独立Lコーチ辞退し、保険業界へ。元ヤクルト松井淳が歩み始める「第2の人生」【後編】
「大事な年」に死球禍で左尺骨を骨折
今年が勝負──。そう心に誓った翌2013年、プロ4年目のシーズン。前年まで2年連続本塁打王のウラディミール・バレンティンがケガで出遅れたこともあり、初の開幕スタメンを勝ち取ったものの、すぐに二軍降格。そんな松井淳を待ち受けていたのは、相手バッテリーによる厳しい内角攻めだった。
前年までの3年間は二軍でも計11死球だったのが、このシーズンは容赦なく当てられた。5月末にはその数は2ケタに到達。5月28日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(利府)からは4試合で計6死球を受け、続く6月2日の読売ジャイアンツ戦(戸田)でも初回にデッドボールを食らい、これで左尺骨を骨折してしまう。
「4年目が大事な年っていうのはわかってた中で骨折してしまって……。あれで厳しいなと思いました」
実戦に復帰したのは、既にシーズンも終盤の9月。最後は一軍でもプレーしたが、せっかくつかんだかに思えたあの良い時の感覚が、戻ってくることはなかったという。
「今振り返ると、(骨折が)もったいなかったというか……。でも、それも野球人生なんでしょうがないです」
昨年、今年と一軍でプレーする機会にはほとんど恵まれなかったが、それでも最後まで全力で野球に取り組んだという自負がある。だから、29歳の誕生日を前にバットを置くことになっても悔いはなかった。
「一生懸命やって(一軍に)上がれないならしょうがないかなって。それもプロ野球なんで……。でも、僕はまだ切り替えができる年齢でもあったので、ちょうどいいのかな、潮時なのかなって。(年齢が)30ちょっとまでいってしまうと、なかなか切り替えるのは難しいのかなっていうのはありましたね」
「野球が終わったら、何か人のためにやりたいなっていうのがあった」
29歳でスタートする「第2の人生」。野球に対する未練はなかったのか。
「独立リーグから指導者としての話があって、すごくやりたいなという気持ちもあったんですけど……」
実は来年からルートインBCリーグに参入する滋賀ユナイテッドベースボールクラブの上園啓史監督(元阪神、楽天)から、共通の知人を通じてコーチとしての誘いがあったのだという。
「このままずっと野球に携わっていく人生もいいんですけど、それもいつまでできるかわからないですから。まだ30(歳)前ですし、これからの30年間まったく別の道で生きていくのも必ずプラスになると思ったんで、何かを変えるなら今だと思いました」
コーチ就任を辞退し、最終的に選択したのは一般企業への就職。日本に本社を置く外資系の大手生命保険会社「ジブラルタ生命保険株式会社」である。
「最初は別な保険会社からお話を聞いて、それで保険の仕事に興味を持ちました。結局、3社にお話しを聞いた中で、ジブラルタ生命に入りたいと思いまして、決心しました。『保険』ってあまりいいイメージがなかったんですけど、この会社ならホントにその人に合った保険が作れるっていうのを聞いて、これなら人のためになるかなって思いました」
横浜出身ながら、子供の頃はヤクルトファン。そのチームで選手としてプレーし、憧れだった池山隆寛コーチ(現楽天)の指導も受けるなど、プロ野球の世界では1つ夢をかなえた。では、これから始まる「第2の人生」における新たな夢とは──。
「今年、娘が生まれたんで、娘の夢をかなえてあげたいっていうのがあります。僕自身は保険の道に進むんで、仕事を通して1人でも多くの人の役に立てたらいいっていうのをすごく思ってますね。今まで野球をやっていてホントに人に恵まれてきたんで、野球が終わったら何か人のためにやりたいなっていうのがあったんです」
もちろん野球ともまったく縁を切るつもりはない。将来を見据え、学生野球資格回復制度の研修会も受講した。まずは目の前の仕事で精いっぱいになるだろうが、少し余裕ができたら「副業はできないですけど、ボランティアとかであれば野球も教えてみたいですね。子供に教えるのはすごい楽しいですから」という。
現役時代はとにかく真面目に、ひたむきに野球に取り組む選手だった。その姿勢は、必ずや新たな道でも生きるはずだ。来年からは社会人として新たなスタートを切る松井淳の「第2の人生」に幸あれ。
(文中敬称略)