日本人メジャーリーガーのパイオニア・マッシ―村上、日米協会より「マーシャル・グリーン賞」を授与される
現地時間10月17日、日本人最初のメジャーリーガー、マッシー村上こと村上雅則氏が、日米協会よりマーシャル・グリーン賞を授与され、ワシントンD.C.で行われた授賞式に出席した。
日米協会は、日米両国の友好を深めることを目的に1957年にアメリカ国務省の職員グループと在米日本大使館員によって設立された団体で、教育、文化、ビジネス、政策などの分野で多様なプログラムを提供し、両国人の相互理解の促進に努めている。
マーシャル・グリーン賞は、在日アメリカ大使館に勤務後、国務省職員として様々な国で活躍し、のち国連人口委員会代表を務めた外交官にちなんだ、両国の交流に多大な貢献のあった者に与えられる賞で、今回、スポーツ界から初めて村上氏が受賞することになった。現在、日本でプレーした外国人選手と日本球界をつなぐべく活動している一般社団法人日本プロ野球外国人OB選手会(JRFPA)のエスコートの下、夫人とともに16日午前に日本を出発。ワシントンでの授賞式に臨んだ。
村上氏は法政ニ高から1962年に南海ホークスに入団。3年目となる1964年にサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のシングルA、サンノゼに野球留学したのがきっかけとなり、シーズン終盤にメジャーデビュー。翌年もジャイアンツでプレーするが、まだ日米間の選手移籍について明確なルールがないこの時代、日米間の交渉の末、村上氏は1966年シーズンからの南海復帰を余儀なくされた。
その後、南海で9年、阪神で1年、日本ハムで7年を過ごし、1982年シーズンをもって引退。プロ20シーズンで、日米通算108勝を挙げている。このうち5勝がメジャーで挙げたものだ。引退後は、ジャイアンツの極東スカウトや解説者として活躍。1995年の野茂英雄の渡米に始まり現在まで続く日本人選手のメジャーでの活躍を日本の野球ファンに伝えている。
授賞式には、村上氏同様、野球を通じて日米間の架け橋としての役割を担った外国人選手としては最高となるNPB歴代14位の通算464ホーマーを放ったタフィ・ローズ氏(元近鉄・巨人・オリックス)もJRFPAを代表して出席し、村上氏の偉業を祝福した。
授賞式、パーティーの翌日は、ホワイトハウスを訪問。バイデン政権発足後に新設されたアジア圏向けの交流セクションにおいて、政府関係者と野球を通じての意見交換をJRFPAスタッフを交えて行った。
今回の受賞、アメリカ訪問について村上氏は、「このたび、ワシントンD.C.日米協会の権威あるマーシャル・グリーン賞をいただき大変感謝しております。野球界では初の受賞ということで身に余る光栄です。それと同時に、これまで私を支えてくれた最愛の妻もともに授賞式に招待していただき、日米協会の皆様に厚く御礼申し上げます」とのコメントを発し、今後も野球を通じての日米交流にJRFPAとともに尽力する意思を新たにした。
JRFPAは、日本でかつてプレーした外国人選手を日本に招くなどの活動を主として行っている。最近は、名球会との提携の下、往年の名選手のTシャツを販売するなどその活動を活発化させているが、今回の村上氏との活動もその一環といえそうだ。今回随行したローズ氏は来年春の来日を予定している。
(写真はすべてJRFPA提供)