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相模原障害者殺傷事件・植松聖被告と面会室で話した強制不妊問題

篠田博之月刊『創』編集長
植松被告が送ってきた獄中ノートとイラスト

 障害者を19人も殺害した相模原事件の植松聖被告に、5月24日に面会した。この1年近く、毎月1~2回のペースで面会し、手紙のやりとりは相当な回数にのぼっている。

 その24日、気が重かったのは、植松被告と話したのが、この間大きな社会問題になりつつある強制不妊問題だったからだ。障害者らに強制的な不妊手術を行うことを国家が推進していた。しかも、それが戦前といった昔の話でなく、わずか20~30年前のことだというのだ。

最初、断片的に報道が始まった当初はよくわからなかったのだが、その意味するものがわかった時は衝撃を受けた。

「それじゃ植松と一緒じゃないか!」

 優生思想を近年まで日本国家が保持し、障害者への不妊手術を強制していたという事実を私たちはいったい、どう受け止めたらよいのだろうか。

 当然ながら植松被告もこのニュースには関心を抱いていた。現在彼は、ニュースは独居房内に流れて来るラジオによって得ているのだが、強制不妊手術を受けさせられた人が国家賠償訴訟を起こしたというニュースを聞いて関心を持った、と語った。

 マスコミも取材チームを組んで本格的にこの問題の取材を始めているから、今後、いろいろな事実が明らかになってくると思われるが、これは相当深刻な問題だ。植松被告には、新聞記事などを送ると約束したが、ほかならぬ彼とこの問題を話すというのは、かなり気が重いことだ。植松被告が行った犯罪は許すことのできないものなのだが、では国家が優生思想に基づいて行ってきたことに対して、我々はどう考えるべきなのか。

 この1年近く、植松被告とつきあい、障害者の問題に関わってきたいろいろな人に話を聞きながら、何度も憂鬱な思いに捉われた。そもそも相模原事件自体、社会の中で急速に風化し忘れられつつあるのが現実だ。あの犯罪によって、タブーにしてきた多くの問題をつきつけられながら、この社会はそれに応えられないどころか、事件そのものを忘れつつある。

 そうした思いに駆られていたところへ、今回の強制不妊問題である。さすがに衝撃を受けざるをえない。

 ひとつ断っておきたいが、相模原事件があまりに狂気に満ちたものだったために、世の中には、植松被告というのは精神的に崩壊したとんでもない病的な人物だと思っている人が少なくないように思う。しかし実際には、そんなことはないのだ。

 この記事の冒頭に掲げたのは植松被告が送ってきた獄中ノートと、そこに描かれたイラストだ。彼は自分の考えを文章にしたりマンガにしてノートにしたため、それがまとまるつど私のところに送ってくるのだが、そのノートはもう5冊ほどになる。

 植松被告が描いたマンガは、「内戦や紛争、自殺と殺人、人口増加と環境破壊」などに冒された人類社会には、もう手をさしのべる余地もないというものだ。そして暴力的に破壊が行われるというストーリーだ。「津久井やまゆり園」で実際に植松被告が行ったことは、狂気に満ちた障害者への虐殺なのだが、「精神が壊れた男」の犯行として片づけられるほど単純ではない。

 そもそもナチスのユダヤ人や障害者の大量殺戮にしても、あれをどう見るべきなのか。「狂気と正気の境目」は一般に思われている以上に曖昧なのだ。

 植松被告に面会する少し前、5月17日に横浜の最首悟さんの自宅を訪ねた。最首さんとは、彼が和光大学教授だった時期に、オウム松本智津夫死刑囚の三女、松本麗華さんの入学取り消し事件をめぐって何度かやりとりした。オウム事件首謀者の娘として生まれたということをもって大学に合格した麗華さんの入学を和光大が不許可にした時には、さすがに私も怒り心頭になった。

 子どもは親を選んで生まれて来るわけでない。オウムが凶悪な犯罪を犯したとして、その子どもだからという理由で娘の大学入学を認めないというのは、あってはならないことだと思った。だから、和光大学内で学生たちが大学の決定に抗議する集会には何度も足を運んだ。そして当時、和光大内部で、入学取り消しに抗議していたのが最首教授だった(入学拒否事件については下記参照)。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20151017-00050575/

 最首さんはかつて全共闘運動華やかりし時代に東大闘争でその名を知られた論客だが、相模原事件についても積極的に発言していた。大きな理由は、今年42歳になる星子さんという障害者の娘を育てていたからだ。

 星子さんは4人の子どもたちの末娘として、最首さんの言葉を借りれば「ダウン症で生まれ、目が見えず、言葉がなく、横になって生活していることが多い」という。施設に預けることは考えなかったのかと訊くと、ショートステイの見学で本人が激しく嫌がったので、家族と一緒に暮らすことにしたのだという。ただ今はまだ最首さんも奥さんも元気だが、最首さんは既に80代で、将来、星子さんをどうケアするかは決まっていないともいう。

 その日、最首さんと久々にお会いした私は、約2時間ほどいろいろな話をした。障害を抱えた娘と42年間も生きてきた最首さんならではの人間に対する洞察に満ちた話だった。

 実は植松被告は、この4月、最首さんに手紙を出していた。

 《突然の手紙を失礼致します。この度は、最首さんにお尋ねしたい問題があり手紙を書かせていただきました。

「妄信」や神奈川新聞の記事から最首さんのお考えを拝読させていただきましたが、現実を認識しつつも問題解決を目指していないよう映ります。》

 そんな文面だ。手紙の中で植松被告は、この社会に大勢いる障害者、彼が言うとことの「心失者」に対して、あなたはどう考えているのかという問いを投げている。自分の行った行為は、その問題に対して自分なりの解決策を示したものだ、ではあなたはどんな解決策を示せるのか、と迫っているのだ。

 これは最首さんだけでなく、植松被告はこれまで他の障害者家族などに対しても同様の攻撃的な問いかけを行っている。あれだけの凄惨な事件を犯し、普通なら謝罪・反省をすべきところなのだが、彼の態度や思想は事件当時と全く変わっていない。そもそも、障害者を育てている家族に対して、容赦なくこんな手紙を送りつけること自体、並みの神経ではできないことだ。植松被告は最首さんへの手紙にこう書いていた。

 《最首さんは私のことを「現代が産んだ心の病」と主張されますが、それは最首さんも同様で、心失者と言われても家族として過ごしてきたのですから情が移るのも当然です。

 最首さんの立場は本当に酷な位置にあると思いますが、それを受け入れることもできません。

 人間として生きるためには、人間として死ぬ必要があります。お手紙を頂戴できれば光栄です。》

 最首さんのすごいところは、この植松被告の狂気の問いかけに対して、自分なりに応えていこうと考えているところだ。その日、2時間にわたって、私は、最首さんがこの問題についてどんなふうに考えているか聞いた。その内容は、月刊『創』か、7月に刊行を予定している相模原事件についての書籍に収録するつもりだ。

 「植松青年は“安楽死”と言うんですが、彼は安楽死の定義を間違えているんです。相手の意思を確認できない場合は安楽死とは言えないんです」

 最首さんはそう言った。

 安楽死や優生思想について、どう考えるのか。それは同時に、人間とは何であるのか、という問いに向き合うことでもある。

 植松被告の言う「心失者」とは、人間でありながら人間と呼べない状態になった存在という意味で、彼はそれを自ら、津久井やまゆり園に侵入して暴力的に死を強制するという形で社会に問題を問おうとした。それはもちろん許されない狂気じみた行為なのだが、死刑は覚悟しているという植松被告を抹殺しただけで、果たして本当に相模原事件は決着がついたといえるのだろうか。

 今明らかになりつつある強制不妊問題、世の中に残したくない遺伝子を国家によって排除していこうと実際に強制手術が行われていたという現実は、極めて衝撃的だ。

 我々はこれをどう考えるべきなのだろうか。

 それは植松被告が信じられない凶行に及んだ相模原事件がつきつけた問題にこの社会が向き合うことでもあると思う。

追補 相模原事件については、たくさん記事を書いてきた。植松被告との関りが始まって以降のものの一部は下記だ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20170905-00075409/

相模原障害者殺傷事件・植松聖被告が初めて語った事件の核心

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20180210-00081490/

相模原障害者殺傷事件・植松聖被告の衝撃的な獄中自筆漫画

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20171214-00079303/

相模原事件の植松聖被告に接見するたび、社会が全く対応できていない現実に慄然とする

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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