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老醜を笑うのは不謹慎。では、怖がるのは? ホラー映画『ラ・アブエラ』

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
老いの被害者である孫と祖母。2人の女優はともに元モデルである

老いるのは怖い。

60歳直前になると人生の下り坂を実感する。股関節は痛いし、物忘れは激しくなるし……と、転がり落ちるように体も頭もこのまま不調になっていくのだろう。

「老いても美しく」なんて言う人もいるが、慰めにしか聞こえない。そういう人はフィジカルとインテリジェンスの超人であるか、美しさなんてレベルを達観した高みにある人なのであろう。

「老醜」というのは嫌な言葉だが、老いの真実は美よりも醜に近いのでは、とギャスパー・ノエ監督の映画『Vortex』などを見ていると思う。

本当に老いが美しいのなら、誰もが老いたがるのだろうが、現実にはそんなことは起きていない。外見にしても頭にしても、いかに老けないか、いかにボケないかに奔走する人ばかりだ。

老いは怖い。できれば避けたいが避けられない。老いは誰にも平等にやって来るが、だからと言って、それで心がやすらぐわけではない。

若さと老いと美の関係を象徴するシーン
若さと老いと美の関係を象徴するシーン

■老いの被害者が女性、の必然

そんな老いへの恐怖をそのままホラーにしたのが、映画『ラ・アブエラ』だ。

ラ・アブエラ(La abuela)とはスペイン語で「祖母」の意味。パリでモデルをしていた孫が、脳挫傷で倒れた祖母の介護でマドリッドへ帰って来ることから、物語は始まる。

祖母は老いて病に倒れ、30歳手前の孫娘はベテラン扱いされ仕事が減っていた。

つまり、ともに老いの被害者であり、団結して立ち向かえば美しいのだが、そうはならない。

2人の主人公が女性であるのは偶然ではない。

一般的に男性よりも、女性の方が若さと美へのこだわりが強く、それらを失うことへの恐怖心も大きい。「若さと美」、「老いと醜」という対比で物語を動かすなら、男性同士あるいは男女混合の設定は考えにくい、ということだろう。

実は、孫娘役のアルムデナ・アモール、祖母役のベラ・バルデスとも元モデルである。特にベラはココ・シャネルお気に入りの超一流モデルだった。

実生活で美を売り物にする職業だった2人が、老いの恐怖、その中に避けられなく存在する、美を失う恐怖を演じるのは興味深い。

いくら祖母を愛していても、介護はやはり手に余る
いくら祖母を愛していても、介護はやはり手に余る

■老婆を怖がるのには抵抗がある

とはいえ、老婆を恐怖の対象とすることには居心地の悪さを感じた。

ふらりふらりと徘徊して、とんでもない場所から出し抜けに、正気ではない目つきで現れるざんばら髪の老婆に、遠慮なく悲鳴を上げていいのだろうか?

老人を怖がるホラーとは、老人のモンスター化である。

この世の物ではない怪物や幽霊を怖がるのに遠慮はいらないが、老人とは歳を取っただけの人間。物語的にはいずれ魔物になるとはいえ、そのプロセスではお年寄りの特徴を有している。その肉体と心の崩壊ぶりは確かにああなりたくない、という意味で怖いものの、化け物扱いして怖がるのには抵抗がある。

祖母、娘、孫の三世代がそろった『レリック -遺物-』
祖母、娘、孫の三世代がそろった『レリック -遺物-』

老人の体と頭の不調をコメディにしても笑えない。同様に、ホラーにしても素直に悲鳴を上げられない。『レリック -遺物-』やナイト・シャマラン監督の『オールド』(の、ある登場人物の扱い)を見た時と同じ違和感があったのは、私がまさに老人の手前だからなのだろう。

※『ラ・アブエラ』の写真提供はサン・セバスティアン映画祭。『レリック -遺物-』の写真提供はシッチェス映画祭。

映画『Vortex』についてはこちらに書いた。

新人女優アルムデナ・アモールについてはこちらにも書いた。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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