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今年は戦後80年。1945年の「あの日に何があったか」カレンダー的にザックリ概観

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
あれから80年(写真:アフロ)

 今年は「戦後80年」。明治新政府誕生(1867年)から先の大戦の終結(1945年)までの約80年を「近代」と呼び、それ以降を「戦後」「現代」と一般に呼び習わしてきました。ほぼその期間を経過する年ともいえそうです。

 作家の半藤一利氏が唱えた「40年周期」という面白い仮説があります。開国を認めた安政の5カ国条約勅許(1865年)から40年後の日露戦争勝利(1905年)までは上り坂で敗戦までの40年が下り坂。45年から85年あたりまでが高度経済成長を含む再度の上り坂で、バブル経済の発生と崩壊から「失われた○○年」と呼ばれる今日の停滞も今年で40年目です。半藤説にのっとれば今年あたりから「戦後」「現代」を過去とする新たな局面が立ち現れて来るかもしれません。

 今回は新年にあたって1945年に起きた、おそらく何らかの式典などが開かれそうな出来事を中心に紹介していきます。

忘れてはならない4つの日

 平成の天皇(現在の上皇さま)がそうおっしゃっていた日です。45年は前年に失陥したサイパン島などから米軍が日本列島へ直接空爆可となり、まさに列島が焼け野原と化します。

6月23日 沖縄戦の事実上の終結

 現在の日本国領土で激しい地上戦が行われたのが沖縄と硫黄島です。なかでも沖縄戦は4月1日に米軍が本当へ上陸して以降、壮絶な戦いが展開されて日米軍(軍属を含む)だけで約10万人が戦死し、ほぼ同数の沖縄県民も命を落としました。沖縄県が「慰霊の日」と定めている日でもあるのです。

8月6日 広島への原爆投下

8月9日 長崎への原爆投下

 広島は推定約16万人前後、長崎で7万人以上が命を落としました。「ヒバクシャ」は21年発効の核兵器禁止条約前文に「もたらされた受け入れ難い苦しみと危害に留意する」と明記され、その全国組織である日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が昨年のノーベル平和賞を受賞したのは記憶に新しいところ。

8月15日 終戦の日

 前日の14日に降伏を求めるポツダム宣言を昭和天皇の決断で受諾し、その旨を記した「終戦詔書」を天皇自身が朗読した録音をラジオなどで国民へ伝えた日です。詳しくは「ポツダム宣言受諾を日本国民が広く知った日」となります。毎年、武道館で「全国戦没者追悼式」が天皇皇后両陛下臨席のもとで開かれています。

 今年はおそらく15日か前日に閣議決定された「戦後80年談話」が、その時点での首相によって語られて文言が注目されそうです。また閣僚などが靖国神社に参拝したら例年以上のニュース価値を帯びましょう。

 国際法上の休戦ないしは停戦の確定は9月2日の降伏文書調印が一般的で連合国側の対日戦勝記念日は同日か翌日です。植民地支配されていた韓国と北朝鮮は8月15日を光復節 (韓国)などと呼ぶ祝日としています。

東京大空襲と硫黄島の戦い、ソ連参戦

3月10日 東京大空襲

 「焼き尽くす」を目的とした焼夷弾の猛攻を受けて2時間弱の空爆で10万人以上の死者・行方不明者を出した悲劇的な出来事でした。

3月26日 硫黄島の戦い終結

 2月18日の米軍上陸から守備隊が頑強に抵抗し、日本軍の戦死者2万余。米兵も約7000人が戦死する激闘。

8月9日 ソ連の対日参戦

 日ソは中立条約を結んでいて日本の指導部の一部にはソ連の仲介による和平を模索する動きさえあったのです。ただソ連は2月のヤルタ会談で条約破棄≒対日参戦を米英首脳と密約していました。

 同日、ソ連は国境を接する日本のかいらい政権「満州国」へと侵攻して当地を席巻。千島列島にも18日以降に攻め寄せて現在の北方領土を占領したのです。多くの日本人がシベリアに抑留されたり、引揚げの混乱から多数の中国残留孤児を生みました。

影響を及ぼした主な国際情勢

2月4日 ヤルタ会談開催

 日本において特に重要なのは前述の通り、この会談でソ連の対日参戦が密約された件となります。

4月12日 フランクリン・ルーズベルト米大統領死去

 1933年から異例の4期目を務めていたアメリカの最高指導者。日米開戦時の大統領で原爆を開発したマンハッタン計画を進めた人物でもあります。

 彼の病気と死去は連合国を構成する主要国のバランスに微妙な影響を与えたようです。先の「ヤルタの密約」は退勢覆いがたい日本にソ連をわざわざ引き込むもので背景に大統領の体調不良があったとみる学者もいます。

 死後トルーマン副大統領が昇格するも準備不足は否めず、ポツダム会議や原爆投下決定にどの程度関与し得たのか今でも重要な研究テーマです。

5月8日 ドイツ降伏

 4月30日にアドルフ・ヒトラー独総統が自殺。後継政府によって降伏文書が調印されました。実質的に日本の唯一の味方(日独同盟)が去って連合国軍の標的はほぼ日本のみへと集中するようになるのです。

7月26日 ポツダム宣言発表

 日本の降伏を要求する内容で上記のように、これを受諾して日本は終戦します。連合国軍による占領や戦争犯罪人の処罰なども規定され、実行されたのです。

列島をくまなく包んだ「空襲」の日々

 ここでは東京大空襲以降、大きな損害(推定死者1000人以上)を受けた空襲を記しておきます。実際には列島をくまなく包んでおり、おおよそ2・3日に1日「空から爆弾が降ってくる」日々でした。

 まず複数の被害を受けた大都市。東京は大空襲以降も4月13日、5月25日。大阪は3月13日、6月1日と7日および7月10日、神戸も3月17日、5月11日、6月5日。他に名古屋が3月24日と6月9日に大きな被害をこうむりました。

 他の都市における推定死者1000人以上の空襲は時系列で以下の通り。

5月29日 横浜・川崎

6月17日 鹿児島

  18日 浜松(静岡)

  19日 静岡

  29日 岡山・佐世保(長崎)

7月1日 呉(広島)

  4日 高松

  6日 甲府

  7日 千葉

  9日 和歌山

  10日 堺(大阪)・仙台

  19日 福井

  24日 津(三重)

8月1日 長岡(新潟)

  2日 富山

  7日 豊川(愛知)

  8日 八幡(福岡)

8月15日以降

 終戦の日以降の主な出来事は次の通りです。

8月30日 ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官(SCAP)が神奈川県厚木飛行場に到着。

9月2日 降伏文書に調印

・  27日 昭和天皇がマッカーサー司令官を訪問し1回目の会見を行う

29日に各新聞が、この時の両者の写真を掲載して話題となったのは有名な話です。

10月11日 「リンゴの唄」が評判に

 戦後企画映画第1作「そよ風」が封切られました。主演の並木路子が歌った主題歌の「リンゴの唄」が評判となって翌46年1月にレコードが発売されると大流行したのです。

12月17日 女性参政権付与

衆議院議員選挙法が改正されて女性参政権が初めて認められました。これまでの「男性25歳以上」から選挙権が「男女20歳以上」へと変わります。翌18日に衆議院が解散され、翌46年4月10日が投票日でした。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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