信号無視の車に奪われた愛娘の命 事故から2年、法廷で被告に質問ぶつけた父の悲憤
2020年3月14日に東京都葛飾区で発生した、赤信号無視による父子死傷事故。
自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)罪で在宅起訴された元配送業の高久浩二被告(69)の裁判員裁判が、2022年3月8日から東京地裁(西野吾一裁判長)で集中的に開かれています。
●第1回公判(3/8) 冒頭陳述、被告人質問
●第2回公判(3/10) 被害者・遺族への証人尋問11
●第3回公判(3/11) 情状証人(被告の息子)への尋問、被告人質問
●第4回公判(3/14) 心情意見陳述(被害者の父)、論告、弁論
●判決 (3/22)
一緒に横断歩道を歩いていた娘の耀子さん(当時11)を亡くし、自らも重傷を負った父親の波多野暁生さん(44)は、法廷で初めて会った被告の態度に、強い憤りを覚えたと言います。
「初公判の日は10時15分から16時まで、丸一日、高久被告と同じ法廷にいました。しかし、被告は初めて会う被害者遺族の私と、1秒たりとも目を合わそうとはしませんでした。結局、この日は、申し訳ないことをした、という謝罪の言葉すら聞くことはできなかったのです」
■事故から1年後「危険運転致死傷罪」で起訴された加害者
この事故については、2021年3月22日、以下の記事でレポートしました。
<亡くなった娘と撮った家族写真 赤信号無視の車に断ち切られた未来(柳原三佳)個人-Yahoo!ニュース(2021.3.22)>
事故発生から1年以上経っても起訴されず、加害者からは直接の謝罪や見舞いどころか、電話の一本もないまま放置……。
その理不尽な状況にどうしても納得できなかった波多野さん夫妻が、実名を出し、最後の家族写真を公開してでも訴えたいと連絡をくださったのがきっかけでした。
この記事が公開されてから約1週間後、大きな動きがありました。
2021年3月末、加害者が赤信号を殊更に無視したということで「危険運転致死傷罪」で起訴され、裁判員裁判で裁かれることになったのです。
そして、同年6月から公判前整理手続きが始まり、11月に刑事裁判が開かれる予定でしたが、被告が実況見分時に供述した内容の一部を変えたため、4カ月延期されての初公判となりました。
■赤信号だったが「行けるかな、と思って行っちゃいました」
耀子さんの2回目の命日を目前に、ようやく始まった初公判。被告人尋問で高久被告は、自身が赤信号無視をした理由についてこう述べました。
「(駐車車両が前方の左車線に止まっていたので)いずれは第二車線に行かないとダメだなと、そのように思って信号を見たときに、『今、赤に変わったばかり、今のうちなら行けるかな』と思って行っちゃいました。今考えると、止まればよかったと思います。赤信号なのだから」
つまり、前方の駐車車両によって行く手を阻まれることを避けるため、他の車が赤信号で停止している間に車線変更をし、交差点を抜けてしまおうと思った、というのです。
波多野さん親子が被告の車にはねられたのは、片道2車線の横断歩道を半分以上進んだ地点でした。しかも、二人が横断を始める前に、別の自転車も横断していたことがわかっており、信号の色が変わってすぐの事故ではないことは明らかでした。
そんな状況の中、高久被告がこだわったのは、「自分が赤信号を確認した地点は、実際にはもっと停止線に近い場所だった」ということでした。
事故直後の実況見分では、停止線から28メートル手前の地点で赤信号を確認したと供述していたものの、事故から1年半後に弁護士と現場で検証したところ、そんなに手前ではなく、12.4メートル地点だったと供述内容を変えたのです。
暁生さんは語ります。
「供述内容を変えることによって、てっきり『危険運転致死傷罪』の成立を争うつもりなのかと思ったら、そうではないと言うのです。危険運転を争わないなら、なぜ、赤信号に気づいた地点にそこまで固執するのか? 一方で、横断歩道よりも前方に止まっていた駐車車両に気をとられながら、信号は見ていなかったという意味不明な主張に終始していました。それだけに、こんな人間に耀子を殺されたのかと思うと、悔しくて涙が滲みました……」
また、被告はこの日、証言台でこのような言葉も発しました。
「女の子が亡くなったと聞いて、これは本当のことを警察に言わなくてはいけないと、思い出そうと必死になった。けれど、実況見分は事実と異なる……」
傍聴席で一連の尋問を聞きながら、いったい何が真実なのか混乱するばかりでしたが、初公判は、ほぼこうしたやり取りで時間を消費し、終了したのでした。
■事故から2年「ほったらかし」被告への怒り
第2回公判は2日後、3月10日に行われました。
証言台に立ったのは、暁生さんと、事故直後の現場に駆け付け、耀子さんが搬送される救急車に乗り込んだお母さんの証人尋問でした。
暁生さんは、事故当日の状況、冷たくなった耀子さんとの対面、車椅子でなんとか参列した葬儀の状況、そして亡き娘への思いを切々と語りました。
「耀子は我々にとってただ一人の娘であり、双方の祖父母にとっても一だけの孫でした。とてもやさしく、誰にでも可愛がられる自慢の娘でした。一言では言えませんが、耀子は世界で最も愛する存在です。彼女がいたから仕事も頑張ることができた、かけがえのない存在です。耀子のことを考えない日は1日もありません。守ってやれなかったという後悔ばかりです……」
第3回公判は、3月11日に行われました。
この日は、被告と同居する長男が情状証人として証言台に立ち、父親は普段乱暴な運転をするような人間ではないこと、事故後、父親の免許をすぐに返納し、車も廃車し、配送の仕事は辞めたこと、家族で波多野さんに対する謝罪の気持ちを抱いている、といった内容の証言を行いました。
この日の午後、父親の暁生さんは被害者参加制度を利用し、被告に向かって直接、次のような質問を投げかけました。
被告は、白髪で丸刈りの頭を下に向けてうなだれ、時折言葉を詰まらせながら言葉少なに答えました。
父 あなたはこの法廷で、私と一度も目を合わせないのはなぜですか。
被告 申し訳なくて……。
父 今日になってやっと「申し訳ない」という言葉が出ましたが、本当に反省しているのですか。
被告 申し訳ないと思っているのは本当です。
父 あなたも人の親なら私たちの気持ちはわかりますね。
被告 はい。逆の立場なら絶対に許せない、何をされても許せないと思います。
父 事故から2年間、謝罪も一切なくほったらかしにして、情状酌量の余地があると思いますか。
被告 ないと思います。
父 耀子の死因について、知っていますか。
被告 聞いていません。聞くのが怖かったんです。
父 検察から耀子の生前の写真(※暁生さんが耀子さんを肩車しているカット)を見せられてどう思いましたか。
被告 明るくて楽しそうな家庭を私の身勝手で壊してしまい、申し訳ありません。
父 耀子は死んで、私は重傷を負いました。あなたはどのように責任を取っていくのですか。
被告 裁判官の判断にお任せします。何年でも入ります。
父 どのように謝罪するつもりですか。
被告 頭を下げて謝るしかないと思っています。
父 であれば、なぜ今まで、一度も謝罪に来ないのですか。
被告 謝罪の仕方がわからなかった。コロナもあってかえってご迷惑がかかるから、遠慮した方がいいと思いました。
■自身の親族の墓に「謝った」と述べた被告
次に、波多野さん側の被害者参加代理人弁護士からも、「謝罪」と「誠意」についての質問がなされました。
弁護士 釈放されてから、弁護士に刑事記録を見せてもらいましたか?
被告 見たと思いますが、あまり見ませんでした。気にはなったが……。
弁護士 気にはなったのに、なぜ見なかったんですか?
被告 事故のことを思い出すのが怖いです。自分のしたことですからよくわかってます。
弁護士 何が怖いんですか?
被告 自分が……。
弁護士 結局自分のこと?
被告 そうかもしれません。
弁護士 できる限りの賠償をすると言っても、賠償金はあなたが払うわけではないですね。
被告 そう言われれば、そうです。
弁護士 あなたは自分で、多少なりとも見舞金を払う気持ちはないのですか。
被告 保険会社に任せていました。申し訳ありません。
弁護士 謝罪しないことをコロナのせいにされて、どれだけこちらが傷ついているかわからないんですか。弁護士と何を相談したのですか。
被告 あまり連絡を取らないほうがいいと、そうだねと。
弁護士 現場には何回ぐらい行きましたか。
被告 5~6回です。
弁護士 いつ頃、何をしに行きましたか。
被告 手を合わせに行きましたが、日はいつかわかりません。
そして最後に、裁判官からも次のような質問が投げかけられました。
裁判官 あなたは事故現場に5~6回行ったそうですが、その他は?
被告 うちの墓参りに行って、謝ってました。つながっているというんで。
裁判官 自分の親族のお墓で?
被告 はい。
第3回目の公判が終了した後、暁生さんは直立したまま、じっと被告を見ていました。
しかし、この日も被告は、波多野さん夫妻にまともに目を合わすことなく、ずっと下を向いていました。そして、最後に軽く会釈をすると、そのまま法廷を後にしました。
■第4回公判はホワイトデー。愛娘の2回目の命日
今日予定されている第4回目の公判は、奇しくも3月14日のホワイトデー、耀子さんの3回忌に当たる命日です。
最期の公判に当たるこの日は、波多野さん夫妻による心情意見陳述と、論告、弁論が行われます。
「被告の親族の墓とつながっている……、我々遺族の感情を逆なでするかのようなその発言には、言葉で言い表せないほどの衝撃を受けました。私たちは最後となる意見陳述で、耀子がどのように亡くなったのか、死因すら知らないという被告に最期の姿を聞かせます。本当は耀子のエピソードなど、被告には聞いて欲しくなどありません。でも、せめて言葉にして、被告に真実を伝え、想像してもらいたいと思っています」