日本の10代の92%が「創造的」だと思っていない現実をどうする
7月16日、Huffpostに「「自分は創造的」と感じる日本の若者、わずか8% グローバル平均を大きく下回る」と題する記事が掲載された。アドビシステムズ社による調査についての記事である。
記事によれば、12歳から18歳までの我が国のZ世代のうち、自らを「創造的」と回答した生徒は、8%である。グローバル平均は44%であるから、他国に比べて著しく低い。また、Z世代を「創造的」と回答した教師も2%であり、グローバル平均の27%と比べて大きな差が出た。
Z世代はいわゆるデジタルネイティブであり、幼少の頃からインターネット環境の中で成長してきた世代である。必要な情報はインターネットから即座に取り入れ、またSNS等で情報発信することへの強い意識があることが特徴といわれる。普通に考えれば、問題への対処能力が高く、主体性をもって、創造的に物事に取り組む世代になりそうなものだ。しかし我が国に限ってはそうではないという結果である。
そのため日本のZ世代は、「将来何かを作る仕事をしている」と考える割合が43%と、グローバル平均の78%に比べて、低い。しかし、世の中の多くの仕事はなかなか創造的だ。どうやら彼らは、創造的であることは特別なことであり、そして自分はそうではないと思っているようである。これではイノベーション立国の実現など、夢のまた夢である。
かねて筆者は、我が国にイノベーションが生まれにくいのは、技術力云々よりも、マインド、姿勢、「やる気」の方に問題があると捉えていた。そして人間は教育次第でいかようにも成長するのだから、根本的にはイノベーション教育をどのように進めるかが重要と考えている。秀でた技術があっても、それを用いて何事かを成し遂げようという気持ちのある人がいなければ、ビジネスは生まれないのである。結局のところビジネスは、人が生みだすものでしかない。
人はどうすれば創造的になるのか。解決方法の一部をここで紹介したい。長い記事になってしまい申し訳ないが、創造性に向けた教育を考える上での参考にして頂ければ幸いである。
「自分はダメだ」と思う教育になっていないか
まず、創造性について述べておかなければならない。創造性とは、たんに奇抜なアイディアを思いつくことではない。そうではなく、実際に創造すること、価値のあるものを創造することである。ミシガン大学教授のクリストファー・ピーターソンが指摘するように、「枠にとらわれない発想をしよう」という言葉だけでは創造性を表すことはできない。創造性には新規性に加えて実用性も必要であり、そのためには枠の内側を一度は通り抜けなければならないのである。よって型通りであることは、創造性においてはむしろ必要である。型を知らなければ、型を破ることはできない。
その意味において、現在の学校教育が悪いとは一概にいえない。基礎を知らなければ応用はできない。幅広い知識を得ることは重要である。問題なのは、教育の内容ではなくやり方が、創造性を抑制する可能性があることである。これは例えば、テストの点数や偏差値を上げることばかりを目指す教育である。全ての教科の習熟度を上げるためには、必然的にできないことに目を向け、それを克服させる方に焦点が置かれる。
しかし、弱点の克服というものは非常に困難だ。ペンシルバニア大学教授のマーティン・セリグマンによれば、長期にわたり失敗や嫌なことを自分の手で回避できない環境にいた人は、何をしても無駄だと思うようになり、他の状況でも努力を諦めるようになる。創造は現状を変えるための試行錯誤によって生まれるのだから、このような環境は、創造性から最もかけ離れているといえよう。
われわれ教育者は、弱点にばかり目を向けるのはもうやめよう。それよりも、強み、コンピテンスに焦点を当てたほうがいい。なぜなら人は、弱みではなく、強みによって成果を上げるからである。これは創造性においてはとくに重要なことである。成果を上げていると人はいい気分になり、次も成果を上げようと努力する。しかも成果を上げている人は、出来ないことも試行錯誤して、結果、勝手に克服してしまうことが多い。気分を高め、強みによって成果を上げる経験をさせていけば、自ずと人は成長するのである。だからセリグマン教授は、アメリカ心理学会の会長になったときに、これからの心理学はポジティブ感情の研究をしようと言ったのである。
ポジティブな感情は生き方を変える動機づけになり、また思考の領域を変化させる。ポジティブな感情の代表的なものは、喜び、感謝、安らぎ、興味、希望、誇り、愉快、鼓舞、畏敬、そして愛である。そのような感情を得られると、視野が広がり、周りに存在するものの可能性に気づくようになる。創造とは、すでに存在するものの可能性を引き出し、それをかたちにして示すことであるから、ポジティブな感情こそ創造性を育むための心のあり方であるといえよう。人は前を向いているからこそ、前に進むことができるのである。
しかしこのことは、いつでもポジティブな気分でいればよいという話ではない。不幸な出来事があったときにもポジティブでいることは不可能だし、無理にそのように振る舞おうとすれば疲れてしまう。感情は状況に応じて、内面から湧き上がってくるものだ。ネガティブな感情は、人間が健全性を保つために必要なのである。
ノースカロライナ大学教授のバーバラ・フレドリクソンによれば、ポジティブとネガティブの割合こそが大切であり、ポジティブの割合が低くなると思考が下降スパイラルに陥る。その比率は、3:1。多すぎるのもダメで、8:1になると逆効果になる。ネガティブになる出来事が続いていると思ったならば、比率を保つために、ポジティブになれる経験を増やしたほうがいい。しかし、ネガティブな気分を無理に脇に追いやってはならないのである。
創造性を伸ばす教育
スタンフォード大学dスクールのデイヴィッド・ケリーらは、すべての人は創造的であると断言している。もし人が創造的ではないと言うならば、それは創造的ではなくなったからであり、創造性にフタをしてしまったからである。
物心がつくかどうかの頃は、誰もが恐怖や恥ずかしさなど感じず、色々なことを試していた。年をとるにつれ分別を身につけ、何かやらかせば社会的に拒絶されるという恐怖や不安を覚えてしまった。このような恐怖や不安を取り除けば、創造性は開放される。前向きになり、やってみようと思えるようになる。そうすれば、創造性は取り戻すことができるのである。前向きに創造できる環境づくりから始めることが、創造性の教育には求められる。
また、失敗を許容する空気をつくらないといけない。カリフォルニア大学教授のディーン・キース・シモントンによれば、創造的な人たちは単純に他の人よりも多くのことを試している。試した結果、すなわち思考し、試行した結果、創造的なひらめきと成果が生まれるのである。だから失敗しても責めてはならない。ここでは失敗は成功のプロセスのうちにあることを意識させる働きかけが必要となる。
しかし、失敗続きでは心が折れることがある。心理学者のアルバート・バンデューラは、小さな成功を積み重ねることによって、失敗に対する恐怖を解消できると述べている。有能感が得られるようになり、また対象に対する興味も高められる。自らやりたいと思えるようになるのである。頑張れば手の届きそうな短期的な目標を掲げ、それに取り組ませるとよさそうである。
そして、せっかく興味が湧いたのであるから、やりたいと思ったことをやらせたほうがいい。あるいは、やりたいと思うように工夫したらどうだろう。大小に関わらず、創造にはやりきる姿勢が必要である。モチベーションが続かなければ成功に至る可能性は低い。「やるべき」という言葉の主体は、その言葉を発した人である。「やりたい」と思うときの主体は、それを感じる人である。だから人は、やりたいことを自らやるのである。試し続け、やり続けた先に、創造がある。
強いモチベーションのためには、やはり子供に生きる目的を持たせることが重要になってくる。自らはこの社会において、何をなすのか。それを達成することを目指せば、目の前の小さな失敗は取るに足りないことと思えるようになる。進む先が明確だと、そこに向かおうという推進力が働く。なりたい姿、達成したいものを思い起こせば、勇気が得られる。そこに向かって一歩を進めているという実感があれば、いまをポジティブに生きることができる。自分の人生は自分でコントロールしているという意識があることが、ひいては私たちを前向きな気分にさせるのである。
最後になるが、教師はみずからイノベーション教育を楽しもう。心理学者のエドワード・デジの研究によれば、やらされ感を持っている人は、他人に対しても「~すべきだ」とか「~しなさい」といった限定的な言葉や命令調の言葉を用いるようである。それらの言葉は、創造性を失わせてしまう。ひとつやってみようじゃないか、子供たちの未来のためだと、原点に回帰し、自らを勇気づけてやることが重要である。そういう空気は、伝播する。子供たちの創造性を育む教育は、主体的に教育を行おうという自らの姿勢から始まるのである。