日本語の読めない記者が書いたの? 森友公文書改ざん 音声データ巡る新聞記事のデタラメ
森友学園への国有地巨額値引きを巡る公文書改ざん事件で命を絶った、財務省近畿財務局の職員、赤木俊夫さん。その直属の上司で、改ざんをする日に休日だった俊夫さんを職場に呼び出した池田靖氏が、一周忌の直後、2019年(平成31年)3月9日に自宅を訪れ、妻の赤木雅子さんと話をしました(当初2018年と書きましたが誤りでした)。
その時の2時間にわたる録音データと反訳文書が10月14日、赤木さんが国などを訴えた裁判の証拠として大阪地裁に提出されました。あわせて大阪地裁内の大阪司法記者クラブにも提供されたため、報道各社が大きく報じるところとなりました。
それ自体は結構なことだと思いますが、記事の中には首をかしげるような内容のものも見受けられました。その点について検証したいと思います。
これは初めて明らかになったのか?
まず毎日新聞14日大阪夕刊の記事。見出しに「公文書改ざん 佐川氏の判断」「8億円値引き 確証取れない」と、池田氏が赤木雅子さんに語った内容から重大な部分を書き出しています。
そこに異論はありませんが、リードに「雅子さん側が大阪地裁に提出した録音データの記録で判明した」とあります。さらには本文の冒頭で「詳しい発言が明らかになるのは初めて」と書いています。こうした発言が明らかになるのは本当に“初めて”なんでしょうか?
赤木雅子さんが国と佐川宣寿氏(元財務省理財局長)を相手に裁判を起こし、夫・俊夫さんが遺した「手記」を公表したのは3月18日。私は、同日発売の週刊文春と大阪日日新聞に記事を出しました。その翌週の3月26日、私は続報としてやはり週刊文春と大阪日日新聞に記事を出しています。文春の見出しは「森友財務省担当上司の『告白』『8億円値引きに問題がある』」
この記事は今回裁判所に提出された録音データを元にしています。当然ながら、毎日が見出しに取った発言も、その他の記事中の発言も、ほとんどはこの記事で紹介しています。ちっとも「明らかになるのは初めて」ではありません。半年以上も前に明らかになっています。
この時の文春の記事では、録音データがあったことを明記せず、「克明に記録」という紹介の仕方をしました。この時点で録音データがあることを明らかにするのはまだ早いと判断したからです。しかしその後、裁判開始に合わせて7月15日に刊行した赤木雅子さんとの共著「私は真実が知りたい 夫が遺書で告発『森友』改ざんはなぜ?」では、「録音データをとっておいた。そこに重大な新事実があったのだ」と明記し、その発言内容を詳細に紹介しています。だから、池田氏が赤木雅子さんに話をした際の録音データが存在することも、そこに含まれる数々の重大な新事実も、とっくに明らかになっているのです。
筋の通らない言い訳をしてきちんと説明しない…政権のことではない
毎日の記事は署名記事だから、書いたのは大阪司法記者クラブに所属する裁判担当の記者だとわかります。だったら、これだけの重大裁判を巡るこれまでの報道内容は把握していて当然でしょう。知っていてこんな風に書いたのでしょうか? 毎日の記事は読みようによっては「毎日新聞が独自に入手したデータで書いた特ダネだ」とも読めます。あるいは知らずに書いたのでしょうか? だとしたら、この裁判の記事を書く記者としてはあまりに勉強不足です。
そこで週刊文春編集部はこの記事について毎日新聞に抗議し回答を求めました。すると、大阪本社社会部長の名前で返答がありましたが、そこには「一連の裁判手続きのなかで元上司の詳しい発言が明らかになるのは初めてという趣旨です」と書かれていました。これには文春編集部もあきれました。記事のどこを見ても「一連の裁判手続きのなかで」とは書かれていないし、記事をどう読んでもそういう趣旨には読めません。
そこで文春編集部は再び抗議文を送り、「上記のような回答書をお送りになったのは、訂正や削除、謝罪を回避するための詭弁だと、誠に残念ながら、思わざるを得ません」と突きつけました。すると再び毎日の大阪社会部長から「ウェブ上の記事について、先ほどの回答に沿った修正を行いました」という返答が来ました。確かにウェブ版の記事を見ると、「一連の裁判手続きのなかで詳しい発言が明らかになるのは初めて」と、前にはなかった言葉が付け加わっています。これで勘弁してほしい、という趣旨でしょうか?
だけど、これはウェブ版だけのこと。新聞を購読している読者にそのことは伝わりません。それにそもそも、わざわざ「一連の裁判手続きのなかで」と書かなければいけないのはなぜでしょう? それは「初めて」と書きたいからです。でも実際には初めてではなかった。それを指摘されておそらく初めて「初めてではない」と知ったから無理をしているのでしょう。
こんな無理をするより、素直に「最初の記事に誤りがありました。内容が明らかになったのは初めてではありませんでした。お詫び致します」と伝えるべきでしょう。文春編集部にではなく、読者に。訂正記事を出して。新聞読者に伝えるにはそれしか方法がありません。読者を大切にする新聞なら、そうするはずです。
これでは、肝心の森友事件や、加計、さくら、日本学術会議、その他の政権の数々の問題について、安倍前首相や菅首相に「筋の通らない言い訳を繰り返さずに、国民にきちんと説明すべきだ」とは、二度と書けなくなってしまいます。毎日新聞はそうなってもいいのでしょうか?
私は毎日新聞にも何人か知り合いの記者がいて、みな素晴らしい仕事をされています。毎日新聞が成し遂げてきたアスベスト問題をはじめとする素晴らしい報道もよく知っています。それだけに率直に疑問に思います。
「いまなお正義の味方面する彼らの鉄面皮が理解できない」という産経抄が理解できない
しかし上には上がいます。17日付けの産経新聞の産経抄というコラム。赤木俊夫さんの上司だった池田靖氏の音声データから以下の部分を取り上げました。
「安倍さんとかから声がかかっていたら正直(国有地を)売るのはやめている」
「忖度みたいなのがあるみたいなことで消すのであれば絶対消さない。あの人らに言われて減額するようなことは一切ない」
「少しでも野党から突っ込まれるようなことを消したいということでやりました」
産経抄はこれらの発言について、安倍前首相の意向や忖度を否定するもので、むしろ野党の追及を避けるためだったと解釈しています。その上で、このように結論付けました。
「野党やマスコミは安倍氏夫人の昭恵さんも標的とし、執拗に証人喚問に応じるよう求めた。反省も示さず、いまなお正義の味方面する彼らの鉄面皮が理解できない」
…私も理解できません。このコラムを書いた記者の日本語能力が。このコラムを載せた新聞編集長の知性と理性が。
発言の真偽軽重を読み解くのが記者の仕事
池田氏は確かに上記のように発言しています。だけど考えてみて下さい。近畿財務局の職員である池田氏に対し、安倍首相(当時)が直接声をかけてくるということがありうるかを。そんなことあり得ないでしょう。もしも首相がその意向を伝えるとすれば、首相官邸の秘書官らを通じて財務省幹部に伝えてくるでしょう。記者じゃなくてもわかる、あったり前のことではないですか。
そしてこの発言は、部下に改ざんという不正行為をやらせた当時の上司が、命を絶った部下の妻に対して、一周忌の直後に自宅に訪れて語ったものです。つまり、謝罪と言い訳なのです。すべて聴くとわかりますが、申し訳ないという気持ちの傍らで、何とか責任逃れをしたいという本音が伝わってきます。
だから、発言のすべてをそのまま真実と受け取るわけにはいきません。何が信用できて何がうそかは、森友事件についてこれまで明らかになっている事実や、池田氏と赤木俊夫さん、赤木雅子さんとの人間関係を踏まえて慎重に読み解く必要があります。その上で、何が重要で何を伝えるべきかを判断する。それをするのが記者の仕事です。
このコラム氏は自分の都合のいいところだけ発言を切り取っています。「発言のいいとこ取り」はマスコミの得意技ですが、そういうことをたしなめるのがコラムを任されるベテラン記者のはずなのに、一体どうしたことでしょう。
私は産経新聞にも友人・知人が何人かいますし、素晴らしい仕事をしている方も存じ上げています。産経新聞の独自路線も、他社にないことを書くという意味で評価しています。それだけに残念です。このコラムを前にすると、先ほどの毎日新聞の記事など「かわいい」ものに思えてきます。
赤木雅子さんに産経抄をチクったら…「産経さん。大丈夫ですよ」
こういう記事が出ると、私は赤木雅子さんにチクることにしています。この時も記事をLINEで送ったら、しばらくして…、
「産経さん。大丈夫ですよ、私はちゃんとわかってますから。誰が夫を追い込んだのかを。日曜の朝ゆっくり起きたら、夫が墨をする音と匂いがして。そこにコーヒーの香りがして。そんな日常を私たちから奪い取ったのは野党ではないですよ」
どうしてこんなに気の利いた文章をすっと書けるのでしょう? 産経抄の執筆陣にいかがでしょう? 産経さん。
このLINEを記事でご紹介したいと思って打診すると、
「日曜の朝だからしみじみと感じました。どうぞ使ってください」
…と、またまた優雅なお答え。そう、記事を送った18日は日曜日でした。書道が趣味の赤木俊夫さんは、日曜になると毎朝墨をすっていたそうです。そして、改ざんのため上司の池田靖氏から職場に呼び出されたのも日曜日でした。いろんな因縁があります。
この森友改ざん事件の音声データについて、私も次回の週刊文春(10月22日発売)で記事を書くつもりです。2時間にわたる音声データを読み解くと同時に、新事実も提示しようと考え、そのための取材を進めています。
記者の武器は足と目と耳と口と手。行って見て聞いてしゃべって書く。体を使った言論が本当の武器になると考えています。
【執筆・相澤冬樹】