「どうしても野球に携わりたい思いが…」‟燕の左キラー”久古健太郎氏が大手コンサル企業から転職したワケ
トラックマンやラプソードといった機器を使って測定したデータをもとに、元プロ野球選手らが指導を行う「デジタル野球教室」が、12月21日(※)に東京都内で開催された。
この野球教室が開かれるのは、東京ヤクルトスワローズで現役を引退したばかりの青木宣親氏がスペシャルコーチを務めた11月16日に続いて2回目。今回はヤクルトやメジャーリーグで活躍した五十嵐亮太氏がスペシャルコーチとして投手を指導し、北海道日本ハムファイターズの内野守備走塁コーチを務める谷内亮太氏がバッティングとともに守備の手ほどきも行った。
さらに元ヤクルトの松井淳氏、野球アカデミーNEOLABの棒田雄大氏も、画面に表示されるさまざまな数値を選手に示しながら熱心に指導。その様子を穏やかな表情で見つめる、もう1人の元プロ野球選手がそこにいた。
現在はスポーツテック系企業で「デジタル野球教室」を企画・運営
「一応、自分がこのプロジェクトのリーダーをやっています。会社のほうでプロ向けのデータ提供はしているんですけど、アマチュア向けにもそういったサービスをやっていきたいねっていうところで、企画をリードさせてもらっている感じです」
そう話すのはこのデジタル野球教室を主催するライブリッツの久古健太郎氏(38歳)。かつては社会人野球の日本製紙石巻からドラフト5位でヤクルトに入団し、1年目の2012年に当時のセ・リーグ新人記録となる22試合連続無失点をマークするなど、サイドスローからのクセ球で「左キラー」として鳴らしたサウスポーである。
2015年には自己ベストの防御率2.55でチームのセ・リーグ優勝にも大きく貢献したが、不整脈を抱えていたこともあり2018年シーズンを最後に32歳で現役を引退した。その後は大手コンサルティング会社のデロイト トーマツ コンサルティングで第2の人生を送っていた久古氏が、今年に入って転職を決めた理由。そこには子供の頃から続けてプロにまでなった「野球」に対する思いがあったという。
「正直、本音を言うとどうしても野球に携わりたいっていう思いがあって。前の会社ではどっちかっていうと野球と関係ない部分でいろいろ勉強したので、そういったものを生かしてこっち(ライブリッツ)では野球にフォーカスしてやりたいなと思ってます」
「データばかりで頭でっかちになっちゃダメ」
スポーツとテクノロジーをかけ合わせた、いわゆるスポーツテック系の会社であるライブリッツが主催するこの野球教室は前回、今回とも硬式野球クラブに所属する中学生を対象に行われている。アマチュアの中でも、中学生に対象を絞っているのはなぜか?
「中学生を対象にやるっていうのは、僕はけっこうポイントかなと思っていて。データ、数字を使って自分のパフォーマンスをどう向上させるかっていう土台をつくる時期だと思うんですよね。もちろんデータばかりで頭でっかちになっちゃダメなんですけど、そこをうまく使ってちゃんと活用できるようになれば、絶対に成長を早くできると思うんです」
最近はアマチュアでも測定機器を使ってデータを取る機会が増えてきているとはいうものの、中学生にとってはまだそこまで馴染みがない。仮にデータを取る機会があったとしても、それをどう活用するかという問題もある。その点、このデジタル野球教室ではデータ測定はもちろん、出てきた数値をその場で指導に落とし込むコーチがいる。まずはそうした「体験」を提供したいのだという。
試合に出なくても「データで成長度合いを目に見える形にできる」
「よく聞くのが(中学)3年間の選手の成長度合いを見える形にできてないっていうことですよね。どうしても試合に出ないと成長ってなかなか確認できないじゃないですか? でもデータを継続的に取れば、どれぐらい球速が速くなったとか、どれぐらいスイングスピードが速くなったかって全部わかる。その成長度合いをちゃんとグラフ化すれば、自分の頑張りがこれぐらいあったんだとか、成長したんだっていうのを目に見える形にできるんですよ」
ちなみにこの日の参加者の中で最高球速は131.33キロ、打球速度は164.0キロ。その他、さまざまなデータが弾き出されたが、前述のとおり大事なのは「頭でっかち」にならないことだと、久古氏は語る。
「データを取ることがすべてというか『(データを)使え使え』みたいなことはやりたくないんです。ちゃんと納得感のある数字の見方をしてほしいというか、中には見なくていい数字もあるんで。たとえば人間ドックでも、数値を見て悪いところを全部治そうじゃなくて『まずここから治そうよ』とかあるじゃないですか? それと一緒ですよね」
野球という「”土地勘”あるフィールドで社会人として結果を残す」
そのためにもデータやシステムの提供だけでなく、データを活用できる人材の育成、教育にも力を入れていきたいと言う久古氏。今後は野球教室のみならず、野球とデジタルの融合に関するさまざまな事業に関わっていく予定だという。
「まずはしっかりこういう新しい事業を形にして、軌道に乗せたい。まず自分のキャリアとして、そこをしっかりつくりたいというのはあるんで、今はそこに集中してやってる感じですね。あんまり逆算して動くのは得意じゃないんで(野球という)自分の“土地勘”あるフィールドで社会人としてしっかり結果を残すためにも、まずは目の前のことをしっかり頑張って積み上げていければいいかなという感じです」
ヤクルトのユニフォームを脱ぎ、野球の現場から離れて6年。眼鏡をかけた穏やかな表情からは、現役時代を知らなければ元プロ野球選手とはわからないかもしれない。それでも「どうしても野球に携わりたいっていう思いがあって」大手コンサルタント企業から転職した久古氏は、今もまぎれもない「野球人」だった。
(※)初出時に日付に誤りがありましたので、修正しました。