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恥ずべき国に生きながら政治家も学者もメディアも口を閉ざす不都合な真実

田中良紹ジャーナリスト

 5年前に93歳で亡くなったロナルド・ドーアという英国人社会学者がいた。朝鮮戦争が勃発する直前に来日し、吉田茂の息子の吉田健一や評論家の中野好夫、加藤周一、学者の都留重人、丸山眞男らと交流し、江戸時代の日本の教育を研究して博士号を取得した。

 その後ロンドン大学、ハーバード大学、MITなどで教授を務め、日本研究の大家として米国人のドナルド・キーンと並ぶ存在だった。ドーアは「大の親日家」だったが、亡くなる4年前『幻滅 外国人社会学者が見た戦後日本70年』(藤原書店)という本を書き、中曽根政権以降の日本がアングロサクソン的価値観に染まっていくことに「幻滅」を表明した。

 経済面で言えば、日本には第二次世界大戦を戦うために政府が作り出した資本家と労働者の妥協の仕組みがあった。「1940年体制」と呼ばれるが、それが戦後の「日本型市場経済」を作り出し、日本社会に格差の少ない経済成長をもたらした。

 しかし1960年代に始まった官僚や大企業社員の米国留学制度によって、新自由主義に染まった「洗脳世代」が生まれ、その世代が出世する80年代に日本の米国化が加速されたとドーアは言う。

 外交面で言えば、戦後の日本が重視したのは「国連中心主義」だった。日本が国連に加盟した翌年、岸信介総理は施政方針演説で「我が国は国連を中心として世界平和と繁栄に貢献することを外交の基本方針とする」と宣言した。同時に日本は「自由主義諸国との協調」と「アジアの中の日本」も必要であることから、この3つが外交の基本軸となった。

 しかし米ソ冷戦によって国連は機能しなくなり、日本外交は「国連中心主義」より「自由主義諸国との協調」すなわち「米国との協調」に比重が移った。その結果、日米安保体制が「日米同盟」と呼ばれるようになり、それが80年代の中曽根政権で急速に強化された。

 ところが89年に冷戦が終わると、国連の機能は回復の兆しを見せる。90年に起きたイラクのクウェート侵攻で、米国のブッシュ(父)大統領は国連の同意を得て多国籍軍を結成、国際社会が協調して侵略に対抗することになった。これは第一次世界大戦後に作られた「不戦条約」の理想に沿う方針だった。

 日本国憲法の平和主義は「不戦条約」を下敷きにしたものである。しかしこの時日本は多国籍軍に自衛隊を参加させず、資金提供にとどめたことで国際社会から厳しく批判される。自衛隊を参加させようとした政治家は小沢一郎ただ一人で、それ以外は与党も野党もみな憲法9条を理由に自衛隊の海外派遣に反対した。

 日本は世界から国際貢献に背を向ける利己的な国家と看做され、慌てた日本政府は憲法解釈をぎりぎりまで拡大し、国連主導のPKO(平和維持活動)に限って自衛隊を参加させる国際平和協力法とPKO協力法を制定した。しかし当時の社会党、共産党、社民連は「軍国主義の復活だ」と猛反対する。

 この時ドーアはMIT教授だったが、日本の野党の態度を見て憤慨した。そこで日本国憲法制定からそれがなし崩しにされた過程を本に書き、日本人はホンモノの平和憲法を作るべきだと主張した。するとドーアは日本国内で「危険人物」と看做された。

 ドーア著『日本の転機』(ちくま新書)からそのくだりを抜粋する。「日本は陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めないとする現行憲法を政界全体のコンセンサスの下で、実際行為で踏みにじっている。それは恥ずべきことだ。

 憲法擁護という至上命題は、1950年代には政治的合理性があったのかもしれないが、その命題にこだわり過ぎて機能不全に陥っている憲法をそのまま保持しようとするのは、宗教的誠実さの証かもしれないが、頑なな非現実性か、精神分裂か、いずれかの兆候としか言えない」。

 ドーアは自衛隊を軍隊として認め、しかし侵略には使えないよう厳しく限定する条文を導入すれば、初めて本物の平和憲法ができると主張した。ところがそれを主張した途端、それまで交流のあった日本の友人たちがみなドーアから離れていったという。

 そのことにドーアは驚くと同時に戸惑う。ドーアは英国人であり米国の大学で教えながら、しかし日本を研究することで、アングロサクソン的価値観より日本人の伝統的価値観に傾倒したリベラルな人間である。それが左右両翼の日本人から冷たい目で見られるようになった。

 右派の日本人はドーアの考えが「日米同盟」を弱め、「国連中心主義」に近づくことを警戒した。日本が軍隊を持ちその使い方を限定するには、「日米同盟」より「国連中心主義」が望ましいことになる。

 米国にとって日本が軍隊を持つことは利益にならない。日本が軍隊を持てば日米安保条約が意味をなさなくなるからだ。日米安保条約は米国が軍隊を持たない日本を防衛する代わり、日本が米国に日本列島全体を基地にする権利を認めるところに本質がある。

 従って米国は軍隊ではなく自衛隊のままにして、憲法解釈の拡大で米国に都合の良い役割を負わせ、日本の領土を自由に使う権利を維持する体制を望んでいる。中曽根政権以降の日本の右傾化とは、日本の伝統的価値観を尊重することではなく、米国に都合の良い体制を強化発展させることだった。

 安倍元総理が主張した憲法改正案は、憲法9条2項(戦力不保持、交戦権否定)をそのまま残し、自衛隊を憲法に明記するというものだ。つまり米国に都合が良いように軍隊を持たず自衛隊を憲法で認めさせようとしたのである。これはまさに対米従属の道である。

 左派の日本人は憲法擁護を金科玉条としているので、ドーアの主張とは真っ向から反する。しかし左派は日本が米国に従属することにも反対だ。左派は日米安保条約によって差別的な「日米地位協定」があることを特に問題視する。

 例えば「日米地位協定」について多数の著書を出した矢部宏冶は、日本には「国境」がないと主張する。米国のバイデン大統領もハリス副大統領もペロシ下院議長も正式な手続きなしに日本に入国した。彼らは東京の横田基地に政府専用機で降り立ち、そこからヘリコプターで六本木にある米軍基地に移動し、入国手続きなしに車で東京の街に入った。

 かつて米国の要人は日本の玄関口である羽田空港から入国したが、「日米同盟」が強化されるにつれ、日本があたかも自分たちの領土であるかのような振る舞いを公然と見せるようになった。それを日本の政治家も学者もメディアも誰も何も言わない。矢部が日本には「国境」がないと主張するのはそのためだ。

 また矢部は、イラク戦争で米国に敗れたイラク政府が米国の提案する「地位協定」を修正させ、イラク駐留の米軍がイラクから国境を越えて周辺国を攻撃することを禁じたことに驚いている。そして「憲法9条を持つ日本にはなぜそれができないのだろう」と嘆く。

 日本は憲法9条の下で米軍に日本列島のどこにでも自由に基地を作る権利を与え、さらに国境を越えて周辺国を攻撃する権利も認めている。米国に敗戦したイラクにできることが同じく米国に敗戦した日本にできないのは何故か。

 さらに矢部は、米国の植民地であったフィリピンが「米比軍事基地協定」で米軍基地をフィリピン政府の指定した場所に限定していることにも驚いている。フィリピン政府は自らの意思で駐留米軍を撤退させたこともあり、米国との関係は対等である。だが矢部の指摘はそこまでで、それがなぜかを踏み込む手前で終わっている。

 米国は世界45カ国に米軍基地を置いている。基地数ではドイツが最も多く、次いで日本、韓国の順である。しかし駐留経費の国別負担では日本が44億ドルと突出して多く、次いでドイツの15億ドル、韓国の8億ドルとなる。そして各国の「地位協定」の中身を見れば、最も差別的な扱いを受けているのが日本だ。

 その理由は明確である。誰も言わないが日本には軍隊がないからだ。軍隊のない日本は防衛を全面的に米国に委ねることになる。軍隊がないため米国との間で結ばれた日米安保条約は非対称である。米国が日本を防衛しても日本は米国を防衛できない。

 その代わり日本列島全体を自由に基地にする権利を米国に与え、「地位協定」も米国の思い通りの内容になった。軍隊を持つフィリピンは米国との間で安保条約ではなく「相互防衛条約」を結んでいる。互いに守り合おうと言うのだから対等になる。

 イラクも軍隊があるから米国との関係は対等だ。だから「地位協定」をイラクの主張通りに修正することが可能となった。ドイツやイタリアの「地位協定」が日本より対等だと言われるのもそれらの国には軍隊があるからだ。

 ところが日本では誰もそのことを指摘しない。左派は憲法9条があるのになぜ日本は平和主義とは異なる行動を取るのかと嘆く。憲法9条があるために平和主義とは異なる行動を取るしかないとは誰も言わない。9条を改正して軍隊を持つことはこの国では絶対のタブーなのだ。それを米国は喜んでいる。

 そのようにして日本は憲法9条があるために米国に従属する。安倍政権の集団的自衛権の行使容認も、岸田政権が専守防衛から一転して反撃能力の保有を認めるのも、9条の枠内だからという理屈で通り抜ける。しかしそれらは日本が能動的に考えたことではなく、米国の言いなりになった結果である。

 憲法9条がある限り、日本は永遠に米国に従属せざるを得ず、自衛隊が軍事力で世界5位、国防費で世界3位の水準になっても、それは軍隊ではないので、つまり米軍に従属する武力組織でしかないので、自分の国を自分で守ることができない。

 私は日本が平和国家として生きるのならスイスを目指すべきだと主張してきた。戦乱の絶えない欧州にあってスイスは200年以上も、日本で言えば徳川後期からずっと平和を維持してきた。それはどこの国とも同盟を結ばない中立国家だったからである。

 核攻撃から国民の生命を守る核シェルターを100%完備し、他国を攻撃する兵器は持たないが、国民全員で国を守るために徴兵制を敷き、年寄りに至るまで射撃訓練を欠かさない。日本が「東洋のスイス」になるためには、国民の総意で憲法9条2項を削除して軍隊を持ち、世界の全ての国々と平和条約を結び中立国になることだ。

 ところがスイスは現在のウクライナ戦争で初めて中立政策を変更した。ロシアを「悪」、EUを「善」とみて経済制裁を科す側に回ったのだ。資源がないため金融で生きてきたスイスがロシアの資産を凍結すると、スイスに資金を預けてきた顧客に不信が生まれた。中立国スイスが「善」と「悪」とを区別するようになれば、危なくて資金を預けられなくなるというわけだ。

 それがスイスの大手銀行クレディ・スイスの経営破たんにつながったのではないかと、片山杜秀慶応大学教授が今週号の「週刊新潮」のコラムに書いている。世の中には「善」も「悪」もないことを中立国は絶対に守らなければならないという教訓である。

 資源のない日本、もうすぐ人口が半減する日本は、米国の真似をして、米国に従順になっている場合ではない。憲法9条の金縛りを脱し、自前の軍隊を持ち、世界の全てと平和条約を結び、誰とも同盟関係を持たない中立国を目指す。そしてウクライナ戦争が世界を分断する中で、くれぐれも「善」と「悪」を区別してはならないということだ。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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