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能登の水をつなげ! 給水ボランティア活動中 いまだ断水の珠洲で「助かる」の声受け年末年始も

関口威人ジャーナリスト
2週間にわたって給水ボランティアに参加した本間潔さん=12月22日、加藤直人撮影

2台の給水車を毎日誰かが運転

 12月22日、午前8時前。石川県珠洲市折戸町にある宿泊施設「木ノ浦ビレッジ」の駐車場に男女4人が集合した。

 「今日は雪ですから、早めに回りましょう」

 この日のリーダー役の本間潔さん(50)が3人に声をかけた。そして早速2人1組となり、給水タンクを積んだトラック2台に分かれて駐車場を出発。冷たい粉雪が舞う中、給水ボランティアの活動がスタートした。

 本間さんは東京在住で、普段は建設業を営む。4月に初めて能登の農作業ボランティアに参加。以来、災害ボランティア仲間のLINEグループに加わり、今回の給水ボランティアの呼び掛けを知った。

 まとまった休みが取れるのは12月12日からの2週間。9月下旬の豪雨から既に3カ月近くが経っている。「本当にまだ水が来てないのかなと思って現地に着いたら、本当に来ていなかった」。驚きと使命感がわいたという。

1トンの給水用タンクを2つ積んだトラックで出発=12月22日、筆者撮影
1トンの給水用タンクを2つ積んだトラックで出発=12月22日、筆者撮影

2人1組で各戸に設置したタンクに給水

 本間さん自身、トラックの運転はもちろん慣れているが、今回は1トン(1000リットル)の給水用タンクを2つ荷台に積む。

 「たっぷんたっぷんと揺れる感覚が、運転していても伝わりますよ」と苦笑いしながら慎重にハンドルを握っていた。

 助手席に座る今回のペアは、横浜市から来た山本智之さん。30軒ほどの給水先リストの紙を手に、ルートなどをチェックする。この日は既に水道が開通していたり、水が足りていたりするところを除き、十数軒を回る予定だという。

 給水先の民家に着くと、軒先などにあるタンクの状態を確認し、山本さんがトラックの荷台からホースを伸ばしてタンクにつなげる。本間さんは荷台のそばに立ち、息を合わせて電動ポンプを作動し、一気に水を送り込む。

 給水の量は各戸によってまちまちだが、「晴れた日は皆さん洗濯をいっぱいするから、翌日はタンクの水がかなり減っています。今日はそれほど減っていない家が多そうです」と山本さん。数分で水が満タンになったのを確認すると、本間さんに「ストップ!」と伝えて手際よくキャップを締めた。

 

本間さんとペアで給水作業にあたる山本智之さん=12月22日、加藤直人撮影
本間さんとペアで給水作業にあたる山本智之さん=12月22日、加藤直人撮影

山側にポツンと一軒、水の来ない家にも

 給水に回るのは、主に珠洲市の大谷地区。地震と豪雨による水道施設の損壊が激しく、復旧が遅れている外浦側のエリアだ。海沿いにまとまって並んでいる集落の家々もあれば、山側へ数分、車を走らせてたどり着く家もある。

 馬緤(まつなぎ)町の中平よう子さん(81)宅は、そんな山側の家の一軒。海抜の低いエリアでは通水しているが、それより上の集落9軒が共有していた受水槽がまだ復旧していないという。そのうち5軒は地震の被害で解体され、3軒は空き家となっており、水道が来ていないのは実質、中平さんの家だけとなっている。

 中平さん宅も母屋は解体の予定で、残った納屋を改修して風呂や炊事場を設置。その軒先にタンクが設置され、ボランティアが毎日水を注ぎに来てくれるようになった。

 「飲料水は福祉の人がペットボトルで持ってきてくれ、移動スーパーも来てくれる。それにあのタンクの水でお風呂に入ってと言ってもらえる。何不自由なく暮らせて、助かります」と中平さんは顔をほころばせる。

給水ボランティアの活動に「助かります」と話す中平よう子さん=12月22日、加藤直人撮影
給水ボランティアの活動に「助かります」と話す中平よう子さん=12月22日、加藤直人撮影

給水活動が住民の“見守り”の役目も

 元日の地震直後は地域が孤立し、夫の正已さん(当時84歳)と1週間、車中泊をして過ごした。

 自衛隊に助け出されて珠洲市中心部の長女の家に移れたが、正已さんは持病の前立腺がんを悪化させ、2月に帰らぬ人となった。

 4月には地域の自主避難所に移りながら自宅を片付け、納屋暮らしが落ち着き始めた矢先の豪雨だった。それでも、この地域に残りたいという。

 「おとうさんがいなくても、誰かが来てくれるから寂しくはない。春になれば、赤いキリシマツツジの花が咲くのが楽しみ」

 そんな中平さんの様子は、息子の知博さん(55)が金沢から通って確認する。加えて、給水ボランティアが“見守り”の役目も果たしている。タンクの水の減り方を記録・報告・共有しながら、長期間留守にするという連絡がないのに水が減っていない家庭は、念のため住民の安否を確認するようマニュアル化されているのだ。

給水ボランティアの主な活動エリア(12月22日の取材時点、筆者作成)
給水ボランティアの主な活動エリア(12月22日の取材時点、筆者作成)

 この日、本間さんたちの給水は順調に進み、途中で別チームの4トン車から水を補給する「瀬取り」をした後、清水町や大谷町などでさらに数軒を巡回。大谷峠を越え、内浦側に回って鉢ヶ崎地区の旧温泉施設近くにある水補充ポイントで翌日のためにタンクを満タンにし、元の駐車場に戻って午前中には作業終了となった。

 本間さんは「マニュアルはあるけれど、やはり現場で勝手が分かっていないとスムーズにはいかない。あるていど長く残れる人たちが、うまく引き継いでいければいいのでしょうね」と話していた。

手前の4トンの給水車から水を補充する「瀬取り」=12月22日、加藤直人撮影
手前の4トンの給水車から水を補充する「瀬取り」=12月22日、加藤直人撮影

個人の実感から始まった共助の仕組み作り

 この活動は、医薬品製造販売会社「アステナホールディングス」取締役の岩城慶太郎さんが、豪雨被災後に呼び掛けて始まった。

 岩城さんは東京生まれで創業家の4代目社長を務めていたが、3年前に本社機能の一部を珠洲市に移転させ、自らも移住。地方でのビジネスと社会課題解決の可能性を探っていた。

 今年1月の地震後は被災者の二次避難先の確保やバスのチャーターなど、行政と連携しながら民間として最大限の支援に奔走。4月には復興に取り組む一般社団法人「能登乃國百年之計(のとのくにひゃくねんのけい)」(林俊伍・代表理事)も立ち上げた。

 9月の豪雨では自宅のある地区も断水となり、山水を2リットルのペットボトルに入れて冷たいままシャワー代わりに使った。

 同時にSNSなどで支援や協力を呼び掛け、給水車やタンクの提供も受けて1週間後には大谷地区などの4カ所に給水スポットを開設。自身も軽トラで自宅に水タンクを運び、トイレやシャワーが使えるようになって「この便利さを他の住民にお裾分けしたい」と強く思った。

 そしてさらにタンクを集めるとともに、個人宅への設置を進め、毎日給水して回るボランティアも募集。やがてネットの日程調整ツールでシフト表を組み、木ノ浦ビレッジにボランティアが宿泊する仕組みも確立された。宿泊料は岩城さん側が負担しているという。

活動を呼び掛けた一般社団法人「能登乃國百年之計」の岩城慶太郎さん=今年4月、名古屋市内で筆者撮影
活動を呼び掛けた一般社団法人「能登乃國百年之計」の岩城慶太郎さん=今年4月、名古屋市内で筆者撮影

 岩城さんは「幸いなことに給水車を貸してくださる方が現れ、たくさんのボランティアが力を貸してくれて、心より感謝している」とした上で、「年末年始、私たちが水を運んでいる家には、もしかしたらご家族が帰省して来られるかもしれません。そんな皆さんに、普段通りに水が使える生活をしていただきたくて、私たちは誰に頼まれるわけでもなく水を運び続けます」とコメントする。

 ただ、珠洲市には活動の報告をしているが、行政との役割分担や民間のやる意義などについては「悩みながらのところがある」という。

 珠洲市によれば、12月24日時点の市内の上水道の通水率は93.6%。現状ではまだ復旧時期の見通せない地域があり、環境建設課上下水道係の担当者は「民間として給水活動をしていただけるのは大変ありがたい」と話す。

 活動は年明け以降も継続するが、1月後半からは毎週水曜日と週末の実施にする予定だという。

 詳しくは岩城さんのFacebookやXなどで。

※上記は12月28日時点の呼び掛けです。最新の状況をよくお確かめください

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。東日本大震災発生前後の4年間は災害救援NPOの非常勤スタッフを経験。2012年からは環境専門紙の編集長を10年間務めた。2018年に名古屋エリアのライターやカメラマン、編集者らと一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」を立ち上げて代表理事に就任。

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