特別警報を誕生させた4年前の台風災害と新十津川町を誕生させた126年前の台風災害
平成23年(2011年)は、3月11日の東日本大震災による津波や、9月3日に高知県に上陸した台風12号による紀伊半島を中心とする大雨で極めて大きな被害が発生しました。気象庁が発表していた警報等の防災情報だけでは、十分な対策がとれていない例があったことなどから、気象庁では大規模な災害の発生が切迫していることを伝えるため、「特別警報」を創設しました(平成25年8月30日から施行開始)。
東側に強い雨雲を伴った平成23年の台風12号
平成23年8月25日9時にマリアナ諸島の西海上で発生した台風12号は、発達しながらゆっくりとした速さで北上し、30日には中心気圧が965hPa、最大風速が35m/sの大型で強い台風となり、その後もゆっくりとした速度で北上を続け、9月3日10時前に高知県東部に上陸しました。台風が大型で、動きが遅かったため、台風周辺の非常に湿った空気が同じ場所に長時間流れ込み、紀伊半島を中心に記録的な大雨となり、8月30日からの総降水量は1000mを超えています。気象衛星画像によると、上陸寸前の台風12号の眼は100km以上あり、東側に発達した雨雲があります。これは、台風の強い風や雨は、台風が上陸した高知県ではなく、中心の東側の紀伊半島にあることを示しています。土砂災害、浸水、河川のはん濫等により、和歌山県、奈良県、三重県を中心に死者・行方不明者が98人という大きな被害が発生しました。
北海道に新十津川村
今から126年前の明治22年(1889年)8月19日に台風が四国に上陸し、死者1247名などの大災害が発生しています。その災害の様相は、平成23年の台風12号と似ており、原因となった台風の強さや進行速度も似ています(図2)。熊野川下流では、上流の奈良県側で降った雨も加わって大洪水となり、熊野川中洲の大斎原(おおゆはら)にあった旧熊野本社大社が流出し、約800m北西の高台に遷座するきっかけとなっています。熊野本宮大社は、創建が不明(伝崇神天皇代)ですが、複数ある熊野古道の終着点が大斎原であることなどから、社地は創建以来その中州にあり、明治22年の洪水が起こるまでは社殿が流されることはなかったと考えられています。これは、1000年に一度の大雨に加え、明治以後に山林の伐採が急激に行われたために山林の保水力が失われていたのではないかと考えている人もいます。
熊野川上流の、奈良県では、十津川郷の6か村(北十津川村・十津川花園村・中十津川村・西十津川村・南十津川村・東十津川村)でも多くの山崩れを引き起こし、死者168名などの被害がありました。十津川郷で特に被害が大きかったのは、大規模な山崩れが多数発生したことと、これに伴って河道閉塞(通称「天然ダム」)が多数形成され、これが決壊した下流に多量の土砂を押し流したことによります。壊滅状態となった十津川周辺の村から600戸(約2500人)の住民が北海道に移住し、空知の土地を開拓して、新十津川村を作っています。このため、北海道新十津川町の町章と奈良県十津川村の村章は、ともに「菱十」です。
災害を契機に北海道へ移住したのは、新十津川村だけではありません。明治40年8月下旬の2つの台風による大雨で大きな被害が発生した山梨県から、北海道南部にある羊蹄山(蝦夷富士)の南麓から東麓にかけて集団移住が行われました。蝦夷富士とも呼ばれる羊蹄山の周辺にある「甲斐」や「山梨」がついている地名が、その名残をとどめています。
台風は移動がゆっくりの場合が危険
多くの人は、台風は最大風速が大きく、暴風域広い場合は、特に警戒をします。そのような台風には特に警戒が必要なのですが、それと同様に、移動がゆっくりの台風や、台風接近前に雨が降り続いている場合の台風も厳重な警戒が必要です。「台風の勢力が強くて大きい」「台風の進行速度が遅い」「台風本体の雨雲が接近する前(接近した後)にも雨が降る」の3つの場合は、大災害が発生しやすいので警戒が必要です。平成23年の台風、明治22年の台風は、この3つの条件をともに満たしていました。
図2の出典:饒村曜(2011)、気象災害から学ぶ、近代消防11月号、近代消防社。