情報戦の渦中に巻き込まれ、挫折した。
ヤンコウィッツ氏は、専門家としてそう総括している。
(※2022年7月8日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)