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英国、移行期間終了後も数年間、EU関税同盟の期限延長に方針転換(下)

増谷栄一The US-Euro Economic File代表

  

今年3月、ロンドン市長公邸でEU離脱協議方針について演説するテリーザ・メイ英首相
今年3月、ロンドン市長公邸でEU離脱協議方針について演説するテリーザ・メイ英首相

今のところ、英国内では2つの新バックストップ案のうち、マキシム案が有力とのメディア論調が多い。関税パートナーシップ案は、英国がEU(欧州連合)向けの製品とそうでない製品の関税の差額を企業に払い戻しする取り決めをEU以外の他国と結ぶという複雑なシステムとなる。このため、英国は他国と貿易協定を結ぶことがかなり難しくなるという問題があるからだ。

 英紙デイリー・テレグラフは5月12日付で、「EUに輸出した製品が最終的に英国の末端消費者に輸出された場合、輸出業者は最初にEU関税を支払ったのち、英国の安い関税との差額を受け取るための手続きを頻繁に行う必要がある。これは現在の複雑なサプライチェーン(原料の段階から製品やサービスが消費者に届くまでの一つの連続したシステム)を考えればかなり難しい」と指摘する。また、「EUの交渉担当者はメイ英首相のこの案は“魔法の発想だ”と揶揄し拒否する考えだ」とし、同11日付でも「歳入関税庁も関税パートナーシップは機能しないと断言している。メイ首相も代案であるマキシム案に柔軟な姿勢を示し始めた」とも伝えている。

 英国メディアでは関税同盟の期限延長で閣内が一致したことはソフトブレグジット派の勝利との論調が多いが、これは諸事情を勘案した結果だった。特に、英国の自動車業界にとって延長が追い風になるという事情がある。移行期間終了後、EUはもとより他国への自動車輸出で高い関税がかけられれば自動車業界にとっては大きな打撃となるからだ。米信用格付け大手ムーディーズ・インベスターズ・サービスは4月12日、「英国の17年自動車販売台数が先行き不透明で5.7%減となり、今年も5.5%減になる」と予想した。英紙ガーディアンも同13日付で、「インド自動車大手タタ・モーターズ傘下の英ジャガー・ランドローバーはブレグジット後の先行き不安などで国内自動車販売が減少し、工場従業員を1000人削減する」と伝えていた。

 航空産業も同じだ。今年2月、英航空機部品メーカー、プロデュマックスはフランスの航空機メーカーから英国のサプライヤー(自動車部品・資材供給業者)の入札参加が拒否された。ロイター通信は同18日、「多くのEU企業はサプライチェーンで英国の企業を使うことを控えている。部品や原材料が関税や規制で国境通過に時間がかかり過ぎ配送遅延を懸念している」と指摘した。英国が数年でも長く関税同盟に残れればこうした懸念も緩和できるのだ。

 また、EU離脱法案の議会承認が保守党造反議員による修正案乱発で大幅に遅れ2019年3月の離脱までに合わない見通しから、メイ政権にとって関税同盟の期限延長は渡りに船という事情もある。大和キャピタル・マーケッツ・ヨーロッパは4月17日と5月9日のブログで、「政府はEU離脱法案の半分しか議会に提出しておらず、2019年3月のEU離脱に間に合わせるには法案をわずか75日間弱で議会を通過させる必要がある。遅れは必至だ。また、議会がブレグジットの流れを変える可能性もある」と警告した。実際、貴族院は5月8日、EU離脱法案に対し、英国がEUの関税同盟に残れるようEU単一市場への自由なアクセスを可能にするEEA(欧州経済領域)加盟交渉に入るよう要求するなど15項目にわたる修正案を可決したからだ。

 しかし、メイ首相が土壇場で造反議員の説得に成功し、これらの修正案を6月12日の下院でひっくり返すことに成功したことの意義は大きい。修正案のうち、最も重要な2案を否決したからだ。一つはEEAに加盟し関税同盟に残ること、もう一つは議会がEUと最終合意した離脱協定にノーといえば、議会が政府に代わって次の選択肢を決めるというものだ。もし、これらの修正案が通れば、大和が4月のブログで、「EUと合意した離脱協定に対し、北アイルランド国境問題も含め議会がノーといえば、EU協議は長期化する。もし、EUが再協議を拒否すればノーディールとなるか、あるいは英国で2回目の国民投票が実施され、今度は残留となれば総選挙となる」と分析したように最悪の事態が予想されたからだ。

 ただ、テレグラフ紙は6月13日付で、「メイ首相がEU残留派の造反議員を説得するため、EUとの離脱協議が最終的にノーディールに終わった場合、議会にその是非を問う投票を認める妥協案を示し合意した」と報じた。これは造反議員らが政府に要求している、EUとの離脱協議に関する最終合意に対し議会が行う「意味のある投票」を認めたもので、言い換えればノーディールという選択肢が封じ込められたことを意味し、メイ政権の今後のEU離脱協議にとって大きな制約となる可能性が高まった。

 ところが、6月14日にメイ首相が保守党造反議員と合意した「意味のある投票」に関する妥協案に基づいて、政府が策定したEU離脱法案に対する新しい修正案が公表されると事態が一変した。妥協案で重要なポイントとなっていた「議会投票の結果は政府に対し拘束力を持つ」と解釈されるはずの文言が公表された政府修正案では「ニュートラルな動議」という表現で議決には拘束力がないという全くの別物に書き換えられていたからだ。

 ニュートラルというのは、議事運営に関する手続き動議のようなもので、政府がEUとノーディールで最終合意した場合、政府は議会に事後報告の声明文を提出するだけで、議会はそれに対し、交渉のやり直しや移行期間の延長、EU離脱の撤回などといった新たな修正要求ができないものにすり替えられていた。これでは政府はノーディールで離脱することが可能になる。この政府修正案は週明け18日に貴族院(上院)に送られ、その後、20日には下院に戻ってきたところで審議をやり直す予定だ。保守党の造反議員グループは政府の裏切り行為だと非難しており、リーダーのドミニク・グリープ議員(元法務長官)は元の修正案を提出し、再度、メイ首相と対決する構えだ。EU離脱協議をめぐって政局混乱は延々と続く見通しとなった。(了)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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