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英雄パク・チソンが語った「W杯、ヒディンク、欧州進出」【ソウル現地取材】

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
パク・チソン(撮影=クァク・トンヒョク)

20年前の昨日6月30日、日本と韓国が共同開催した『2002 FIFA WORLD CUP KOREA/JAPAN』決勝戦が行われ、ブラジル代表がドイツ代表を下して5回目の優勝に輝いた。

2002年W杯20周年企画で再会

それから20周年を迎えたということで6月はスポーツ新聞各社やTHE ANSWERやWEBスポルティーバといったスポーツ総合メディアで2002年W杯特集が展開され、満を持して昨日発売されたスポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』でも「日韓W杯20年目の告白。」という特集が組まれている。

(参考記事:【写真あり】2002年サッカー日韓W杯から20年で「あの人は今」。韓国代表23人の“その後”を追跡)

筆者も共催国・韓国のW杯レガシーやソン・フンミンについて当時の関係者たちに訊くルポを担当したのだが、そこで久々に再会したのがパク・チソンだった。

イングランド・プレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドで活躍したアジアの英雄。韓国代表として3度のワールドカップ出場を誇り、マンUに在籍したときはプレミアリーグ優勝4回、チャンピオンズリーグ優勝1回を成し遂げ、2011年チャンピオンズリーグではアジア人として初めて決勝のピッチにも立った男だ。

そのサクセスストーリーの始まりが2002年W杯だった。パク・チソン本人も語る。

マンチェスター・ユナイテッド時代のパク・チソン
マンチェスター・ユナイテッド時代のパク・チソン写真:ロイター/アフロ

「もちろん、プレミア優勝などたくさんの素晴らしい思い出があるけど、僕のサッカー人生で最も幸せで誇らしかった瞬間を挙げるなら2002年W杯ですよ。2002年W杯で僕の人生も大きく変わったと言っても過言ではありません」

当時はJ2だった京都サンガに所属したが、2002年W杯でブレイク。グループリーグ最終戦のポルトガル代表戦で値千金の決勝ゴールを決めるなど大活躍を見せた。

パク・チソンが語る恩師ヒディンク

ゴール後に韓国代表を率いた名将フース・ヒディンク監督のもとに飛び込んだシーンは、今でも名場面として韓国人の多くが記憶しているし、2002年W杯から半年後、ヒディンク監督が指揮していたPSVアイントホーフェンにパク・チソンが移籍したこともあって、ふたりは“理想の師弟関係”ともされている。

あれから20年。パク・チソンはヒディンクとの出会いをこう振り返る。

「(韓国代表では)初めての外国人監督でしたからね。ほかの選手たちも同じような印象だったと思いますが、僕がそれまでの監督たちともっとも強く違いを感じたのは、ヒディンク監督は監督と選手という立場の違いこそあれ、同じ人としてコミュニケーションしてくれるということでした。選手ごとに意思疎通の方法を若干変えつつ、その選手が持つ潜在能力を最大限に引き出すために的確な指示やアドバイスもくれる。“この監督は僕をどこまで引き上げてくれるのだろう”という期待感を抱かせてくれた監督でしたね」

パク・チソンとヒディンク監督
パク・チソンとヒディンク監督写真:ロイター/アフロ

そんな信頼できる監督のもとで欧州生活に適応しながら、やがてマンチェスター・ユナイテッドというビッグクラブへとステップアップしたパク・チソン。ヨーロッパ進出を目指す後輩たちに向けてもこんなアドバイスも送っていた。

「韓国で高校、大学、プロを経てからヨーロッパに行くと、環境、文化、サッカースタイルなどでの違いを強く感じることが多いはず。そういうことを考えると、いつ、どのタイミングで海外に進出するかということも重要だと思うんですよ。ソン・フンミンやイ・ガンインも、かなり早い年齢で海外に出て現地に適応した。この事実がひとつの参考になると思います。あとはやはり、言葉ですね。本気でヨーロッパに進出したいと思っているなら、今から言葉は勉強しておいたほうがいい。言葉ができれば現地でもコミュニケーションがスムーズだし、それは練習や試合などピッチの上の出来事にも多大な影響をもたらしますから」

パク・チソンが言葉の重要性を強調するのは今に始まったことではない。

日本、オランダ、イギリスで選手生活を過ごした彼は、現役時代から言葉=コミュニケーションの大切さを語ってきた。

20歳で単身日本にやって来た彼は京都時代、練習を終えると寮の自室にこもりひたすら日本語を勉強した。PSVやマンチェスター・ユナイテッドでプレーしていたときには、専属の英会話教師から生きた英語を学び続けた。以前、ロンドンの自宅近くでインタビューしたときも言っていた。

「言葉をマスターしてこそチームメイトとコミュニケーションできるし、自分が考えていることも伝えられる。謙虚さがアジア人の美徳ですが、こっちでは自己主張できなければ生き残れません。

それに、通訳を介していると微妙なニュアンスは伝わりづらく、チームメイトや監督との距離も埋まらない。本当に重要な局面以外はなるべく通訳を使わないことが、言葉を習得する近道です。

多少、文法や単語が間違っていても思いは伝わる。これからこっちに来る選手には、言葉をマスターすることを意識したほうがいいと、伝えたいですね」

パク・チソンは現在もロンドンに生活拠点を置いている。引退後、マンチェスター・ユナイテッドの公式アンバサダーを務めつつ、FIFAマスターコースを修了。2017年11月から約1年間、韓国サッカー協会でユース戦略本部長を務めた後、2021年から指導者ライセンス取得を兼ねてロンドンに拠点を置きながら、指導の現場にも顔を出しているという。

ソン・フンミンの体育勲章授与式にも参加したパク・チソン
ソン・フンミンの体育勲章授与式にも参加したパク・チソン写真:ロイター/アフロ

「ヨーロッパのユース指導の現場は、本当にいろいろと勉強になります。ヨーロッパの指導者たちはそれぞれ自身の指導哲学のようなものを持っていますが、それを選手たちに強要したりすることはない。教えるにしても直線的な言葉を使って叩き込むという感じではなく、ある程度の自由がある大きな枠組みの中で選手たち自身が考え判断する雰囲気を作る。指導や指示を送るとき、“こうしろ”という命令でも“そうしたほうがいい”と言う意見でもなく、ほとんどが質問なんです。“どうしてあのようなプレーを選択したのか?”と尋ね、選手自らが振り返り考えるように仕向ける。その連続が、選手自身の自主性や創造力を伸ばすことに繋がっているんだと勉強させられる毎日ですよ」

毎日が大変で勉強の連続だと語るが、その表情はとても嬉しそうだった。前出の『Number』の企画ではソン・フンミンについても聞いたのだが、そのときとはまた違った柔和な表情だった。

記念撮影でもロンドンで充実した日々を過ごしていることがよくわかる笑顔を浮かべていたパク・チソン。今はKリーグ全北現代のアドバイザーという職にあるが、今後はどのような形でサッカーに携わっていくのだろうか。引き続き注目していきたい。

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

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