イスラーム過激派が追求する生き残り策
2021年2月4日、国連の報告書で「アラビア半島のアル=カーイダ(AQAP)」の指導者であるハーリド・バータルフィーが2020年10月に捕えられていたことが判明した。AQAPは、問題の2020年10月以降も広報活動(とおそらくイエメンでのささやかな軍事行動)を続け、バータルフィーの説教動画も数件発表している。同人が捕えられたとの情報が正しいのなら、AQAPは不都合な情報をまさに「なかったこと」にして不毛な広報活動を続けていたことになるし、声明類を発信する広報部門が自派の指導者の安否がわからない状態で活動を続けているというのならば、テロ組織としてはもう存在する価値すらない。最近のAQAPは、アラブ諸国とイスラエルとの「関係正常化」についての非難や、『シャルリーエブド』誌でのムハンマドの風刺画再掲問題についての論評・非難・脅迫を発表しているが、同派の上げる「戦果」はイエメンの僻地で「アンサール・アッラー(俗称:フーシー派)」を攻撃するものばかりになっており、その「戦果」も2020年10月以降は正規の形では発信されなくなっていた。「アル=カーイダ」の系列諸派が一体となって取り組むべき攻勢であるはずの「エルサレムはユダヤ化しない攻勢」についても、同派自身は業績を上げることができず、サハラの「イスラームとムスリム支援団(JNIM)」やソマリアの「シャバーブ」を応援するくらいしかできていない。それでもAQAPの言動になにがしかの「怖さ」を感じるのは、同派にはシャルリーエブド事件(2015年)や、2000年代~2010年代初めにイエメンで外交団を含む外国人への襲撃・誘拐事件や、アメリカ行きの旅客機への爆発物持ち込み事件を引き起こした実績があるからだ。考えようによっては、AQAPは過去の遺産に縋って辛うじて自らの威信や脅威を演出している状態に過ぎない、ということにもなる。
アルジェリアを中心とするマグリブ地域で活動する、「イスラーム的マグリブのアル=カーイダ(AQIM)」についても状況は同様で、2020年にフランスが指導者のアブー・ムスアブ・アブドゥルワドゥードの殺害を発表(6月)してからずいぶん経ってから、後継の選出を発表した(2020年11月)。後継の選出には、それからさらにずいぶん遅れて「アル=カーイダ総司令部」名義でアブドゥルワドゥードの殉教と後継指導者の選出をする声明が出回るおまけがついた。従来この種のやり取りは、アル=カーイダの最高指導者であるはずのアイマン・ザワーヒリーの演説動画などでなされていたことから、「総司令部」名義の声明はまさに誰が書いたかよくわからない紙切れを通じた、なんだかありがたみのない祝福となった。
AQIMについても、アイン・アミーナース(イナメナス)での石油施設襲撃事件で邦人を含む多数が犠牲になる事件(2013年)やヨーロッパ人観光客や援助団体職員の誘拐事件多数を引き起こしており、同派が何に関心を持っているかについては目が離せない所ではある。しかし、同派の本来の活動地であるマグリブ諸国での「戦果」はこのところまったく見かけなくなり、「戦果」はマリを中心とするサヘル地域で活動する系列団体であるJNIMだよりとなっている。そのJNIMにしても、最近はマリで活動する国際部隊であるMINUSMAへの攻撃を強化している旨を誇示したものの、「戦果」については「数え切れなくて全部は発表できない」というみっともない逃げを打った。業績をちゃんと広報できなければ、政治行動の一形態としてテロ行為に勤しむテロ組織としては失格であり、JNIMの軍事行動は追剥か山賊のそれと大差がないものとなっている。「戦果」やメッセージがあまり反響を呼ばなくなっているのは、ソマリアの「シャバーブ」も同様である。同派は極めて活発に活動しているように見え、ソマリアだけでなく隣国のケニアで欧米権益を攻撃する。しかし、同派がいくら「エルサレムはユダヤ化しない」などのアル=カーイダのメッセージを叫んだところで、それが国際的な報道機関に取り上げられることは稀だし、同派の戦果を喜ぶイスラーム過激派のファンも多くはなさそうだ。
みんな大好き(?)な「イスラーム国」についても、同派の犯行声明の発表の頻度はこのところ1日1件に達しておらず、それを補うはずの「短信」や「ニュース速報」にしても、シリアでの情報は別組織(のはずの)「シリア人権監視団」の情報の方がよっぽど早くて詳細になりつつある。同派の週刊の機関誌も、「ラーフィダ(シーア派の蔑称)」やナイジェリア軍を攻撃したとの記事だけが多くなり、「戦うだけでなく“カリフ制の下でイスラーム統治を実践する”ことが何よりも優れている云々」という、他のイスラーム過激派と自派とを差別化する名分を、当の本人たちが忘れてしまったかのようだ。
イスラーム過激派が追求する生き残り策
このような状況の中、イスラーム過激派が再び流行したり、生き残ったりするためにとるべき策にはどのようなものがあるだろうか?ヒントは、「イスラーム国」が持ち込んだ、「十字軍やイスラエルと闘わない」という行動様式にある。イスラーム過激派は立派な(?)政治運動の一種であり、その指導者・経営者たちは別に現世の成功を度外視して来世での報奨を追求しているわけではない。イスラーム過激派の行動にやりがいや格好良さを見出し、「殉教」に寄せられる賛辞を夢想して死んでいくのは、組織の経営にとってどうでもいい下っ端の構成員だけである。そのため、イスラーム過激派は現世での損得や勝算をよく分析した上で、攻撃対象(マト)を選ぶことになる。その結果、「勝てそうにない」、或いは「手を出すとひどい目に合う」ことになる「十字軍やシオニストへのジハード」は彼岸化され、せいぜい広報上の言辞や「単独犯」の攻撃を戦果として取り込む程度の扱いとなる。最近では、フランスに対する攻撃や脅迫が激化する一方で、エルサレムの問題や新疆・ウイグルの問題にイスラーム過激派がまるで行動を起こさなかったことが記憶に新しい。こうして、「イスラーム国」も攻撃や非行の範囲と対象を加減するようになった。イラクやシリアでの同派の活動が、イランとその仲間を象徴する「ラーフィダ」や「ヌサイリー(アラウィー派の蔑称。シリア政府とその配下の組織を指す)」を主な対象とするのはまさにそのためだ。もちろん、時折PKKと称してアメリカの手先である「シリア民主軍」を攻撃することも忘れたわけではないが、「シリア民主軍」を打ち破らない程度の攻撃は、「シリア民主軍」とそれを手先として使うアメリカ軍がシリアで活動するのを正当化するのに大いに役立ち、アメリカにとっては痛くもかゆくもない活動だ。
ここからさらに進んで、「経歴ロンダリング」を行って国際社会、特に西側諸国に存在を認めてもらおうとしているのが、「シャーム解放機構(シリアにおけるアル=カーイダ。旧称:ヌスラ戦線)」だろう。このようにして生き残りを図る上では、当然のことながら西側諸国に何か「奉仕」する必要があるだろうが、最低条件として必要なのは、「アメリカとイスラエルをはじめとする西側諸国とその権益を攻撃せず(悪口も言わない)、専ら西側諸国の敵(シリアの場合はシリア政府とその同盟者)だけを攻撃する」ことだろう。そのかいもあって、「シャーム解放機構」の指導者であるアブー・ムハンマド・ジャウラーニーは、紳士然としてアメリカの記者を歓待し、そのインタビューを受けることに成功した。ジャウラーニー自身は、イラクのアメリカ軍と戦うために「二大河の国のアル=カーイダ(「イスラーム国」の前身)」に合流した輝かしい経歴の持ち主である。
(詳しくは、青山弘之「ガラパゴス化するシリアのアル=カーイダとシリア・ロシア軍の戦闘が激化」を参照)
「シャーム解放機構」の「経歴ロンダリング」ほど頑張らなくとも、アメリカの都合によって「テロリスト」ではなくなった「トルキスタン・イスラーム党」のような例もある。「シャーム解放機構」、「トルキスタン・イスラーム党」、そしておそらく今後の「イスラーム国」のように、当初は何かの大義名分のもと一定の支持・共感を得ていた武装勢力が、紛争を通じて獲得した既得権益を維持するため、大義名分も支持者も顧みなくなるという現象も、世界的な非国家武装主体の観察事例の中では珍しいことではない。
それでもイスラーム過激派が滅亡しないのは何故か?
以上のように現状を観察すると、イスラーム過激派が生き残りを図るには、彼らが持っていた(ことになっている)「思想」や「メッセージ」を形骸化させ、国際関係や大国の政局などの「大人の事情」に適応していくことだろう。少なくとも、イスラーム過激派諸派の指導者たちは、なにがしかの政治・社会状況(特に紛争)に乗じて「ひとやまあてる」ことを欲する企業家の一種としての性質を帯びており、このような性質も非国家武装主体の在り方としては別に不思議なことでも何でもない。筆者としては、イスラーム過激派特有の背景として、見るべき思想も社会的病理もないと考えるようになって久しい。となると、彼らの害悪を軽減根絶して、「担当者」や「専門家」が失業するという目標を達成するには、「資源を提供しない、利用しない、過剰反応しない(もてはやさない)」という一般的な犯罪対策を地道に遂行することが早道だ。
それにもかかわらず、残念ながらイスラーム過激派の脅威を喧伝し、その背景となる「思想」や社会的病理(例えばイスラームフォビアや格差や貧困のようなもの)をことさら強調する言辞は絶えそうにない。その結果、イスラーム過激派が「気にしなくていい」程度まで減ることも難しそうだ。それは、イスラーム過激派をネタとし続けていた方が何かと好都合な当事者が、いろいろなところに沢山いるからだろう。こちらの方の「大人の事情」は案外身近なところで見つかることが多いかもしれない。