『叫び』の画家ムンクの大展覧会 パリ・オルセー美術館
オルセー美術館で「ムンク展」が始まりました。
「Edvard Munch. Un poème de vie, d'amour et de mort (エドヴァルド・ムンク 生と愛と死の詩)」と題したこの展覧会は、絵画はもちろんのこと、版画、ドローイングまで100点ほどの作品から成り、ムンクの初期から晩年までの多様な芸術活動を回顧するような流れになっています。
ムンクといえば、ノルウェーが誇る世界的な画家。首都オスロの美術館から相当な数の作品がパリに来ています。
彼の作品の中では『叫び』があまりにも有名です。私たちがすぐに連想する色彩の『叫び』は、門外不出のようで、この会場にやってきてはいませんが、同じテーマでムンクが何度も繰り返し制作したシリーズが複数展示されています。
1人の画家の展覧会を観るとき、飾られた絵だけを純粋に鑑賞するのが良いのか、それとも画家の背景、つまり時代背景やその人の生涯を知った上で鑑賞するのが良いのか、迷われることはありませんか?
今回の展覧会は、圧倒的に後者を選ぶ人が多いのではないかと思います。観る者に得体の知れない不安の連鎖を引き起こす『叫び』のような作品で有名な画家ですから、どういう精神構造であの絵を描いたのか、それがどうしても気になるところです。
ネット検索をすれば、ムンクの生涯については苦もなくかなり微細な部分まで知ることができます。
生年は1863年、没年は1944年。つまり80歳まで生きた人。1880年にノルウェーの王立絵画学校に入学し、20代はじめから展覧会への出品を始めたようですから、画家としてのキャリアは60年になります。
彼の生涯を調べると、幼少期から家族の病気、死が大きな影を落としていたことがわかります。精神障害、アルコール依存症という言葉とも無縁ではなく、苦悩がついて回った人だったことが想像されます。
ムンクの人生の最初と最後はノルウェーが舞台ではありましたが、留学を機にパリには何度も訪れていて、アール・ヌーヴォー時代、そして印象派、ナビ派、後期印象派の画家たちの作品からも大いに影響を受けました。
その後はドイツのベルリンを拠点に制作をし、多くの批判にさらされながらも、徐々に支持者を獲得し、複数の画廊と契約を結ぶなど人気画家になってゆきます。
ところで、北欧に生まれ、パリ、南仏で新境地に目覚めた画家と聞いて思い出されるのがゴッホです。
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853ー1890)は、ムンクより10年前に生まれ、37歳という短く苦痛に満ち、制作に明け暮れた生涯を送った人。いまだに謎とされる彼の死には、拳銃の火薬の匂いがします。
一方、ムンクは30代後半で破局を迎えることになった女性との諍いで指に銃弾を受けてしまうというアクシデントに見舞われたと言いますから、そんなところでも何かゴッホとの因縁を感じてしまいます。
ムンクはゴッホができなかった長生きをします。そのために膨大な作品を残すことができ、作品の評価が高まるにつれて経済的にも恵まれ、生きている間にドイツ、ノルウェーの国立美術館で大展覧会が開かれ、勲章を与えられる名誉にも浴しています。
では、彼の生涯はゴッホよりも幸福だったのか?
それは誰にも分からないし、そもそも比べることすらナンセンスでしょう。確かなことは、ムンクが名声に恵まれた後半生には、2度の世界大戦があり、ナチスに翻弄されて生きなくてはならない時代と場所にいたということ。
ムンクが没したのはナチス支配下の44年1月。レジスタンスの抵抗が激しい時期で、破壊工作のためにオスロ郊外のムンクの家の窓ガラスも吹き飛ばされ、若い頃から弱かった気管支を痛めたことが死因になったのだとか。80歳の病身で戦時下のノルウェーの冬の寒さはあまりに辛かったことでしょう。
生きることの苦悩を思わずにはいられないこの展覧会の締めくくり。もしかしたら気づかずに通り過ぎる人も多いのでは、という場所に掲げられたムンクの言葉に、少し救われたような思いがします。
(1930ー35年のスケッチブックから)
パリのムンク展は来年の1月まで開催されています。久々にパリへ、という方はぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
パリ オルセー美術館
「エドヴァルド・ムンク 生と愛と死の詩」展
2022年9月20日から2023年1月22日まで