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騒音トラブル防止のためには「節度と寛容」、そして「お互い様」

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(写真:イメージマート)

節度と寛容

 騒音トラブルを防止するためには、何が必要か。それは人々の「節度と寛容」である。音を出す側の節度と、聞かされる側の寛容、この2つが揃えば騒音トラブルが発生しないだけでなく、良好な人間関係や豊かな地域コミュニティを形成することができるのである。ただし、お互いが節度と寛容を持ち合わせるだけでは不十分であり、相手の節度、相手の寛容をお互いが感じ取れることが必要である。したがって、これを加味すれば、騒音トラブルの防止に必要なのは「節度と寛容とコミュニケーション」だと言える。

 これを端的に示す例として、朝日新聞の「声」の欄に投稿された37歳の主婦の小文を紹介しよう。次のような投稿である(2012年5月27日、朝刊)。

『隣家のおじいさまが亡くなった。話したことはなかったが、1通の手紙が縁で、ずっと素敵な方だと思っていた。子どもが2歳と4歳だった8年前、周りには子どもがいない静かな環境。私は「大声を出さない」「少し静かにしようね」とかなり気を使って子育てをしていた。ある日、切手の無い手紙が1通届いた。それには「隣に住むおじいさんです。子どもさんの声が聞こえることがとてもうれしいです。私は耳が遠いのでぜひもっと気になさらずに大きな声で遊んでください」と書かれていた。私は涙が止まらなかった。心がすごく熱くなった。それからは怒るのも、笑うのも大きな声でのびのびと、私も子どもも生きてこられた。隣のおじいさまに出会えて、本当に我が家は幸せでした。ありがとう』。

 騒音訴訟や殺傷事件など泥沼の騒音トラブルに係わる者として、この記事を初めて読んだ時の爽やかさは忘れられず、その後、いろんな書籍や講演などの場面で引用している。翻って現実を眺めれば、巷にある「節度と寛容」は立場を逆転させ、音を出す側が相手に対して寛容を求め、聞かされる側が相手に節度を要求するばかりになっている。

お互い様とは

 本来の意味での節度と寛容の両方がなくなり、その結果、巷に騒音トラブルが溢れる時代を迎えている。節度を持って自分自身の行いを振り返り、自分も何か迷惑をかけているかもしれないのだから相手に対して寛容であろうと思う気持ち、これを別の言葉で表したのが「お互い様」という言葉である。

 日本人は爾来、この「お互い様」という言葉のもつ感性を大変大事にしてきた。その証拠は、敬意を表す「お」と「様」の2つが付いていることである。この2つが付くというのは、本当に大事だと思っているとか、本当に敬意を払っているというものだけなのである。お天道様、お月様から始まり、お医者様にお坊様、お父様にお母様などが代表であるが、昔は、お代官様にお地蔵様なんていうのもあった。いつしか、これらから「お」と「様」が付かなくなり、両親も敬意の対象から外れてしまい、もう殆どだれもお父様にお母様などとは呼ばない。ちなみに筆者は元教員であるが、先生には「お」も「様」もどちらも付かない。昔は「様」は付いたようであるが、今時、だれも先生様などとは呼ばない。勿論、お先生と呼ぶ人など昔からいない。それどころか、今では時にセンコーなどと呼ばれたりもする。コーが付くのは先生と警察官ぐらいであり、権力を振りかざす相手への無意識の軽蔑と反発であろうか、どこか似たところがあるのは否めない。

お互い様と騒音トラブル

 騒音トラブルは、このお互い様が成り立たないところで発生しやすい。典型的な事例が、集合住宅の上階音問題である。アパートの隣室から聞こえる騒音に関しては、よほど酷い場合は別にして、すこし隣の音が響いてきても文句をいうことはない。それは自分のところの音も隣に響いていることが容易に理解できるためである。正にお互い様である。ところが、上階から響いてくる子どもの走り回る音は、一方的に上階から下階へ響くだけである。下階から上階へ音を響かせようとすれば、棒で天井を突つくしかないが、これはもう意図的な攻撃であり論外である。このように上階音問題ではお互い様が成立しないため、下階の人が一方的に被害者意識を持ちやすく、マンションなどで最も多い騒音トラブルとなっている。事件にも発展しやすく、騒音による殺傷事件が最も多いのがマンションであり、事件発生場所の53%を占める。戸建て住宅での騒音殺傷事件は10%程度であるから、いかに多いかが分かる。

 マンションの上階音だけではない。保育園、幼稚園からの子どもの声のトラブルも同じである。近隣住民は一方的に音を聞かされるだけであり、自分達が相手に対して何らかの影響を与えているという事はない。そのため被害者意識が生じ、苦情やトラブルが多くなるのである。これは公園での遊び声のトラブルや道路族問題でも同じである。犬の鳴き声の騒音トラブルでも、苦情を言う方は犬を飼っていない場合が殆ど100%である。

お互い様からウィン・ウインへ

 ではどうすればよいか。お互い様が成立しないときは、その逆を行くより他はない。お互い様というのは、お互いが知らず知らずのうちに迷惑を掛けているのだから、相手の迷惑にも寛容でいようということであるから、その逆とは、お互いが迷惑を掛けるのではなく、お互いが相手に対して積極的に配慮して、相手の利益になる誠意を見せることである。マイナス同士のお互い様ではなく、相互満足のウイン・ウインの関係を目指すことである。これは、これまで何度か書いてきた「煩音対策」に他ならない。

 この関係の築き方については、個々の様々な状況があるので、その当事者が考えるしかない。そんなことを言っても、相手に利益が生まれて、自分に損にならないようなうまい話しなどありえないと思うかもしれないが、次の事例などはどうであろうか。

 ある保育園の関係者の話では、近隣と良い関係を作るのに一番いいのは餅つきだそうだ。年末に近隣の人と園児たちが一緒に餅つき大会を行い、出来立ての餅を食べてもらうのだが、それだけではない。餅つき大会に来なかった人の所には、園児が餅を持ってゆくのである。可愛い園児たちが「おもちをつきました。食べてください」と言って訪ねてくれば、誰しも頬が緩むのは間違いない。大人が持ってゆくのとは全く違った印象になるであろう。なるほどと感心した。

 日本部活動学会が「学校部活動と近隣トラブル」というテーマでシンポジュームを開いたことがあるが、そのシンポジストの一人として高校教諭が体験談を報告した。山形県のとある高校でのことだが、硬式テニスコートの練習時に生徒の声がうるさいと近隣住宅街から苦情が発生したとのことである。それを切っ掛けに部員たちは、夏は住宅街でのごみ拾い、冬は雪かきのボランティア活動を開始した。冬の山形県の雪は半端ではないため、大雪で玄関が開かないとか、道を車が通れないという時も多く、業者に除雪を頼んでもすぐには来ず、高齢者が多いため自分たちで除雪もできないという状況の中、高校生たちがスコップで雪かき作業をやってくれることは大変に感謝されたそうだ。生徒達も近隣住民からの感謝の言葉に刺激されて積極的に奉仕活動に取り組むようになり、教育活動としても良い効果をもたらしたということである。その後、騒音のクレームが来なくなったことは言うまでもないが。これは正に、ウイン・ウインの対応である。 

 もしウイン・ウインが難しいなら、最低限、相手に配慮している気持ちだけは伝わるように努力することが肝要である。それが騒音トラブル防止の第1歩である。騒音トラブルが蔓延する現代、日本人が昔から大事にしてきた「お互い様」から一歩踏み出して、「お互い満足様」、あるいは「お互い配慮様」への意識の転換を図ること、今はそれが求められる時代になったといえる。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科を末席で卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。近隣トラブル解決センターの設立を目指して活動中。

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