【駅の旅】原爆に耐え、負傷者の救護所となった駅/JR九州長崎本線・道ノ尾駅(長崎県)
長崎本線旧線は、鈍行だけが走る風光明媚な路線
長崎本線は、鹿児島本線の鳥栖(とす)から分岐して長崎までの幹線である。西九州新幹線の武雄温泉~長崎間の部分開業を今年秋に控え、工事が着々と進行している。だが、現行の長崎本線は、喜々津(ききつ)から長崎のひとつ手前の浦上までの間、線路は二手に分かれる。このうち、特急列車は山の中の新線を走り、一部の普通列車のみが海沿いの旧線を走る。元々、長崎本線は大村湾沿いの旧線を走っていたが、勾配がきつく、カーブが多かったため、1972(昭和47)年に山にトンネルを掘って平坦な新線が開業した。これにより、距離が6.7キロ短縮され、特急や急行列車はすべて新線経由になったのである。喜々津~浦上間は、旧線の方だと普通列車で15分ぐらい余計に時間がかかるが、旅人にとっては、トンネルばかりの新線より大村湾が見える旧線の方が、車窓風景は断然素晴らしい。
古き良き時代のたたずまいを残す駅舎にパン屋さん開業
1897(明治30)年開業の道ノ尾駅は、そんな旧線にある駅で、大正末期に建てられた瓦屋根の美しい木造駅舎が健在である。昨年6月に駅舎の原形を残したまま、きれいにリニューアルされ、構内にパン屋「ブール道ノ尾駅」が開業し、イメージが一新された。
使われなくなった長いホームに国鉄時代の駅名票が残る
だが、長いホームがかつての幹線の駅だったことを彷彿させる。特急や急行がこの線を走っていたころ、この駅で列車交換が行なわれていた名残である。今は使われなくなったホームには国鉄時代の駅名票が健在だ。だが、普通列車しか走らなくなり、名ばかりの本線になって、すでに半世紀の時が経過している。駅周辺は長崎市郊外の住宅地として、マンションや住宅が建ち並び、駅前には大きな病院もある。今は駅だけが時代に取り残されたかのように、古い昭和の佇まいを残している。
原爆に耐えた駅は、負傷者の救援所となった
「この駅舎はかなり古いですねえ」
出札口には初老の駅員が、ひとりで勤務していた。現在では業務委託駅になっており、曜日によって有人となる時間帯が朝だったり、午後だけだったりする。
「さあ、もう百年ぐらいたっとるんやないかな」
「原爆で少し傾いたが、無事やった。昔の建物は梁が丈夫にできとったんやね。そん時は、救援列車なんかが走って、よおけ死体を焼いたそうです」
この駅は、正に激動の歴史を見てきたことになる。むしろを敷いた二つの小屋が原爆で負傷した人たちの臨時救護所となり、ホームや駅前は多くの負傷者であふれかえっていたという。駅にはその歴史を伝える案内板があり、その横に千羽鶴が飾られている。
その当時、このあたりは今ほど開けていなかったに違いない。この駅舎だけがそんな悲しい過去の歴史を今に伝えているかのようだった。