初めて新聞に掲載された気象記事は東京で46センチの積雪があった138年前
東京の積雪の記録
新聞には多くの気象情報が掲載されていますが、最初の気象記事と思われるのは今から138年前、明治16年(1883年)の大雪の記事です(タイトル画像参照)。
このとき、東京では積雪46cmを観測していますが、この記録は、現在も破られていません(表1)。
東京で積雪40cm以上を観測したのはこのときだけで、30cm以上を観測したのも、昭和初期までです。
読売新聞の明治16年(1883年)2月9日号(2414号)は、東京の大雪の様子を次のように伝えています(全ての漢字についているふりがなは省略し、漢字を現代風に直した)。
一昨夜ハ四五十年来未曾有の大雪にて、一昨昨夜の夜半頃より降り始め、一昨日ハ終日降り詰めたれど、昼間の内ハ差のみ積もる様にも有らざらしが、夜に入りてますます強く降り、殊に夜半より西北の風が激しく吹き添えて、屋上樹木等の雪を吹き落としたれバ、夜明けまでに風の吹き当てし所ハ、五尺余も積り…
また、昨日は新聞の配達が困難で、遅刻や配り漏れがあったことを詫びる記事も掲載されています。
明治16年(1883年)2月上旬の東京は、今より気温がかなり低く、全ての日が冬日(最低気温が0度以下)で、最高気温も10度を超えていません(表2)。
また、明治16年(1883年)の最高気温は、令和3年(2021年)の最低気温とほぼ同じ値です(図)。
今では想像ができない寒さの中で、この記録的な大雪が降りました。
天気図が作られる前
東京気象台(気象庁の前身)で気象観測が始まったのは、明治8年(1875年)6月1日からですが、暴風警報発表のために毎日天気図を作成したのは、この大雪の1週間後の明治16年(1883年)2月16日からです。
前年に雇われたE.クニッピングによって、天気図作成の準備が進められていたときの大雪ですので、大雪時の天気図はありません。
新聞で定期的に天気を掲載
日本の新聞が初めて天気を定期的に掲載したのは、この大雪の約2か月後、明治16年(1883年)4月4日の時事新報(慶應義塾出版社発行の日刊紙)です。
天気予報が始まったのは1年以上あとの、明治17年(1884年)6月1日からですので、全国の天気実況のみでした。
慶應義塾大学創設者の福沢諭吉は、全国の天気概況の新聞掲載による効果の一つに、「日本人が持つ狭い世界に閉じこもる悪弊が改善するのでは」と考えていたようです。
時事新報の天気実況は評判をよび、新聞各誌で天気予報も含めた天気記事が定期的に掲載されるようになりました。
これを受け、東京気象台でも、明治21年(1888年)4月1日から天気予報の発表形式を新聞の編集時刻に合わせています。
月給250円の高給
神戸商船大学の半沢正男氏が平成3年(1991年)の雑誌「気象」に寄稿したE.クニッピングについての記事によると、お雇い外国人は皆高給取りであり、クニッピングも月給250円で雇われたとのことです。
今の貨幣価値に換算するのは難しいのですが、劇作家の岡本綺堂は、明治23年(1890年)に東京日日新聞社に採用された時の月給が8円であり、家賃2円65銭の一戸建ての家を借り、月給1円のお手伝いさんを雇っています。
仮に、岡本綺堂の月給が今の20万円に相当するなら、クニッピングの月給は625万円になります。
お雇い外国人の高給は、明治新政府が海外の新知識吸収に熱を入れていたことの反映と思います。
この高給によって集まった優秀な人材から学んだ人々によって、急速に欧米に追いついていた時代に降った大雪の話でした。
タイトル画像の出典:読売新聞(明治16年(1883年)2月9日)
図の出典:気象庁ホームページとウェザーマップ提供資料をもとに著者作成。
表1の出典:気象庁ホームページ。
表2の出典:気象庁資料をもとに著者作成。