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京王線無差別殺傷事件!死を覚悟して無差別殺傷を行うという犯罪の連続に、社会はどう対応すべきなのか

篠田博之月刊『創』編集長
10月31日夜、国領駅前で運ばれていく殺傷事件の被害者(筆者撮影)

選挙の夜に京王線で起きた無差別殺傷事件

 10月31日は衆院選投開票日、そしてハロウィンだった。私は夜、新宿で用事を終え、早く帰ってテレビで選挙特番を見ようと8時頃、京王線に乗り込んだ。そのとたんに、国領駅で傷害事件が発生し、電車はストップしたというアナウンスが流れた。国領は私の住まいの最寄り駅で、まさにそこに帰ろうとしていたわけだから驚いた。

 各駅で停止しながら電車は国領の2つ前のつつじが丘駅まで何とかたどりついた。そこから先には行けないというので、乗客は降り、甲州街道をぞろぞろと歩いた。タクシー乗り場やバス乗り場は長蛇の列だから、並んで待っているより歩いた方が早いというわけだ。私も歩いて国領に着いたのは10時過ぎだった。事件発生からかなり経ったのに、駅前は緊急車両や報道陣でゴッタ返し、ケガをした人がまだ担架で運ばれていた。

国領駅前に集合した消防隊(筆者撮影)
国領駅前に集合した消防隊(筆者撮影)

 逮捕された容疑者は、ハロウィンの夜を選んで決行したようで、自身も映画のジョーカーに扮していた。そして、人を殺して死刑になろうと思ったと逮捕後に語ったらしい。その日が同時に総選挙の日だったことは犯人にとっては偶然だったのだろうが、どうも私にはその組み合わせがこの事件を象徴しているように思えた。

 若者の投票率が低いことが話題になり、投票を呼び掛けるいろいろな動きがあったにもかかわらず、やはり投票率は低かった。多くの人が自分の一票で世の中が変わるという将来への展望を感じられていたら、総選挙の結果ももっと違ったものになっていたはずだ。もう生きていることに希望が持てないと考えた24歳の男性が死を覚悟して凄惨な事件を起こしたというのも、この社会の閉塞状況の現れだろう。

報道陣も押し掛けてゴッタ返す国領駅前(筆者撮影)
報道陣も押し掛けてゴッタ返す国領駅前(筆者撮影)

 もちろんこんな犯罪を許すわけにはいかないし、被害にあった人は本当に気の毒だ。ただ気になるのは容疑者が、夏に小田急線で起きた事件を参考にしたと語っているというし、3年前の新幹線での事件を思い浮かべるまでもなく、同様の事件が増えているように思えることだ。電車での警備の強化をどうするかといった対症療法をテレビでは取り上げていたし、それも無駄ではないと思うが、ただこういう事件が増えていることの意味を本質的に考えていかないと予防や根絶は難しいと思う。

「黒子のバスケ」脅迫犯が語った「無敵の人」

 思い出すのは、かつて2013年に「黒子のバスケ」脅迫事件で逮捕された渡邊一史元被告が法廷で主張した「無敵の人」という言葉だ。人間は追い詰められ、もう死んでしまおうと決意すると、何でもやってしまう「無敵の人」になる。そういう人が今後増えていくことに、この社会はどう対応するのか、それを真剣に考えるべきだという主張だった。法廷での意見陳述の一部を紹介するが、今読み返してみると、まさにその通りになっていることに改めて驚く。

 《いわゆる「負け組」に属する人間が、成功者に対する妬みを動機に犯罪に走るという類型の事件は、ひょっとしたら今後の日本で頻発するかもしれません。》

 《そもそもまともに就職したことがなく、逮捕前の仕事も日雇い派遣でした。自分には失くして惜しい社会的地位がありません。

 また、家族もいません。父親は既に他界しています。母親は自営業をしていましたが、自分の事件のせいで店を畳まざるを得なくなりました。それについて申し訳ないという気持ちは全くありません。むしろ素晴らしい復讐を果たせたと思い満足しています。自分と母親との関係はこのようなものです。他の親族とも疎遠で全くつき合いはありません。もちろん友人は全くいません。》

 《そして死にたいのですから、命も惜しくないし、死刑は大歓迎です。自分のように人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間を「無敵の人」とネットスラングでは表現します。これからの日本社会はこの「無敵の人」が増えこそすれ減りはしません。日本社会はこの「無敵の人」とどう向き合うべきかを真剣に考えるべきです。また「無敵の人」の犯罪者に対する効果的な処罰方法を刑事司法行政は真剣に考えるべきです。》

 この渡邊君と私はもう長い付き合いになるのだが、最初のきっかけはまだ逮捕される前、彼が犯行について書いた手紙を私に送ってきたことだった。元々進学校である高校を卒業したものの大学受験に失敗し、フリーターとして約10年を送った。小泉構造改革で格差が拡大した時期に20代を過ごし、10年を経て気が付いたらもう30代半ば。将来に希望など何もないので生きていても仕方ないと考えた。そしてどうせ死ぬなら、「勝ち組」のシンボルである人気漫画「黒子のバスケ」の作者に一太刀浴びせてやろう。そう考えて「黒子のバスケ」脅迫事件を起こしたのだった。

 小中学校時代もいじめにあい、親からも虐待を受けたとして親を憎んでいた彼は、裁判で、自分がそんなふうに追い込まれていった状況を訴え、上記の主張を行ったのだった。また、警察に逮捕されそうになったら自殺するつもりだったのに死ぬ機会を失ったということで、出所したら自殺しますと法廷で公言したのだった。

 そうした事件の全貌と裁判の経緯については私の編集した彼の著書『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』(創出版刊)をぜひご覧いただきたいが、彼とのつきあいについては、私はヤフーニュースにも相当量の記事を書いている。彼の刑が確定してからはマスコミ報道はパタッとなくなるのだが、私はその後も刑務所に何度か面会に行き、その報告も書いた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20160503-00057344

「黒子のバスケ」脅迫事件で服役中の渡邊受刑者に面会した

秋葉原無差別殺傷事件とも通底

 ちなみに彼が裁判で訴えた「無敵の人」の話は大きな反響を呼び、何と秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚から弁護人を通じて長文の感想も届いた。両事件には通底するものがあったわけだ。

 今回の総選挙にかこつけて言えば、渡邊君は逮捕後に私といろいろ話した際に、民主党への政権交代があった時にはちょっとだけワクワクしたと語っていた。ただその話をすると、自分のやったことが政治的社会的文脈で語られることになるのでそれはいやだとも言っていた。彼は犯行に至るまで日雇い派遣の生活でまさに「負け組」だったが、だから社会を変えようとか、社会変革といった社会派的な文脈で自分が語られることにも違和感を持っていたのだった。

 さて、その後、無差別殺傷事件が起こるたびに、私はこの「無敵の人」の話が気になり、何度も論評してきた。2018年の新幹線での無差別殺傷事件直後に書いたのは下の記事だ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20180616-00086575

新幹線殺人事件容疑者の追いつめられた末の犯行にあの事件を思い出した

 また2019年元旦に明治神宮で無差別殺傷を企てた男の事件についても記事にした。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190131-00113135

平成最後の元旦に男が原宿で無差別殺傷を狙った事件の気になるその後

 死を覚悟して無差別殺傷事件を起こすという例は確実に増えているような気がする。付属池田小事件や秋葉原事件のような大量殺傷に至らなかったのは、火をつけようとしたがうまくいかなかったといった偶然の結果で、京アニ事件のように犯人がガソリンを使えばとんでもない凄惨な状況になる。そういう危険と隣り合わせに我々が生きていること、そして今の社会ではそういう危険が絶えず生み出されていることを考えなければいけない。

「黒子のバスケ」脅迫犯が死ぬのをやめたきっかけ

 ではそういう社会の根っこに潜む病弊に我々はどう立ち向かえばよいのか。これはなかなか難しい問題だ。

 ただ、ひとつここで参考までに書いておきたいのは、法廷で「出所したら自殺する」と公言した「黒子のバスケ」脅迫犯がなぜ死ななかったのか、だ。

 実は彼は、刑務所で過ごすうちに、死ぬことにこだわっていたその思いつめた気持ちが薄くなったと語っていた。別に積極的に生きる意味を見出したとか、そんなことではない。死ぬこと自体にこだわっていた自分が変わった、生きる意味もそんなにないが、死ぬことにもそんなに意味を感じなくなったというのだ。

 そんなふうに気持ちが変わっていったひとつのきっかけのように思えるエピソードを紹介しよう。彼はそのうち、私が面会に行くのに、平日のこの日は避けてほしいといったことを言うようになった。なぜかというと、彼は刑務所の作業所で班長に命じられた。自分の班員のめんどうを見なければいけない立場になったのだ。だから平日の工場作業はきちんとやらなければいけないという思いが強くなったという。それを最初に聞いた時には意外さに「え?」と思ったが、彼は真顔だった。

 刑務所の工場作業での班長といっても、世間の人から見れば小さなことに違いない。それが大事なポストだと思う人はほとんどいないだろう。でも、どうやら班長になったという経験は、渡邊君に「自己承認」といった、彼の人生にはそれまでなかった感覚をもたらしたらしい。

 なんだ、そんなことかと思う人も多いだろう。でも、渡邊君の変わりようを見て、私は妙に考えさせられた。そんな小さな「自己承認」の機会さえ、今まで彼は味わったことがなかったんだ。そしてそういう人が、もしかすると社会にはたくさんいるのかもしれない。何のために自分が死なないで生きていこうと思うかという動機は、そんな小さなことの積み重ねなのかもしれない。そして今の社会には、そういうことが欠落しているのかもしれない、と。

 この辺りは、半分は私の思い込みかもしれない。もしかすると渡邊君はネット好き人間だからこの記事を読むかもしれない。読んで「いや、そこは違う」と思ったら連絡してほしい。私は、出所後彼が自分の意思でそっと生きていける環境を大事にしたいと思い、必要なことがない限り接触しようとしてはいない。でももうこの社会で生きている意味はないので死んでしまおうと考えた人間が、どういうことがあれば「まだしばらく生きていよう」と思うようになるのか。それを考えることはとても大事なことだと思う。その意味では彼の経験は貴重なことかもしれない。

 かつて政権交代が起きた時多くの市民が感じたワクワク感や、それが今の野党にはなぜ感じられないかなど、総選挙の日に起きた凄惨な事件との関わりでいろいろなことを考えた。犯行の日が選挙の日だったことは、今回の容疑者にとっては偶然かもしれないが、何か象徴的な意味合いが感じられて仕方ない。

 逮捕された容疑者に、君が事件を起こした日が総選挙の日だったことを知ってましたか、と尋ねたら、彼は何と答えるのだろうか。

「そんなこと知らなかったよ」と言うのか、あるいは

「ニュースで知ってはいたけど、そんなことは関係ないよ」と言うのか。

死刑になるための大量殺人、土浦事件の元死刑囚は

 自分が死刑になるために大量の人を殺そうと思ったというのは、2008年に土浦無差別殺傷事件を起こした金川真大元死刑囚(既に執行)も同じだった。彼とは数ヵ月のつきあいだったが、死刑が確定する前に何度か面会した。

 彼には、私がこれまで出会った凶悪事件の犯人とされる人たちとは違う、特異な印象を受けた。死刑になりたくて裁判でも偽悪的なふるまいをしていたために、世間の印象は相当悪いのだが、実際に会ってみた彼の印象は、それと全く違っていた。驚くほどナイーブな青年だったのだ。

 彼も高校を卒業して挫折を体験し、引きこもりになって死んでしまおうと決意するのだが、少しだけ違った環境にいたら、死刑囚どころか全然違った人生を送っていたろうと強く思われた。ほんのささいな「自己承認」の機会を得て「黒子のバスケ」脅迫犯の渡邊君が死ぬのをやめたように、金川元死刑囚も何かきっかけがあれば凄惨な犯罪を起こすことはなかったろうと思う。だから私も面会室で、控訴取り下げをやめてもう少し死ぬのを遅らせてはと勧めたのだが、彼の死ぬという決意はとても固かった。

 生きていれば何か違う人生を歩むきっかけがみつかることもあるのではないか。それはもしかしたらほんの小さなきっかけかもしれない。でもこの社会は、そんなふうに考えることもできないほど閉塞しつつあるのだろうか。そういう人たちに小さなきっかけを与えることもできないほど社会は病みつつあるのだろうか。

 「またしてもちょっとだけ期待したのだが、結果を見てやはり失望した」という思いを、今回の選挙結果で多くの人が味わったと思う。その選挙の夜に、救いようのないような無差別殺傷事件が起きたことは、何か象徴的な事柄のように思えてならないのだ。

 なお「黒子のバスケ」脅迫事件については、ヤフーニュースにもたくさん記事をあげたので、主なものを列挙しておこう。だいぶ時間がたったのでリンクが今でもうまく張れているか心許ないが。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20131022-00029127/

「黒子のバスケ」脅迫犯から私に届いた手紙

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20131023-00029155/

「黒子のバスケ」脅迫犯から届いた2通目の手紙

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20140313-00033522/

『黒子のバスケ』脅迫事件初公判で渡辺被告が主張した犯行動機

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20140315-00033576/

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20140718-00037501/

「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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