【駅の旅】熊野古道の海辺の駅はひっそりと/JR西日本・紀勢本線岩代駅(和歌山県)
キラキラと輝く海が見えると、やがて岩代に着く
冬の朝、紀伊田辺行きの普通列車に乗った。切目を過ぎると右手に雄大な太平洋が広がってくる。どこまでも続く南紀の明るい海、朝の陽の光がキラキラと輝き海面に反射して眩しい。
駅前に昭和の香りのなんでも屋さんと古い石標
やがて、列車は岩代(いわしろ)に着いた。真っ青な空の下、明るい海辺に近い無人駅である。瓦屋根の駅舎が残るこの駅で降りた客はふたりだけ。駅前にあるたった1軒の商店は、日用雑貨のほか医薬品やたばこ、クリーニングまで扱うなんでも屋さんである。
「人が少のうなってしもて、私らもいつまで店を続けられるか・・・」
と店番のお母さん。一昔前まで、地方のどこの駅前でもこんなお店があったものだ。昭和の香りが漂うこんなお店こそ、地域のために続けて欲しい。
駅の正面には蘇鉄の木に囲まれた赤い鳥居と小さな祠が私を出迎えてくれた。その脇には、「結松古跡」への石の道標がある。これは「岩代の結び松」と呼ばれている。飛鳥時代末期の7世紀、第36代孝徳天皇の御子、有馬皇子が皇位継承をめぐり、従兄の中大兄皇子(後の天智天皇)と争って捕えられた。連行される途上、この地において「磐代の浜松が枝を引き結び、ま幸くあらばまた還り見む」という万葉集にある句を詠んで松を結び、無事を祈願したことにちなむ。だが、有馬皇子は現在の海南市の藤白坂で処刑されたという悲劇の物語である。
海辺にある熊野古道の参詣道
駅から線路に沿って少し北に歩くと小さな踏切がある。その踏切を渡ると白砂青松の海岸に出た。とても、冬とは思えない穏やかな日和である。波の音も聞こえないほど、静かな海だ。海岸で釣人がひとりいるほかは、誰もいない。沖合を1隻の漁船がゆっくりと通過する。広い海原に見える船はその1隻だけ。まるでその船が広大な海を独占しているかのようである。
そんな海岸に「岩代王子」と書かれた小さなお社があった。そこにはしめ飾りが付けられ、みかんが供えられていた。ここは、熊野古道の参詣道にあたる千里浜である。山の中ばかりを行く熊野古道にあって、このあたりが唯一の海辺の道であったという。岩代王子は大国主命を主神とし、平安時代の公卿・藤原宗忠や藤原定家が熊野詣の帰途に参詣したと伝えられる。今は海辺にひっそりと佇むばかりだが、古の平安の世に思いを馳せて手を合わせる。
「くろしお」が颯爽と通過
踏切が鳴った。新大阪に向かう「くろしお」の白い車体が、颯爽と岩代を通過して行った。
駅では、ふたりの老婆が列車を待っていた。
「きょうは暖こうてよろしいなあ。どこまで行かれますの?」
串本まで行くと答える。
「向こう行くと、もっとぬくいよ。食べるもんもおいしいし」
おばあちゃんたちと言葉を交わすうちに紀伊田辺行の電車がやって来た。紀伊田辺までは3駅、わずか14分の道のりである。