Yahoo!ニュース

ISがモクスクワテロの犯行声明を出してもプーチンが「ウクライナ犯行説」にこだわる3つの理由

六辻彰二国際政治学者
モスクワでのテロ事件後、関係者に指示するプーチン大統領(2024.3.23)(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
  •  モスクワでのテロでIS-Kが犯行声明を出しており、アメリカ政府もロシア政府に事前にテロを警告していたといわれる。
  • ところが、ロシア政府は証拠も示さないまま「ウクライナの関与」を示唆している。
  • 「真犯人は別にいる」と言わんばかりの主張をあえて行ったことには3つの理由が考えられるが、それらいずれもがプーチン政権の自己保身をうかがわせる。

「犯人はウクライナに向かった」

 3月22日にモスクワ郊外のコンサートホールで発生し、130人以上が殺害されたたテロ事件について、過激派組織「ホラサンのイスラーム国」(IS-K)が犯行声明を出した。

 IS-Kはアフガニスタンを拠点とするテロ組織だが、2021年以降は周辺国での活動を活発化させている。

モスクワ郊外のコンサートホールで発生したテロ事件で現場に駆けつけた治安部隊の隊員(2024.3.22)。この事件では130人以上の死亡が確認され、IS-Kが犯行声明を出した。
モスクワ郊外のコンサートホールで発生したテロ事件で現場に駆けつけた治安部隊の隊員(2024.3.22)。この事件では130人以上の死亡が確認され、IS-Kが犯行声明を出した。提供:Sergei Vedyashkin/Moscow News Agency/ロイター/アフロ

 アメリカ政府だけでなく、テロ専門家の間でもIS-Kによる犯行という見方が支配的だ。

 ところがロシア政府は「ウクライナの関与」を主張している。

 プーチン大統領は3月23日、ビデオメッセージで「実行犯のうち4人を拘束した」と発表した上で「彼らはウクライナに逃れようとしていたようだ」とも述べた。

 プーチンは具体的な内容には触れなかった。

 ウクライナ政府は当初から関与を否定している。

 IS-Kが犯行を主張しているのに、なぜロシア政府は証拠も示さないまま「ウクライナの関与」を強調するのか。そこには主に3つの理由が考えられる。

①国内向けの責任回避

 第一に、ロシア国民に向けて「プーチン政権の失敗ではない」と強調するためだ。

 報道によると、アメリカ政府は事前にロシア政府にIS―Kのテロを警告していた。とすると、「プーチン政権の怠慢がテロの犠牲者を増やした」となりかねない。

 プーチンは3月15-17日に実施された大統領選挙で再選を果たしたばかりだ。

 しかし、この選挙は有力ライバルが投獄されたり、言論統制が行われたりしているなかで実施された。そのためロシア国内でさえ選挙日に若年層を中心とする抗議デモが各地で発生するなど、正当性に疑問が大きい選挙になった。

 それを強行したプーチン政権は、治安維持や経済成長のパフォーマンスをあげなければ立場がない。

 つまり「事前に警告されていたのに首都で多数の犠牲者を出すテロを防げなかった」となれば政権へのダメージが計り知れないからこそ、たとえ強引な主張であっても「アメリカの警告が正しかったわけではないし、政府の怠慢でもない」ことにしなければならないといえる。

②国際的なイメージ戦略

 第二に、プーチン政権は外交的にも、「ロシアが国外のイスラーム過激派から狙われた」ことを否定しなければならない立場にある。

 これまでロシアは国内のチェチェンなどでイスラーム過激派を苛烈な攻撃で鎮圧してきたが、これはイスラーム世界全体からするとマイナーな問題であり続けた。

 最晩年のオサマ・ビン・ラディン(2011.5.7)。1998年に発出した「グローバル・ジハード宣言」では「アメリカとその同盟国の犯罪行為への報復」が叫ばれ、欧米に批判的なムスリムに同調者を増やした。
最晩年のオサマ・ビン・ラディン(2011.5.7)。1998年に発出した「グローバル・ジハード宣言」では「アメリカとその同盟国の犯罪行為への報復」が叫ばれ、欧米に批判的なムスリムに同調者を増やした。写真:ロイター/アフロ

 むしろ、アルカイダやISなど国際的なイスラーム過激派組織の主な標的はアメリカをはじめ欧米各国だった。

 その背景には、パレスチナ問題でアメリカが一貫してイスラエルを支援してきたことに加えて、湾岸戦争(1991年)やイラク侵攻(2003年)などがイスラーム世界全体で反米感情を醸成してきたことがある。

 また、近年では「表現の自由」との関連でフランスがとりわけ反感の対象にもなりやすく、それに比例してテロも頻発している。

 つまり、イスラーム過激派はもともとイスラーム世界に広がっていた反欧米感情を勢力拡大に利用してきたわけで、イスラーム過激派が登場して初めて反欧米感情が生まれたわけではない。

 だからこそ、イスラーム過激派がアメリカやその同盟国を標的にテロ攻撃をすることは、欧米と対立するロシアにとって、「中東における欧米の不当な行い」を非難する理由づけにもなってきた。

コンサートホールテロ事件の実行犯として逮捕されモスクワの地方裁判所に連行されるDalerdzhon Mirzoyev容疑者(2024.3.24)。ロシア政府は「ウクライナの関与」を示唆している。
コンサートホールテロ事件の実行犯として逮捕されモスクワの地方裁判所に連行されるDalerdzhon Mirzoyev容疑者(2024.3.24)。ロシア政府は「ウクライナの関与」を示唆している。写真:ロイター/アフロ

 ところが、モスクワのコンサートホールを襲撃したIS-Kはアメリカよりむしろロシアを敵視する。

 IS-Kはチェチェンや中央アジアなど、もともとロシアに批判的なムスリムが多い地域に勢力を広げるため、「ロシアこそイスラーム弾圧の中心」といったメッセージを頻繁に発信してきた。

 IS-Kは今回の事件で一躍世界にその名を轟かせたが、その結果IS-Kの反ロシア的メッセージも広く知られることになった。

 ところで現在のロシアは欧米との対抗上、グローバルサウスへのアプローチを強化しているが、そのなかには中東などムスリムの多い地域も含まれる。

サウジアラビアを訪問し、最高権力者ムハンマド・ビン・サルマン皇太子と握手するプーチン大統領(2023.12.6)。グローバル・サウスの囲い込みに力を入れるロシアは中東へのアプローチも強めている。
サウジアラビアを訪問し、最高権力者ムハンマド・ビン・サルマン皇太子と握手するプーチン大統領(2023.12.6)。グローバル・サウスの囲い込みに力を入れるロシアは中東へのアプローチも強めている。写真:ロイター/アフロ

 この状況で「国外のイスラーム過激派から標的にされている」ことは、「イスラーム世界に反ロシア感情が広がっている」という認知にもなる。それが進めばグローバル・サウスで「ロシアもアメリカと同じ」という論調が支配的になりかねず、国際的な足場を固めたいロシア政府にとっては外交的な損失になる。

 だとすれば、「真犯人は他にいる」というストーリーが必要で、そこで最も適当なのがウクライナということになる。

③「アメリカ黒幕説」の煽動

 そして最後に、①、②と重複するところもあるが、欧米のイメージダウンのため情報を撹乱することだ。

プーチン大統領(2024.3.20)。2016年のアメリカ大統領選挙をはじめ、ロシアには国際的なフェイクニュース拡散に関わってきた疑念が持たれている。
プーチン大統領(2024.3.20)。2016年のアメリカ大統領選挙をはじめ、ロシアには国際的なフェイクニュース拡散に関わってきた疑念が持たれている。写真:ロイター/アフロ

 「ウクライナの関与」の示唆により、ロシア政府は「IS-Kのテロに関するアメリカの事前警告」を暗に否定したことになる。

 それを発展させると、「アメリカは事前警告をしなかったのに、後になって“警告した”といっている」というストーリーになりやすい。

 それをさらに発展させれば、「なぜならアメリカ自身がテロに関わっていたからだ」という陰謀論にもなる。

 この主張は一見すれば荒唐無稽だが、「実際IS-Kが犯行声明を出した大きなテロは、アフガニスタンを除けば、ロシアやイランなどアメリカと敵対する国ばかりじゃないか」という論理で正当化されることが想像される。

イラン南東部ケルマンで発生した爆破テロ事件(2024.1.3)。IS-Kが犯行声明を出したこの事件は、2020年に死亡したイラン革命防衛隊ソレイマニ司令官の追悼式の最中に発生した。
イラン南東部ケルマンで発生した爆破テロ事件(2024.1.3)。IS-Kが犯行声明を出したこの事件は、2020年に死亡したイラン革命防衛隊ソレイマニ司令官の追悼式の最中に発生した。写真:ロイター/アフロ

 イランは長年アメリカと敵対してきたが、南東部ケルマンで今年初旬、100人以上が殺害される爆破テロが発生し、IS-Kが犯行声明を出した。この際も、アメリカは敵対するイラン政府に対して事前に警告していたといわれる。

 しかもこの爆破テロは、2020年にアメリカのドローン攻撃で殺害されたイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官の追悼式の最中に発生した。これも「アメリカ黒幕説」を言いたい人には格好の材料になるだろう。

 つまり、アメリカの言い分を暗に否定することは、欧米のイメージを悪化させる陰謀論を広げる効果があるといえる。

 欧米では自国の政府への不信感を背景に、Q-Anon支持者を中心にロシアのプロパガンダを信用する人も一定数いる。

 とすれば、ほとんどの人が大きな疑問を抱く「ウクライナ犯行説」をプーチンがあえて主張することは、それなりの合理性があることになる。

 ただし、それはロシア政府の自己保身にとって、という意味での合理性であり、少なくともIS-Kによるテロが再発するリスクを軽減するものではないだろう。プーチンが「真犯人は他にいる」といっても、それでIS-Kが静かになるはずはないのだから。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

六辻彰二の最近の記事