「習近平中国」と向き合うための教訓……上海列車事故35年(上)難航した補償交渉、日中の経済力の差
いまからちょうど35年前、日本からの修学旅行の一行が中国・上海郊外での列車衝突事故に巻き込まれ、生徒ら多数が亡くなった。中国側は事故の責任のすべてを認めたものの、補償交渉は難航し、最終段階で中国指導部が折れ、妥結した。
日本では昭和から平成に時代が移ろうとしていた。一方の中国は民主化運動を武力弾圧した天安門事件(1989年6月)を前に不安定化していた。国際社会では、冷戦終えんに向けた動きが本格化しようとしていた。
日本の援助を切望していた中国は、今や世界第2位の経済大国に成長した。しかし、国際社会との摩擦に直面した際、自国の論理を優先し、ゴリ押しする姿勢は上海列車事故当時も今も同じだ。むしろ、より強硬姿勢に転じていると言えよう。異例の3期目に入った習近平(Xi Jinping)政権を取り巻く環境は米中対立の激化によって、再び不安定化している。
こうした状況下であるがゆえ、激動の時代に丁々発止で進められた上海列車事故をめぐる補償交渉を振り返り、日本が「習近平中国」と向き合うにあたっての教訓を考えてみるのは意味があるだろう。(敬称略、肩書は当時)
◇100対1の経済格差
本文は日本側の交渉団長を務めた岡村勲(のちに「全国犯罪被害者の会」代表幹事)や日本政府関係者、中国側の元当局者、死亡生徒の遺族らの話、中国現地での取材に基づく。
上海郊外で1988年3月24日、私立高知学芸高校の修学旅行生らが乗車した列車が対向列車と正面衝突し、生徒27人、教員1人、中国人乗務員1人の計29人が亡くなった。中国政府は事故の責任を全面的に認めながらも、その原因を「生徒が乗っていた列車の運転手の信号見落とし」として片づけた。<事故原因については(下)で詳しく扱う>
事故後、日本側は日弁連副会長を務めた岡村勲を団長とする交渉団を立ち上げた。中国側は事故現場を管轄していた上海鉄路局(現・中国鉄路上海局集団有限公司)が窓口になった。ただ補償金の原資となる外貨(ドル)は上部組織の中国鉄道省(現・中国鉄路総公司)、つまり中国政府が持っていたため、交渉では毎回、鉄道省の判断を仰ぐという構図になった。
補償交渉が難航した最大の原因が、日中間の経済格差だった。今では想像できないが、日本と中国の経済力は当時、100対1とまで言われていた。中国側の外貨は十分ではなく、同国が日本側に提示した最初の補償金額は、日本人の死者1人当たり3万1500元(当時のレートで約110万円)だった。日本側の要求額は5000万円。交渉を経て中国側が上積みしていくことになり、最終的には450万円で妥結に至っている。
日中間には法律や社会制度をめぐる決定的な違いがあった。ところが交渉の終盤、中国側は歩み寄りの姿勢を示した。その背景には何があったのか。
◇「加害者」中国に法律論で譲らず
交渉で中国は「加害者」であるにもかかわらず、自国の主張を次々に突き付けている。
日本に出向いて交渉すれば「被害者の国で交渉するという前例ができてしまう」という理由から、補償交渉の上海での開催を要求した。
損害賠償というものを「生活に苦しむ人が裕福な人に請求するもの」と解釈し、「豊かな日本が貧しい中国にそれを求めるのは不合理だ」とも訴えた。
負傷した高知学芸高の生徒が日本に帰国して治療を受けたことも問題視し、「中国では指定された病院で治療を受けることになっている。その分の補償額は算定できない」と主張していた。
こうした中国側の言い分はともかく、真正面から法律論を戦わせれば「上海で裁判」「中国法の適用」「補償金は中国人並み」で押し切られる可能性が高かった。それゆえ、日本側は法律論では一歩も譲らず、交渉は3~4カ月間、進展を見ることはなかった。
一方、日中の交渉団長の間では水面下で補償金の財源確保の方法について意見が交わされ、「パンダを高知に連れてきて市民に見せ、その入場料を補償金に充てる」「当時、大人気だった中国の養毛剤101の販売権を日本側が引き受けて売り、利益を得て、補償金に回す」などの妙案が出た。ただ、双方の政府が「問題がある」と難色を示したことで取り下げられている。
◇日中の補償金格差、世論を警戒
補償交渉の過程において、中国側が神経を使ったのが「日本側に支払う金額が外に漏れないこと」だった。
上海列車事故で唯一死亡した中国人への補償金は、中国国内の基準によって算出されたため2500元(約8万円)に過ぎなかった。なのにその何十倍にも上る補償金を日本側に払うということが国内に広まれば、批判の矛先が中国政府、さらには中国共産党に向けられる、というのを恐れていた。
もちろん交渉過程で金額は漏れ、日本メディアがそれを報じたことはあった。ただ当時はインターネットもSNSもなかった時代であり、中国での情報は当局が強く統制していたため、中国国民が日本からの情報に触れる機会は限られていた。
中国では当時、インフレが止まらず、所得格差が拡大していた。庶民は「幹部が特権を乱用し、自分たちだけが良い暮らしをしている」と、党や政府への不満を高めていた。北京では、党の腐敗・堕落を非難し、当時の最高実力者、鄧小平(Deng Xiaoping)を皮肉る壁新聞が張り出されていた。その後、学生の言論活動が活発化し、天安門事件につながる。
習近平の中国でも格差が深刻化している。ただ、当時とは異なり、インターネットやSNSの普及により、党・政府に不都合な情報を完全に統制することは不可能だ。ゼロコロナ政策に抗議する「白紙革命」に象徴される政権批判の世論の広がりに神経を尖らせなければならない状況は、当時よりも厳しくなっているかもしれない。
◇政府の役割と水面下での政治折衝
対中国補償交渉の妥結に向け、中国側の譲歩を引き出すテコになったのは、遺族側からの要望を受けた政治家の動きだった。
そもそも交渉プロセスにおいて、日本政府の存在感はほとんどない。交渉当事者が遺族と中国側という枠組みであるという理由から、政府が表舞台に立つことはなかった。
補償交渉よりも重視していたのが、事故発生前にまとまっていた竹下登首相の訪中だ。政府、特に外務省は事故の処理が日中間の新たな難題に発展しないよう、遺族側の動きに神経を尖らせていた。
そんな外務省に、岡村は強い不信感を抱いていた。
中国との交渉が膠着状態に陥った際、岡村が頼りにしたのは政治家だった。特に旧知の石原慎太郎運輸相(現・国土交通相)には「竹下首相が中国の李鵬首相と会談する際、列車事故を取り上げるよう、首相を説得してほしい」と頼み込んだ。石原が竹下に直談判した結果、首脳会談で列車事故が取り上げられることになった。
1988年8月に開かれた李鵬との会談で、竹下は「上海の列車事故に関しては、引き続き中国側が誠意ある対応を取られるよう切望(する)」と求めると、李鵬は「3月、不幸な列車事故が発生し、日本側に損害が生じた。これは中国の鉄道方面(側)による事故発生であり、このことについて再びお詫び申し上げたい」「両国政府がともに影響力を行使して、両国の国情を尊重して、この問題に善処するよう希望する」と述べた。
竹下は翌日、鄧小平とも会談し、総額8100億円の円借款供与などの経済協力を表明した。鄧小平は「心から感謝している」と述べ、日本の経済協力について異例ともいえる感謝の意向を表明した。
また鄧小平は「合弁でも単独でもいい。日本の中小企業のエネルギーは大きく、投資してくれれば大きな利益になる」と述べ、重ねて日本側の技術協力を要請していた。
鄧小平は当時、中国の経済建設について「難関にさしかかっている」という認識を示していた。それを突破するために「断固として着実に改革を進める」という決意を表明し、日本側に投資、技術移転などの協力の拡大を要請した。
こうした首脳会談の経緯もあり、その後の補償交渉で、中国側は「補償金額を中国人の平均給与の約100年分」という大幅な譲歩案を持ち出した。中国側交渉団はこれを「最終的な額」「李鵬総理の裁断」「李鵬総理が清水の舞台から飛び降りるつもりで、大幅増額を決断した」と伝えた。
そのあとも中国は金額を上積みし、最終的には450万円となった。中国側が最初に提示した額の4倍以上だった。
◇今後のテコをどうする
日中首脳会談の結果と、中国側の補償金増額にどのような因果関係があったのか、はっきりしない。ただ中国側の譲歩の時期や李鵬らの発言などから判断すれば、日本の経済・技術協力が交渉のテコとして働いたのは間違いない。
中国は改革開放から間もない時期で国内は混乱していた。中国共産党の統治を確実なものにするために、当時の中国にとって日本の資金・技術は非常に価値の高いものだった。それを引き出すためにも、党指導部としては、日本の世論が硬化する前に、多少の譲歩を受け入れてでも上海列車事故の補償交渉を早期にまとめたいという思惑が働いたと考えられる。
つまり日本の経済力が中国を動かすためのテコとして作用したとみることができるのだ。
だが、いまの中国はどうか。経済的にも政治的にも力関係が逆転した今の日中関係において、日本の経済・技術協力が中国を動かすテコになるとは考えにくい。
中国では習近平の個人独裁が進み、対外的には当時とは比較にならないぐらい強硬姿勢だ。自国の論理を一方的に押し付け、場合によっては「日本と交渉しなくてもよい」という考えに傾かないとも限らない。
今後、中国で日本人が巻き込まれるような大事故は起こり得る。いつ、だれが大事故の犠牲者になり、遺族になるかわからない。
日本国民が傷つけられた時、今の日本政府や政治家に、国民の生命と財産、領土という主権の侵害は絶対に許さない、絶対に譲歩しないという強い決意と覚悟があるのか。それがあいまいに思えてならない。
この点をはっきり示さなければ、中国はつけこんでくるだろう。一歩譲れば、一歩踏み込んでくる。そういうところは見逃さないのが中国だ。
一方で、中国共産党の基盤も100%とはいえない。
中国共産党は自国民の生命と財産より、党の安定、習近平の威信を重視する。中国の庶民もこのことを十分に認識し、党・政府の方針に無条件に従うことで自らの生命・財産が脅かされるという状況が生まれれば、瞬間的であれ局所的であれ、SNSで声を上げるようになった。それが拡散され、支持が広がれば、「白紙革命」のように中国政治を動かすような力になった。
中国当局が世論に神経を尖らせるというのは上海列車事故の時と同じで、むしろ当時より世論の統制が難しくなっているという状況だろう。
日本人の生命・財産が脅かされるような事態が生じ、中国との交渉を迫られた時、いかにして中国に圧力をかけるのか、いかなるテコが日本側にあるのか。逆に、中国との経済関係を重視する立場が強調され、日本人の生命・財産を守る論議にブレが生じるようなことはないか。
東アジア情勢が混とんとしている。国民の側も主権・国益というものを自らの身近なテーマととらえたうえ、肥大化する隣人の思考方法や寄って立つ価値観を過去の多様な事例から学び、来るべきその隣人との難局に備える時期に来ているのではないか。
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