インフレで値上がりするのは食品や服だけではない。「家賃が上がり続けた」という歴史も
「賃貸がよいか、持ち家がよいか」
繰り返し行われる、この論争に結論が出ることはないだろう。それは、人によって価値観が異なるし、時代によって状況も変わるからだ。
たとえば、物価の上昇が起きず、家賃も変わらなかったデフレの時代、「一生、賃貸でもよい」は支持を集めやすかった。
しかし、日本には毎年、家賃が大きく上がり続けた時代があった。それは、昭和の高度成長期。今では考えられないほどのインフレで、家賃もすさまじく上昇した。その結果、多くの人が賃貸を脱出したいと考えた。
そのときに生まれた言葉が「夢のマイホーム」。一生賃貸で暮らしたら、家賃でいくら払うか分からない。その恐怖から逃れたい、と持ち家が支持されたわけだ。
日本は、今、インフレに向かっている。インフレになると、モノの値段が上がることは容易に想像できる。しかし、賃貸住宅の家賃が上がることまでは想像しにくい。
そこで、総務省統計局の「小売物価統計調査」から、インフレだったとされる1955年から1970年(高度成長期)と、デフレだったとされる1995年から2010年における東京23区内の賃料を調べてみた。
2つの期間は40年も離れている。物価水準が大きく異なっているため、2期間の家賃を比べても意味がない。注目したいのは、それぞれの期間における賃料の動きだ。
まず、近年、デフレだったとされる1995年から2010年の賃料の動きを見てゆこう。
1995年から2010年までの間、東京23区内の平均賃料は専有面積36.3平米=約11坪(一般的な賃貸2DK相当)で、だいたい10万円前後だったことが分かる。
緩やかな上昇はみられるが、前年度より下がった時期もあった。ほとんど変化がなかったと言ってよいだろう。
このように安定していれば、将来の計画も立てやすく、「一生賃貸でもよい」と考える人が多くなって不思議はない。
それに対して、賃料が大きく変動したのが、インフレだったとされる1955年から1970年の期間。その値上がりはすさまじいものだった。
高度成長期とされる1955年から1970年まで、東京23区内の賃料は毎年、確実に上昇していた。1955年(昭和30年)に東京23区内で2DK程度の賃貸を借りたときの家賃は平均1191円だった。
ちなみに、1955年の国家公務員大卒総合職(当時は六級職)の初任給は8700円だったので、家賃1191円は現在の水準で3万円弱といったところ。昭和30年頃は、23区内の賃料が安かったのである。
その家賃が、5年後の1960年には3861円まで上がった。わずか5年で3倍以上になった。
さらに、1955年の10年後、1965年には8030円となり、同15年後の1970年には2万680円となり、じつに17倍以上になってしまった。
平成バブルはとんでもなく家の値段が上がった時代とされるが、昭和の高度成長期における賃貸家賃の上昇はそれ以上だった。
ちなみに、「バブル期を超えて値上がりしている」と何度も報道される首都圏の新築マンション価格は、2015年度で平均5617万円。それが、2021年度は平均6360万円まで上がった(いずれも、不動産経済研究所発表の数値)。6年で約1.13倍に上昇しただけだ。
そのことからも、5年後で3倍、15年後で17倍がどれほど大きな上昇かが分かるだろう。
それほど爆上がりしては、賃貸暮らしは楽ではない。「今住んでいる賃貸が狭くなったので、広い賃貸に引っ越そう」と考えたとき、あまりに家賃が高いため、「それなら、買ったほうがよい」と考える人が多くなる。だから、子供が生まれて家が手狭になると、マイホーム購入を決断する人が多かった。
昭和期の日本には、そういう状況があった。
高度成長期のように上がるとは思えないが……
かつて、日本にインフレが起きたとき、東京23区内ではすさまじいばかりの家賃上昇が起きた。といっても、高度成長期の家賃上昇は、あくまでも昔の話。戦後の復興期で人口が増加し、住宅が足りず、東京への一極集中が起きた時代の出来事だ。
これに対し、現代では少子化が進み、一部地方エリアでは住宅が余り、タダでも引き取り手がない家が生じている。2つの時代では、住宅事情が大幅に異なる。
それでも、「インフレになると、家賃が上がる」のは、現代でも十分起きうる話だ。
というのも、今は全国的に地価の上昇が続き、建築資材の価格上昇も目立つ。世界的なインフレも進行していること、建築にかかわる人件費も上昇していることなどを考えると、今後、住宅価格が下がることは望みにくい。
分譲住宅も賃貸住宅も原価が上がっているわけだ。
加えて、首都圏では賃貸住宅の需要が増している。理由は、人口増と社宅の減少だ。
コロナ禍により、東京の人口は減っていると思われがちだ。確かに、東京では転出増で人口が減った時期もあった。しかし、今年4月に発表された2022年3月の住民基本台帳人口移動報告によると、東京都の転入超過数は3万3171人で、前年同月比119%の増加となっている。
東京で暮らす人の数は再び増え始めた。
そして、大企業では社宅を減らす動きもある。
自前の住宅を維持管理してゆくよりも、民間の賃貸住宅を借り受けて社員に住まわせる、もしくは家賃補助を出すほうが合理的と考えられるようになったからだ。
賃貸住宅の原価が上がる一方で、人口増と社宅減少により東京では賃貸の需要が増す。そうなれば、インフレによって、東京では賃貸の家賃が上昇する状況が起きてしまうかもしれない。
実際、値上がりした新築分譲マンションに続き、賃貸の家賃にも上昇傾向が見られる。
賃貸の家賃は高度成長期のように爆上がりまではしないだろう。が、東京の23区内では緩やかに上がり続ける可能性は高い。
住み続けていれば、家賃の値上げは起きない?
賃貸住宅の家賃が上がった場合、高い家賃を払うのは、新規に賃貸契約を結ぶ人。住み続けていれば、契約したときの家賃が保たれやすい。
ただし、近年、増えている定期借家方式の契約ならば、話は別だ。
「定期借家契約」は「定期借地権」と似ているが、まったく別のもの。定期借家契約は、期限を決めて家を貸す方式となる。多くの場合、2年とか3年の契約となり、契約が満了したとき、これまでどおりに住み続けたければ、改めて賃貸契約を結び直さなければならない。
以前からある普通借家契約であれば、最初に決めた家賃を上げることは容易ではない。しかし、新しい定期借家契約では、契約を結び直すとき、貸し手の一方的な都合で賃料を値上げしやすい。つまり、インフレが進行すると、2年とか3年ごとに家賃が大幅に上がる状況が生じかねないのだ。
現在、東京23区内で大手不動産会社が大家さんとなる高級賃貸マンションには、この定期借家契約を採用しているケースが増えている。
そうなると、都心の高級賃貸は、インフレによって賃料が大幅に上がることもありうるわけだ。
高級賃貸の家賃が大幅に上がれば、他の賃貸住宅でも家賃の上昇がはじまる。すると、投資家は再び都心部の分譲マンションを積極的に購入し、賃貸運用しようとする……インフレが進行すれば、住宅の世界は大きな影響を受ける。
そんな時代が、まもなく始まるかもしれないのである。