「雅子さんを勇気づけた1通のLINE」送り主に赤木雅子さんが掲載紙届ける
赤木雅子さんが、「雅子さんを勇気づけた1通のLINE」の送り主に、記事の掲載紙を届けた。
雅子さんは、財務省近畿財務局で公文書改ざんを苦に命を絶った赤木俊夫さんの妻。真相解明を求め国などを相手に2件の裁判を起こしている。
おととい18日に、このうちの1件、近畿財務局に情報開示決定を求める裁判が始まった。裁判を前に雅子さんは俊夫さんの夢を見たりして少し心がざわついていたが、当日の朝、届いたこのLINEに大いに励まされた。
「しっかり読ましていただきましたよ!『あきらめない』精神でファイト、負けるな。心より応援してるから大丈夫。半沢直樹の様に国にやられたら倍返しダー」
そこには、赤木雅子さんと私の共著「私は真実が知りたい」の帯にある「あきらめない。」という赤い文字を指差す画像も添えられていた。
送り主は神戸の接骨院の院長。亡くなった俊夫さんがよく通っていて雅子さんも時々通っていたという。生前の俊夫さんをよく知る院長と、受け付けを担当する院長のお母さんに、俊夫さんはいろいろ職場の悩みも相談していたそうだ。俊夫さんが亡くなってしばらくしてから足が遠のいてしまったが、今もこうして応援してくれる。そのことがくじけかけた心を元気づけてくれた。
雅子さんは、その日の法廷でしっかりと意見を述べ、最後に裁判官に向かって切々と訴えた。
「夫の身に何があったかを事実を知りたいだけなのです。この私の望みをぜひ叶えて下さい。夫のことを知ることができないという苦しみから解放して下さい」
終了後、雅子さんが証言台から原告席に戻ると、隣りに座っている代理人の1人、生越照幸弁護士がこっそりガッツポーズをして、「赤木さん、よかったよ」と言ってくれたという。これもとてもうれしかった。後に私にLINEをくれた。
「見えました?生越先生のガッツポーズ。悲しいこともあるけど、いいこともあります。たくさん」
一方、被告席には財務省や近畿財務局の担当者が8人も座っていた。雅子さんは「あれだけの人がいるなら情報開示なんてすぐにできるでしょう。財務省は逃げてばかりです」とつぶやいた。
こうして雅子さんを励ましてくれたLINEのことを中心に私は翌19日の大阪日日新聞と日刊ゲンダイに記事を書いた。
雅子さんはさっそく、この掲載紙を接骨院の院長に届けることにした。水曜日は午後が休診で超明るいと評判の院長のお母さんは不在だったが、院長が駆けつけてくれた。1年ぶりの再会だ。
院長は国を相手の裁判で苦労した人を知っているそうで、裁判を起こすことには反対していたが、いざ起こしたとなったら話は変わる。「ずっと応援してるから」と院長。「いつもありがとうございます」と雅子さん。2人はがっちり握手を交わした。そして院長が記事の掲載紙を片手にしっかりポーズを決めてくれたのが冒頭の画像だ。
院長は、もう1件の裁判(国賠訴訟)が始まった7月15日にも応援のLINEを送ってくれた。そこでは院長とお母さんが2人でガッツポーズを見せている。
同じ日、赤木雅子さんと私の共著「私は真実が知りたい」が発売された。お母さんはこの本を読み始めたものの、冒頭に俊夫さんが亡くなった時の状況が描かれているため、生前の俊夫さんのことを思い出して涙でなかなか読み進めないそうだ。院長は最後にまた「応援してるから。負けないで」と雅子さんに声をかけた。
雅子さんは思った。久しぶりに会いに来てよかった。夫のためにも最後まで走り抜こう。国との闘いはまだまだ続く。
【執筆・相澤冬樹】