選手村食堂が広い保育施設に。HARUMI FLAG賃貸街区で五輪レガシーを探した
東京都中央区にあるHARUMI FLAG(以下、晴海フラッグ)は、ご存じの通り、東京五輪の選手村だった。選手村の一部は分譲されて今年初めに完売。一部は賃貸マンションとして入居者の募集が始まったところだ。
では、その敷地内に「東京五輪のレガシー(遺産とか遺物の意味)」はどこに、どれくらい残っているのか。
たとえば、上の写真、敷地の勝どき寄り入り口にあるモニュメントはレガシーだろうか、それともマンションとしてリノベーションされるに当たって新設されたものか?
刻まれた「site」には、場所という意味のほか旧跡という意味もあるようだ。旧跡ならば、東京五輪選手村時代の記念に設置されたもの、つまり五輪後に新設されたものとも思える。
が、実際は選手村としてオープンしたときからあったものだと説明された。つまり、五輪開催時、この横で記念撮影した選手もいたのではと想像される「レガシー」だった。
刻まれている「2020」は当初の開催年。2020年の五輪選手村としてつくられたことを示しているが、実際には2021年に延期された。この史実から、「コロナ禍で1年延期」のエピソードを語り継ぐ場にもなるだろう。
さらに、モニュメントが公道から誰でも撮影できるポジションにあること(取材した時点では、手前に低いガードフェンスが残されていた)を考え合わせ、第一級の「レガシー」と認定したい。
探してみると、賃貸街区にはいくつかの「レガシー」が
2023年10月23日、晴海フラッグの賃貸街区が報道陣に公開された。その際、私は「五輪選手村のレガシーはどこにあるのか」を念頭に建物内外を見て回った。
というのも、選手村が大会終了後に一般のマンションとして再利用されるという計画が発表された2017年頃、このマンションは「東京五輪のレガシー」で人気を集めるだろうとされていたからだ。
東京五輪の選手たちが過ごしたマンションで暮らすのは、どんな気分なのか。そんなロマンチックな思いを多くの人が抱いていた。
しかしながら、実際はロマンチシズムよりも割安感のほうが話題を集めるようになったし、積極的にレガシーを遺すようなつくり方もされなかったため、いつの間にかレガシーを気にする人はいなくなった。
特に、分譲街区は選手村時代の名残を極力消すつくり方がされた。設備機器は一新され、間取りもまったく別物になったのである。
これに対し、賃貸街区にはいくつか選手村時代の名残が残っていた。
下の写真は、賃貸街区に設けられた保育施設。定員が200人以上となる巨大な保育所だ。
じつはこのスペース、東京五輪のときには選手たちの食堂の1つだった。多くの選手が餃子のおいしさを絶賛したあの食堂である。
といっても、選手村の食堂であったことを示す看板などはない。
保育施設が報道陣に公開されたとき、この広い空間になにがあったのか尋ねてみた。それで「食堂だった」ことがわかったのである。
なるほど天井が高く、窓の外に塀で囲われた庭もある。ときおりテレビやSNSで見た選手村の食堂が開放的なムードだったことをぼんやり思い出す。
その広い空間で飛び跳ねれば、子どもたちが笑顔になること間違いなしだ。かつて選手たちが集った食堂は保育施設としてもわるくない条件を備えていたのである。
この保育施設には調理場もある。
調理場で子供の食事やおやつをつくることができるようになっているのだが、このような施設をつくるときも、選手村の食堂は都合がよい。もともと調理場があったからだ。
器具・設備類は一新されているとして、水道管・ガス管・排気ダクトなど基本設備を流用できる。調理場をゼロからつくるより費用を節約でき、それこそがリノベの利点となる。
このように一部が再利用されていると、「ここには、東京五輪選手村のとき、アレがあった」と発見する楽しみが生じる。
たとえば、マンション内の内廊下が広いのも、選手村時代の名残りだった。
廊下が広いのは、車いすの選手がすれ違うことを考えてのこと。まさに、五輪・パラ五輪のレガシーだ。
もうひとつ、レガシーを強く感じることができる部分が住居部分にある。
部屋に五輪選手の落書きがある?
選手村だった建物が賃貸マンションになる。そう聞いたとき、「もしかしたら、部屋の壁に選手の落書きがあるかも」と期待する人もいるだろう。
惜しくも銀メダルになった選手が足で蹴った跡が寝室にあるとか、リビングに金メダルを取った選手のサインでもあれば、最高のレガシーだ。それが有名選手なら、プレミア家賃が設定されてもおかしくない。
が、そのような「選手村時代の痕跡」は、一切ない。賃貸街区の住居部分も、内装・設備など室内は一新されているからだ。
しかしながら、レガシーを感じることができる部分は皆無というわけでもない。
賃貸街区の住居部分で発見した希少なレガシーが下の写真だ。
賃貸街区では一部に小分けにされたシェアハウスがあり、そのなかに5人用のシェアハウスユニット型が設けられている。このシェアハウスユニット型に選手村時代の区切りそのままの住戸が存在するのだ。
上の写真では、5つの個室のうち2室の入り口と共用の洗面・シャワーブース入り口が写っている。キッチンやトイレも共用で、その区分けを生かしてシェアハウスにしているわけだ。
もちろん、内装、設備など住戸内部は一新されているのだが、このような空間で過ごした五輪選手がいると感じることができるのは、ちょっと楽しい。住居部分に遺された数少ないレガシーである。
いかにもレガシーっぽいのだけれど……
一方で、レガシーのようだが、じつは新設されたものと聞いて驚いた部分もあった。そのひとつが下の写真だ。
写真は4つある賃貸棟の一つ、A棟のエントランス部分だ。窓越しに見える盆栽風のモニュメント、天井の格子インテリアで和のムードが強い。東京五輪で世界中から選手を迎えるため、和風につくったのかと思った。というか、思いたかったのだが、じつは選手村のとき、このようなエントランスはなかったという。
和風のエントランスは、今回リノベーションで賃貸住宅棟をつくるときに新設されたもの。つまり、レガシーではなかった。
同様に、地下階に設置された大浴場も賃貸住宅棟用に新たに設置されたものだった。
では、大浴場があった場所は選手村時代に何があったのか。聞けば、選手の居室が並んでいたという。窓がない部屋になるので、滞在選手が想定以上に多くなったときのために準備されたのではないか、と想像された。
晴海フラッグの賃貸棟はところどころに東京五輪選手村時代のレガシーを残していた。と、同時に賃貸マンションとして便利に活用されることを考えて付け加えられた部分も多い。2つの要素を併せ持つことは、同マンションならではの特性。そして、同マンションを借りて住む楽しさの1つだと考えられる。