【駅の旅】かつての東海道線の拠点駅も今はひっそり桜咲く/JR御殿場線・山北駅(神奈川県)
山北はかつて東海道本線の拠点駅
国府津(こうづ)を発車した御殿場線の列車の車窓からは、青空に映える真っ白に雪化粧した雄大な富士の嶺がそびえている。やはりその存在感は圧倒的で、他の山とは格が違う。だが、東山北を過ぎると手前の山々に遮られ、車窓からその雄姿が消えた。
かつて、山北は東海道本線の拠点駅であった。明治から昭和の初期まで、日本の大動脈・東海道本線は、富士山の北側を通り、国府津から御殿場を経て沼津に抜けていた。急勾配の続くこの路線の、蒸気機関車の基地として栄えたのがこの山北である。これから峠に挑む汽車たちは、必ずここで休息し、石炭や水の補給が行われた。構内に機関庫が設けられ、補機となる機関車が濛々と煙を上げながら待機していたという。だが、1934(昭和9年)に丹那トンネルが開通すると、東海道本線は熱海経由の海沿いを経由するようになり、この区間は御殿場線と改称された。複線だった線路も戦時中の鉄の供出のために単線化されたまま、現在に至っている。
駅のホームは、かつて本線だった時の名残でとても長い。そんなホームに4両編成の列車が停車する。ホームには1922(大正11)年に建てられた道了尊へ一・五里との石柱がある。道了尊とは、曹洞宗の古刹・大雄山最乗寺のこと。今は伊豆箱根鉄道大雄山線の大雄山駅が最寄り駅だが、大雄山線が開通するまでは、この寺に参詣する人々は、山北駅を拠点にしたに違いない。
山北鉄道公園に、動くSL
そんな栄華を誇った時代に活躍したD52型蒸気機関車が、駅の裏手にある山北鉄道公園に保存されている。長らく静態保存だったが、2016(平成28)年に、圧縮空気を動力源として、自力走行を実現した。動いた距離はわずか12メートルだけだが、かつての鉄道の町に再び汽車の汽笛が鳴り響いたことは画期的なことだった。月1回動かしているが、山北町では2024年度までに線路を25メートル延伸すると発表した。また、公園内には鉄道資料館(入場無料/土曜休日開館)があり、かつての栄華の一端を知ることができる。
春は桜のトンネルの中を電車が走る
春になると、山北駅の周囲は満開の桜に囲まれ、まるでこの世の楽園のような風景が繰り広げられる。訪れた平日の朝、数名の熟年ハイカーが降りたほかは、人影はまばらだった。
駅から谷峨方面に続く切通しの両側には数多くの桜の木が並んでおり、御殿場線の列車は桜に囲まれながら走って行く。やがて、特急「あさぎり」が通過して行った。シルバーブルーのスマートな車体が、桜のトンネルの中を颯爽と走り抜ける。薄いピンクの花びらと、ブルーの車体は朝の光に照らされて美しいコントラストを見せてくれる。
列車が去った後、あたりは静寂に包まれた。聞こえるのは鶯や小鳥たちの囀りだけ。風も雲もない。気持ちの良い春の陽ざしが、頬に優しくさしていた。そこにいる小柄なお婆さんと言葉を交わす。
「11月3日にまた来てくださいな。山北の神社で流鏑馬(やぶさめ)があるんですよ。うちの主人が元気だったころ、25年も続けて出たんですよ」
流鏑馬は、駅から歩いて10分ほどの所にある室生神社の例大祭で行われている。聞けば800年もの伝統がある行事だという。昨年はコロナ禍の影響で中止になったが、今年は行われるのだろうか。
近くに酒屋を見つけた。地酒があったので、つい買ってしまう。きょうの花見酒は、山北の酒、「丹沢山」。穏やかな陽光の下、線路を見下ろす土手の上で、この辛口の酒をチビチビと口に運んだ。やがて、沼津行の普通列車がやって来る。
【テツドラー田中の「駅の旅」⑦/JR東海/御殿場線/神奈川県足柄上郡山北町山北】