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東京-札幌間の輸送は、いつ鉄道から飛行機へ逆転したのかを検証してみると。

鳥塚亮大井川鐵道代表取締役社長。前えちごトキめき鉄道社長
1970年代、全日空の主力機だったボーイング727型機(撮影:川田光浩氏)

利用者が新幹線か飛行機かを選ぶ決め手となるのは「4時間の壁」と言われています。

本当にそうなのでしょうか?

ということで先月このコーナーで書きましたのがこちら。▼

新幹線の壁 本当に越えなければならないのは「4時間の壁」ではなくて「1万円の壁」という現実。

たくさんの反響をいただきましてありがとうございました。

この春のダイヤ改正で東京-函館間は念願だった4時間の壁を克服したようですが、本当に利用者が増えてくれれば良いなあと考えています。

しかしながら、今後、札幌まで延伸するとしても5時間はかかるでしょうから、いったいどれだけ利用者がいるかというと、はなはだ疑問が残ります。

筆者は北海道新幹線は絶対に必要だと考えておりますが、それは今目に見えていない潜在需要というものを掘り起こすことで、必ずこの国の発展に寄与すると考えているからですが、それは可能性にチャレンジするという点では「国策」として行うべきことであり、一株式会社であるJR北海道が負担するべきものではありません。まして、JR北海道は経営立て直しで躍起になっているのですから、そういう会社に強制的に重荷を背負わせることは道理に合わないのではないかと考えているのであります。

現実問題として、東京から札幌へ行く人のいったいどれだけの割合が「はやぶさ」から「スーパー北斗」に乗り継いで鉄道で行っているかというと、詳しい統計は出ていないようですが、函館ならともかく札幌となると、観光目的の途中下車を楽しみながら行くという需要を除くと、札幌を目的地とする場合はおそらくほぼ100%の皆さんが飛行機を利用しているのではないかと推測できます。

そこで、過去を振り返ってみて、いったいいつごろから人々は鉄道から飛行機へシフトしていったのか、筆者が所蔵する過去約50年分の時刻表の中から該当しそうな部分をひも解いて調べてみました。

鉄道の利用者数を割り出してみる

時刻表をひも解くことで実際に何本の列車が走っていたのかを調べます。

その列車の本数と編成両数から座席数を割り出して、飛行機の座席数と比べることで、当時の東京-札幌間の需要を割り出そうと考えてみました。

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1972年(昭和47年)3月号の時刻表です。

この時、それまで東京から新大阪までだった新幹線が岡山まで延伸開業したことで、全国白紙ダイヤ改正が行われた昭和40年代の国鉄の歴史に残るダイヤ改正号ですが、その時刻表の付録に特急列車のみを抜粋した「特急列車時刻表」というのがあります。

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その特急列車時刻表の上野・大阪-北海道〈下り〉のページです。

これを見ると、上野-青森間の昼行特急が「はつかり1~3号」に「みちのく」の4本。

夜行特急が「ゆうづる1~4号」「はくつる」「あけぼの」の合計6本あります。

(当時の列車の1~4号という番号は上り下りで偶数奇数と区別されていませんでした。)

この他に急行列車というのも存在していましたので、この特急時刻表だけでは正確な輸送力は把握できません。まして青森から青函連絡船に乗らずに仙台や盛岡で途中で下車してしまう方もいらっしゃると思いますので、この付録ではなく、函館で青函連絡船から接続する北海道側の特急・急行列車を見てみることにします。

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これが函館から札幌方面へ向かう1972年3月の時刻です。

臨時列車を除く定期列車では函館から札幌方面へ向かう列車は特急が7本、急行列車が6本の計13本あることがわかります。

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そしてこちらが時刻表巻末の列車の編成表です。

食堂車を連結した長編成で運転されていたことがわかります。

この編成表を基に、各車両の形式ごとの座席定員に編成両数を掛けて輸送力を割り出してみると、1日約8000席が供給されていたことがわかりました。

※計算例

1D おおぞら1号 13両編成 基本10両+増結3両

車両構成 

運転席付普通車キハ82(座席定員52)×3両 = 156席

中間普通車キハ80(座席定員72)×7両 = 504席

グリーン車キロ80(座席定員48)×2両 = 96席

食堂車キシ80(座席定員0)×1両 = 0

合計座席数 756席

この数字には当然、大阪方面からのお客様も含まれているとは思いますが、青森での大阪方面からの接続列車は「白鳥」と「日本海」の2本だけですから、現実的な数字としては、多少多く見積もったとしても東京方面から北海道連絡の座席供給数を8000席として考えてみることにします。

東京-札幌の航空路線の座席数は

これに対して飛行機はどれだけの座席数があったのかを見てみましょう。

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同じ交通公社の1972年3月号の巻末に掲載されている航空ダイヤです。

これを見ると、日本航空が13本、全日空が12本飛んでいることがわかります。

日本航空が使用していた飛行機の機種は「DC」とありますからDC-8。

全日空の「B」はB-727です。

DC-8は約230名乗り、B-727は178名乗りでしたので、この座席数と便数をそれぞれ掛け合わせてみると1日あたりの座席供給数は約5100席となります。

鉄道の8000席に対して、飛行機は5100席ですから、鉄道に軍配が上がります。

1972年の時点では、座席数で見る限り、東京-札幌間の需要としては圧倒的に鉄道利用が多かったということになります。

1976年の時刻表は?

では、その4年後の1976年(昭和51年)8月号の時刻表巻末の航空ダイヤを見てみましょう。

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この赤枠で囲った部分が東京-札幌間の飛行機です。

日本航空が14便、全日空が12便と便数は4年前とほぼ変わりません。

そこに東亜国内航空が1便新しく就航しています。

便数ではそれほど変わっていませんが、航空時刻表で大きく変わったのは使用されている飛行機の機種です。

それまで、日本航空はDC-8(230席)、全日空はB-727(178席)で運航されていましたが、1976年になると日本航空はDC-8の便が1便だけとなり、残りはD10とSRという表示になっています。全日空もB-727の便が消えてTRになっています。

D10:DC-10(310人乗り)

SR:B-747SR(490人乗り)通称ジャンボジェット

TR:ロッキードトライスター(306人乗り)

これらはワイドボディーと呼ばれる飛行機で、それまでの客室内に通路が1本のナローボディー機から、客室内に通路が2本ある大型機に変わりました。

日本航空がB-747SRジャンボジェットを国内線に導入したのが1973年(昭和48年)、DC-10は1976年(昭和51年)、全日空がトライスターを導入したのが1974年(昭和49年)と、この4年間に国内線の空は一気に大型機の時代を迎えていたのです。

1995年まで全日空で活躍したトライスター(撮影:川田光浩氏)
1995年まで全日空で活躍したトライスター(撮影:川田光浩氏)

東京-札幌間では便数こそほとんど変化がありませんが、使用する機材が一気に大型化しました。

これは発着枠と言われる空港の離着陸制限のためで、日本の空港はまだまだ整備が進んでいなかったため発着便数を増やすことができませんでしたので、その分使用する機材を大型化したのです。

このように国内線にワイドボディー機がひしめくように飛んでいるのが見られるのは日本独特のもので、アメリカでもヨーロッパでも国内線でジャンボジェットが頻繁に飛んでいるところはありませんでしたので、日本の航空路線では世界的にも珍しい現象が起きていたのです。

この時の航空輸送力を計算してみると、

日本航空

DC-10 310席×5便 = 1550席

B-747 490席×8便 = 3920席

DC-8 230席×1便 = 230席

全日空

トライスター 306席×12便 = 3672席

東亜国内航空

DC-9 128席×1便 = 128席

合計 9500席

これに対して1976年8月の函館-札幌間は臨時列車を除くと

特急列車8本、急行列車5本の合計13本。

1972年3月は特急7本、急行6本の合計13本でしたから特急の比率が増えましたが列車本数では同数となっています。

1972年→1976年で輸送力は変わらずと考えて8000席。

つまり、1976年の時点で東京-札幌間の輸送は鉄道から航空機へ逆転現象が起きていたということになるのです。(時刻表画像は省略)

北海道新幹線はいつ計画されたか

東海道新幹線が東京-新大阪間に開業したのが1964年(昭和39年)。岡山まで延伸したのが1972年(昭和47年)です。

その後1975年(昭和50年)に博多まで開業しました。

当時の日本は新幹線を全国に広げようと考えていました。

その中で、

北海道新幹線

東北新幹線

北陸新幹線

九州新幹線(鹿児島ルート)

九州新幹線(長崎ルート)

の5つの新幹線を「整備新幹線計画」と位置付け、建設推進をしましょうと国が決定しました。

それはいつの話かというと、1973年(昭和48年)11月のことです。

日本航空が国内線にB-747SRジャンボジェットを導入したのが同じ1973年ですから、つまり、この時すでに東京-札幌間のみならず全国の長距離輸送は航空機の時代を迎えていたことになりますから、実は新幹線の建設は急務だったのです。

ところが、どういうわけかこの整備新幹線計画はなかなか進みません。

その理由は国鉄赤字によるもので、新幹線は計画されたものの、建設は進まない状態でした。

そして、そうこうしている間に、全国的に航空路線が発達してしまったのです。

モータリゼーションもそうですが、一度車の便利さを知ってしまった人はなかなか鉄道には戻ってこないように、一度飛行機に乗って北海道や九州へ行った人は、それまでの夜行列車や連絡船を乗り継いで延々10数時間かけて鉄道で出かける気にはなりません。

国民の長距離輸送の流れは一気に鉄道から飛行機へと移ってしまったのです。

実は、整備新幹線計画ができた時点で、すでに鉄道から飛行機へと時代は移り変わっていた。

これが時刻表を検証してみた結果判明した新幹線と飛行機の関係です。

ということは、東京から札幌へ向かう新幹線に求められるのは、鼻先をできるだけ長くして最高速度で一目散に地面を駆けることではなくて、本当はもっと別の部分ではないかと筆者は考えるのですが、鉄道会社の人たちは鉄道の仕事しかしたことがない人たちの集まりですから、当然のように今までの鉄道の延長線上で物事を考えているようです。

この辺りにもしかしたら「ものづくり大国・日本」の意外な落とし穴があるような気がします。

20代、30代の人たちはもちろんですが、おそらく40代の人たちも、このような経緯で人々は鉄道から飛行機へ移ってきたということは御存じないと考えますので、本日は東京-札幌間の輸送を例に、鉄道と飛行機がいつ逆転したのかということを、昔の時刻表を使って検証してみました。

ここからさらに、時間の壁ばかりでなく、運賃料金の問題や予約開始の時期の問題など、様々な問題で新幹線は飛行機に比べて「利用しづらい」状態になっていますので、折を見てそのお話をさせていただきたいと考えています。

※時刻表資料は筆者所蔵の号から抜粋したものです。

大井川鐵道代表取締役社長。前えちごトキめき鉄道社長

1960年生まれ東京都出身。元ブリティッシュエアウエイズ旅客運航部長。2009年に公募で千葉県のいすみ鉄道代表取締役社長に就任。ムーミン列車、昭和の国鉄形ディーゼルカー、訓練費用自己負担による自社養成乗務員運転士の募集、レストラン列車などをプロデュースし、いすみ鉄道を一躍全国区にし、地方創生に貢献。2019年9月、新潟県の第3セクターえちごトキめき鉄道社長、2024年6月、大井川鐵道社長。NPO法人「おいしいローカル線をつくる会」顧問。地元の鉄道を上手に使って観光客を呼び込むなど、地域の皆様方とともに地域全体が浮上する取り組みを進めています。

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