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「愛されるより愛したい」手押し車のフジコ・ヘミングは走り続ける!CDデビュー20周年アメリカ公演開催

飯塚真紀子在米ジャーナリスト
各地で精力的にリサイタルを続けるヘミングさん。Photo:Don Ptashne

 1999年に放送されたNHKのドキュメンタリー「フジコ 〜あるピアニストの軌跡〜」が大反響を呼んで“時の人”となり、ピアニストとして鮮烈なCDデビューを飾ったフジコ・ヘミングさん。今年はCDデビュー20周年。60代後半という遅咲きのデビューながらも、20年にわたり、日本はもちろん、世界各地で精力的にリサイタルを行い、今も走り続けている。

 サンフランシスコ(7月9日、ハーバースト・シアター)、ロサンゼルス(7月12日、ウォルト・ディズニー・コンサートホール)、ニューヨーク(7月25日&27日、カーネギー・ホール)の3都市で20周年記念リサイタルを行うために来米したヘミングさんにお話を伺った。

 ヘミングさんにとって、この20年はどんな20年だったのか?

「断り切れないほど仕事の依頼が来て“ストレスの20年”でした。なんだか、金儲けの餌にされているみたいで、すごくいやだったんです。来年も、スケジュールが真っ黒に埋まっています。いい迷惑ですよね(笑)」

 飾らないストレートな物言いが何ともヘミングさんらしくて微笑ましい。

 “ストレスの20年”とヘミングさんに言わしめるほど、彼女は世界中のファンから求められ、愛されているのだ。

 筆者は、3年前、ロサンゼルスで行われたヘミングさんのリサイタルに足を運んだ。ヘミングさんのピアノの音色は、心を撫でるような優しさとともに、力強さに溢れていた。それは、身体中から溢れ出さんばかりの圧倒的なエネルギーで人々を抱きしめるような強さだった。

愛されるより、愛する方が大切

 そんな優しさと強さでファンを魅了し続けるヘミングさん。彼女の“走り続ける力”はどこから生まれてくるのか? 

 ヘミングさんが真っ先にあげたのは“猫”だ。

「東京の家には24匹の野良猫がいるの。パリの家には2匹の猫がいて、ロスの家には親戚の猫が2、3匹いるわ。生活に苦労していたドイツ時代は、自分の食べ物は買わなくても、猫の餌だけは買っていた。日本では先日、50匹の猫を連れ去って、餓死させたり熱湯をかけたりして殺す事件が起きましたが、本当に悲しいことだわ」

 恋愛もまたヘミングさんの大きな“走り続ける力”だ。

「この歳ですが、心は16歳の頃のままなの」とはにかむ。惚れっぽく、いろいろな恋愛をしてきたヘミングさんは、今も愛する人の存在に支えられている。

「彼とは別々に住んでいるし、お互いに忙しいから、電話でやりとりしています。彼からの手紙には『毎日電話をかけるよ』と書いてあるんですが、私は耳がよく聞こえないので、電話が鳴っても聞こえないの。それに、彼も若くないから、私と同じように、病気になったりしちゃって(笑)。だから、お互いに励まし合っているの」

 ヘミングさんの愛は、猫や恋人だけに留まらない。NHKのドキュメンタリー撮影時、朝から夜遅くまで、ヘミングさんの家で仕事をし続けたNHKのスタッフにも愛が注がれた。

「撮影スタッフのために、賄いを提供していたら、通帳の残高が6千円になっちゃった(笑)」

 そんなヘミングさんが嘆く。

「今の若者たちを見ると、恋愛に興味がないというか、恋というのを知らない人もいる。『セックスはするけど、愛はない』と言う人もいる。セックスは全然しなくなっているけど、私には愛だけはあるの」

 聞きながら思った。ヘミングさんは“与える人”なのだ。“与えること”が彼女の“走り続ける力”になっているのではないか?

 そう問うと、ヘミングさんは答えた。

「愛されるより、愛する方が大切だから」

ヘミングさんは衣装も自ら手縫いでアレンジする。Photo: Gene Shibuya
ヘミングさんは衣装も自ら手縫いでアレンジする。Photo: Gene Shibuya

トランプの政策は愚策

「ピアニストになっていなかったら、ファッション・デザイナーになっていた」というヘミングさんは“ファッション愛”も強い。買った衣装を自ら手縫いでアレンジすることもある。シンプルな黒いワンピースにアクセサリーでアクセントを与えるスタイルが好きだ。

 ヨーロッパで長く暮らしたヘミングさんだが、彼女の中に常にあったのはアメリカへの愛。母親がアメリカ人将校の妻たちにピアノを教えていたため、子供時代、アメリカ人の親切で明るい気質に触れたからだ。先日も、アメリカ人の親切に心打たれたという。

「飛行機嫌いなので、ロスからニューヨークへは電車で4日間かけて行くんですが、先日、グランド・セントラル駅に到着した時、財布とパスポートを電車の中に忘れてしまったことに気づいたの。でも、2日後にはちゃんと手元に戻って来ました。大感激しました。アメリカで物をなくしたら戻ってこないとよく言われていますが、そんなことはないんです」

 大好きなアメリカだが、アメリカを愛しているからこそ、トランプ大統領のことを容赦なく批判する。

「彼の政策はとんでもない愚策だと思います。メキシコとの国境に壁を造ると言っているけど、国境の一部には壁を造ることができない箇所があるから、そこから移民は入ってくることは必至。それに、すでに“人種のるつぼ”のアメリカから移民を追い出そうとするような行為は、ナチスのユダヤ人排斥と同じだわ」

 そして何より、ヘミングさんは日本を愛している。だからこそ、こう訴える。

「日本人は日本の文化をもっと大切にしてほしいと思います。昔は、藁葺きの家のような日本らしさのある家がまだ残されていました。でも今は、古い家は壊されて、安っぽい家ばかりが建てられています。ドイツでは、自分の家にある木や古い家を壊すのにさえ市の許可がいるほど文化が保護されているんです。日本も素晴らしい文化を守り続けてほしい」

 ヘミングさんは壊されそうになっていた京都の古民家を購入、日本を訪れた欧米の友人たちを泊めているという。

 ヘミングさんが愛することを大切にしているのは、ピアニストだった日本人の母親を反面教師にしているからかもしれない。ヘミングさんは、両親が離婚したため、母の手一つで育てられた。しかし、母親は、物静かでインテリだった父親(ロシア系スウェーデン人の画家であり、建築家でもあった)とは反対に、すぐに激昂する気性が激しい女性だったという。

「母からは愚か者扱いされ、全然理解されていませんでした。だから、私はいつも劣等感や恐怖心に苛まれていたの。今、日本では、子の親殺しや親の子殺しという悲惨な事件が起きているけど、彼らの気持ちはよくわかる。自分が愚か者ではなく、他の人々よりはマシなんだと初めて気づいたのは、ピアノの才能が認められるようになった40を過ぎてから。それでも、ピアノを教えてくれたことだけは母に感謝している。母がピアノを教えながら1人で生きていける女に育ててくれたから」

手押し車姿がかっこいい!

 毎日ピアノを4時間欠かさず弾くヘミングさんが、今、気になっているのは健康だ。

「腰が曲がっちゃって、今では手押し車で歩かなくてはならないの。医者からは体操をするようにと言われている。でも、座ってピアノを弾いてばかりいるからますます悪化しちゃって。それが悲しいわ」

 手押し車で舞台に現れるヘミングさんには、会場から大きな喝采が送られる。「かっこいい!」という声も飛んでくる。ファンの目には、ヘミングさんが走り続けているようにしか見えないのだ。

 20周年という節目を迎え、ヘミングさんはこれからも走り続ける。

「70を過ぎても、80を過ぎても私のピアノ曲は全然完成していないんです。どこかおかしなところがたくさんあります。完成することなどありえないのかもしれませんが、少しでも完成に近づけたい」

 60代後半でデビューして20年。愛し、与え、走り続けたヘミングさん。そんなヘミングさんの生き方に、人生を生き抜く大きな勇気をもらった。

在米ジャーナリスト

大分県生まれ。早稲田大学卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会、トレンドなどをテーマに、様々なメディアに寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲル、ジム・ロジャーズなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。

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