NHKが自ら“戦争責任”を問う『劇場版 アナウンサーたちの戦争』の覚悟
終戦の日の翌日。台風7号の影響で風雨が徐々に強まる中、映画『劇場版 アナウンサーたちの戦争』が公開初日を迎えた。演出のNHKディレクター、一木正恵は舞台あいさつで、接近中の台風にからめて戦時中の報道規制について語った。
「映画で『天気予報は今後一切放送中止だ』というセリフがありました。実際、戦時中は台風による大きな被害がまったく報道されなかった。多くの災害が隠されて大勢の人が何も知らされず犠牲になってしまった。そういったことを踏まえると、本日皆さま方がたくさんの情報を選び抜いてここに来てくださったことに胸を熱くしております」
この映画、元はNHKスペシャルで去年(2023年)放送されたドラマだ。主役のアナウンサー役に元V6の森田剛。その妻となるアナウンサー役は連続テレビ小説『あまちゃん』で注目された橋本愛。豪華キャストで描かれたのは、戦時中NHKが軍と協力し戦争に加担したという「事実に基づく物語」。自らの“戦争責任”に迫る狙いはどこにあるのか? 制作陣の舞台あいさつや会見などで語られてきた発言からは、今の世の中への危機感が浮き彫りになってくる。(文中敬称略)
NHKは軍と二人三脚だった
終戦の日が近づくと戦争についての番組が相次ぐ。軍や政府の責任、戦意高揚に努めた新聞・雑誌、熱狂的に参加していった国民。NHKは様々に実態を描いてきたが、自らの責任を問う番組はなかった。折しも来年2025年は放送開始100年、そして戦後80年。この節目にNHK自身の戦争への関与を見つめ直してみようじゃないかと考えたのが、NHKスペシャルを手掛ける部署のプロデューサー、新延(にいのべ)明だ。
当時の実情がわかる資料探しは難航した。終戦直後、軍や役所が大量の公文書を焼き捨て戦争責任の“証拠隠滅”をしたように、NHKでも放送原稿やレコードなどが多数焼却されたからだ。公式な記録がほとんどない中、新延は自ら資料発掘に乗り出したという。
番組の軸となるのは、放送の顔であるアナウンサーたちの姿だ。当時のアナウンサーたちが書き遺した文書を探して、遺族の元を訪ね歩いた。アナウンスされた内容は、残された音源や史料をかき集めて特定した。関係者が戦後NHKに寄贈した記録も見つかった。雑然と保存されていたそれらの資料を基に、証言者や記載内容、相互の関係などを時系列で表にして整理した。その結果浮かび上がったのは、NHKがアジア各地に100を超える放送局を開設して占領地の日本化を進め、軍の作戦を支援する偽のニュースを流していたこと。大本営発表を垂れ流すだけにとどまらず、軍と二人三脚で謀略放送、いわゆる「電波戦」を行っていた事実だった。
スポーツと戦争とアナウンスの共通点
この内容を多くの人に観てもらうにはドキュメンタリーよりドラマがいいのではないか? 局内のドラマ部門に声をかけたところ白羽の矢が立ったのが、記事冒頭で紹介した一木正恵だ。連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』『おかえりモネ』、大河ドラマ『八重の桜』『いだてん〜東京オリムピック噺〜』などを担当した。この話を一木はなぜ受けたのか?
「あの時代のラジオの力は大きかったので、NHKが戦争に向かう空気を作り上げた責任は非常に大きかったのに、あまり総括せずに進んできてしまった。今のタイミングでNHKが戦時中に何をしたのか描くことは社会への責任だと感じました」
主人公を和田信賢という当時の花形アナウンサーにすることも、新延と考えが一致したという。大河ドラマ『いだてん』で戦前戦後を通しオリンピックを描いた経験から、スポーツと戦争、そしてアナウンスに密接なつながりがあると感じていたという。
「スポーツの祭典を熱狂的に盛り上げるアナウンサーの技術が、戦争への熱狂に利用されていく。その象徴的存在が和田さんでした」
「不世出の天才」和田アナウンサーを演じた森田剛
和田信賢は戦前、NHKで野球や相撲などのスポーツ中継を得意とし、大相撲・双葉山が69連勝の後ついに敗れた勝負を名調子で実況。「不世出の天才」と評された。開戦直後に始まった『勝利の記録』という番組では大本営発表に基づき日本軍の戦いぶりを威勢よく伝え人気を集めた。しかしミッドウェー海戦などで戦況が悪化しても敗北は伝えられず、偽りの“大本営発表”をそのまま伝えることに次第に悩みを深めていく。その和田役に森田剛をキャスティングしたのも一木だったという。
「和田信賢さんと森田剛さん、二人の真骨頂というのが非常に近い。才能の活かし方を計算せず、瞬間的に一番高いところ、発火しているところに飛び込んでいくのがすごく似ています。ダーティーヒーローというかピカレスクというか、清濁併せ呑む両面を演じられるのは誰かと考えた時、森田さんしかいないと。私の予想のはるか上までぶっ飛んでいった感じで、絶対の信頼感がありました」
その森田は舞台あいさつで思いを訴えた。
「戦争を描いた映画やドラマはほかにもありますけど、アナウンサーという視点はない。だからこそ伝えるべきだと思ったし、和田信賢さんの純粋な部分と戦争に巻き込まれていく過程、どうしようもない現実というところの表現に興味がわきました。この作品を未来ある若者に観てもらいたい」
「紫の君」を演じた橋本愛の“気品”
もう一人の中心人物は、和田の後輩アナウンサーで後に妻となる大島実枝子だ。紫の着物姿で職場に通い「紫の君」と称された。国策にのって勇ましく大本営発表を伝える和田に実枝子がピシャリと告げるシーンがある。
「私、和田さんの声を聴くのが好きでした。でも変わりましたね」
男性アナウンサーたちが大勢に順応していくのを冷めた目で見ている。実枝子が採用された年は翌年に東京オリンピックの開催が予定され、NHKは女性アナウンサーの採用を進めていた。ところがヨーロッパで第二次世界大戦が始まりオリンピックは中止。さらに日米開戦で放送は戦争一色に染まり女性アナの活躍の場はなくされていく。一木はそこに着目した。
「男性アナの視点と違って女性アナは一つ醒めた目で世の変化を見ていたんじゃないでしょうか。男性アナの声に熱狂する社会とは違う世界線が、実枝子さんを語り部にすることで見えるんじゃないかと」
こうしてナレーションは実枝子が語る形となった。実枝子役の橋本愛はキリっとした表情で冷静に引いた目線で語るから言葉が入ってきやすい。関係者によると、橋本を最初にNHKで起用したのも一木で、それが『あまちゃん』出演のきっかけになったという。
「気品とか、誇り高さとか、でも優しさとか、そして客観性みたいなことに関して彼女をすごく信頼していました」
「時代の空気に吞まれるな」
現実の実枝子は、昭和の初めから終わりまで長くNHKラジオに出演した稀有なアナウンサーだった。夫の和田信賢についてたくさんの資料や写真を遺していたことがキャラクター設定に大いに役立ったという。
「天才肌ではあるけれど実は緻密に調べて準備する人だったことが実枝子さんの証言でわかりました。豪放磊落に見えて非常に神経が細やかでナイーブな人だったんでしょう。戦争に協力していることを自覚して酒を吞まずにいられず、体を壊していったようです」
先輩アナウンサーが和田に語りかけるシーンがある。
「さしもの和田信賢も時代に流されたか。お前はお前だ。吞み込まれるな」
ごく普通に暮らしていた人物が時代の波に吞まれ、いつの間にか戦争を進める側になってしまう。これからも起こりうる話だ。「時代の空気に呑まれるな」というセリフは現代の私たちへのメッセージにも聞こえる。
和田に対し後輩アナウンサーの館野守男が詰め寄る場面がある。スポーツ中継で人々を熱狂させる言葉の力で戦争を盛り上げ、日本一のアジテーターになってほしいと迫る。このシーンは番組ではカットされたが映画で復活した。スポーツと戦争の共通点、熱狂を言葉であおる危険性を表す場面だ。館野は後に“無謀”と悪名高いインパール作戦に従軍し、自分が勇ましく伝えてきた戦争の実相を目の当たりにすることになる。
国家の宣伝者になるのは「危険だ」と感じ、国の役人の指示に抗議した川添照夫というアナウンサーもいた。勇気をもって発言したが、軍に召集され前線に送られて命を落とす。ほかの多くの職員は軍や政府の言うままに時代に呑み込まれていった。
“大本営発表”から生まれ変わったNHKの矜持は守られているか?
NHKは戦時中“大本営発表”をそのまま伝え「電波戦」で戦争に積極的に加担した。その反省に立って戦後、放送法のもとで公共放送として生まれ変わった。「今でも大本営発表じゃないか」という方もいるだろう。だがこの作品が生み出されたのは、過去を反省し二度と繰り返してはならないという意識が組織内にあるからだと新延は語っている。
「ロシアのウクライナ侵攻を見てもメディアと戦争は深い関係にありますよね。だからこれは決して過去の話ではなく、これから起こりうる悲劇を避けるために学ばなければいけない歴史です」
映画は最後、和田が繰り返し伝えてきた“大本営発表”に思いもかけぬ形でしっぺ返しを受けるシーンで終わる。演出の一木の狙いは……
「“大本営発表”として語られた言葉は戦争が終わっても消えませんよね。言葉で憎悪や嫌悪をあおることの罪深さを感じます。戦時中にNHKが何をしたか描くことで、報道の責任を捉え直す。それをフィクションの力と言いますか、登場人物の生々しい感情を撮り逃がさずに描くことで伝えられることがあると思います」
NHKは過去と向き合い、矜持をもって報道しているか? そこを考えさせる映画だ。