就活で心を病んだ私が今伝えたい「自分を追い詰めない生き方」とは
こんにちは!保育士ごんちゃんです。
「無理しない育児」をモットーに、保育士として地域の子育て支援事業に従事しながら、オンラインでも育児に関する情報発信をしています。
そして私も現役の子育て世代で、3人姉弟の育児に日々奮闘しています。
今回は私の学生時代のうつ病の体験談や、その時の自分に伝えたいことについてお話をしていきます。
「自分は何をしたいのか?」が分からずうつ病に
私はこれまでの人生で2回、うつ病の闘病経験があります。1回目は大学3〜4年生の頃、2回目は社会人としてフルタイム勤務をしていた頃です。
初めてうつ病を発症したのは、大学3年生の終わりの就職活動がきっかけでした。当時は民間企業への就職活動は大学3年生の12月頃から始まるのが一般的で、4年生の夏頃までには卒業後の進路を決めている人が多いという時代です。
私は大学2年生の終わりから1年間、中国の北京大学に留学したのですが、そこでは語学の勉強やサークル活動など、自分のやりたいことをやって過ごしました。
そして、帰国してすぐに就職活動を始めました。ところが、就職活動となると目の前の自分のやりたいことだけやる訳にもいかず、大きなギャップを感じたのです。
特に日本特有の就職活動のスタイル、リクルートスーツに身を包んで一斉に活動するといったことに、逆カルチャーショックのようなものを感じて、とても苦しくなってしまったんですね。
また、同じように就職活動している人の中には、就活サークルに大学1年生から入っているような人もいました。そういった人が生き生きと就職活動している様子を見て、当時の私は「そうやって将来のことを考えて、大学1年生の時から行動してきた人じゃないと、世の中に求めてもらえないんだ」と思い込んでしまっている部分もありました。
私は大学では教育学を専攻していたので、将来は教育や子どもの成長に関わる何かをしていきたいなと思ってはいましたが、教員養成の課程を専攻しているわけでもなく、保育士の資格を持っているわけでもありませんでした。
そのため、民間企業への就職活動をするという方向にずっと進んで、「自分が就きたいのはどんな職業で、どんな働き方なのか」ということを具体的にイメージできないまま、就職活動の波に飲まれて月日が流れていきました。
今思えば、民間企業、特に株式会社への就職は、営利や利益を追求する働き方が求められるので、自分の目指す方向性である教育や保育とはギャップがありすぎたんですよね。
けれどその当時はそれがよくわかっていなくて、民間企業への就職活動をずっと続けていました。
さらに、就職活動では「自己分析をした方がいい」とよく言われます。私も自己分析に関する本を参考にしながら、「自分はどんな人なのか」「これからどんな仕事をしたいのか」を考えてみました。
しかし、その行動がますます自分を追い詰めることになってしまいます。自己分析をきっかけに「これから何をしたいんだろう」と考えすぎて、日々が楽しめなくなってしまったのです。
そして「私はなんで生きているんだろう」と疑問が湧いてきて、生きていく意味を見失ってしまい、気づいた時にはうつ病が進行してしまっている状態でした。
こうして苦しみながらも就職活動を続けて、内定をもらった企業がありましたが、うつ病の症状が思わしくなく、結局、休学して1年間療養しながら将来について考え直すことにしました。
「学生のうちにしかできないこと」はない
当時の私は就職活動の攻略法として、面接の最後に「何か質問がありますか?」と聞かれたら、「残りの学生時代にやっておいた方がいいことはありますか?」と質問するとよいという話をよく耳にしました。
これは面接官からの印象も良く、学生時代を有意義に過ごすためのヒントが得られる、といった理由からだったと記憶しています。そのくらい、「今しかない学生時代」ということを意識させられていました。
確かに「学生時代だからこそできること」もあるでしょう。けれど、「学生のうちにしかできないこと」はないんじゃないかと、今の私は思います。
今はそう思える私も、うつ病になっていた21歳くらいの頃は、社会に出た後に希望が全く持てていませんでした。学生である今がピークで、これから人生は下り坂だと考えていたんですよね。
「自分が自分として生きていけるのは学生の頃まで。社会に出たら勤め先の人として見られる生活が始まって、自分が自分でなくなってしまう」という思考になっていました。
もちろん、企業や組織に所属することが安心材料になって働けるという方もいらっしゃると思います。ただ、私にとってはそれがあまり嬉しくなくて、自分がなくなってしまうような気がしていたんです。
今思えば、その感覚や価値観が現在のフリーランスとして働く心地よさに繋がっているのかもしれないのですが、その時の私には民間企業への就職という道しか見えていませんでした。
そもそも人は多種多様で、世の中の働き方も多様化しているのに、全員が全員同じように民間企業へ就職するというのがしっくりくるわけもありませんよね。
これは就職だけでなく、学校生活などの集団生活についても同じだと考えています。
人の感じ方はさまざまなので、不登校になったり、学校への拒否感がある人がいても全くおかしくないと思います。
ですが、当時の私はみんな普通にできている就職活動に拒否反応がある自分がおかしいという考え方をして、落ち込んでうつ病を発症してしまったんです。
自分らしい働き方を見つけた今、当時の自分に声をかけるとしたら、「その拒否感を大事にしていいよ、その自分の感覚を大事にしよう」と言いたいです。
もし、やりたいことがわかるなら、やりたいことをやるべきです。けれど、当時の私のようにやりたいことがわからなくなって、生きる意味も見失っている状態だったら、「やりたくないことはやらない」という消去法で選択して言ってよかったと思うんです。
「周りがこうしているから」「みんなは普通にできているから」というところに合わせすぎる必要はなくて、自分の感覚を大切にしていいということを本当に伝えたいです。
「組織に属して働く」以外の選択肢にも目を向けて
社会人になってから朝から晩まで仕事ばかりで、自分の時間も取れないほどの働き方を選んでしまうと、学生時代の私のように、生きる意味を見失ってしまう可能性もあると思います。
企業や組織での働き方で最も一般的なのは1日8時間労働です。これは学生が授業に出る時間とあまり変わりません。そのため、その後の自由時間は学生でも社会人でも同じように、自分のために使うことができます。社会人になったからいきなり自分のやりたいことができなくなるということはないですよね。
確かに、学生は夏休みなど何ヶ月もあるような休みの期間があるので、社会人よりも旅行や留学はしやすいかもしれません。ただ、社会に出たらそれが全くできなくなるかというと、そういうことはありません。
ですが、社会人になって、残業が多すぎたり、持ち帰り仕事があって自宅でも休む時間がない、自分のために使う時間がないとなると、社会人=時間がないということになってしまうと思います。
実際、私も社会人になって2回目のうつ病を発症した時は、まさにそんな働き方をしていました。
今では、それは本当に間違っていたと思います。「仕事のために毎日がある」というような生き方で、なんのために生きているのかを本当に見失ってしまいました。人間の本能にも逆らうような日々だったと思います。
私は、人として自然な姿というのは、自分のためや自分のやりたいことのために生きていくことだと考えています。
もし、私がうつ病だった時のように、自分のやりたいことがわからなくて、自分のためにいきたいとも思えない時は、自分を大切に思ってくれる人のために生きることが大切だと今では思っています。
ただ、自己犠牲が多い働き方ではその両方を満たすことができません。働いている自分も辛いし、自分を大切に思ってくれている人を喜ばせることにもなりませんよね。
学生時代の就職活動に必死だった頃の私は、どこかの企業に属する働き方に囚われすぎていたなと思います。
しかし、今はフリーランスで日々楽しく自分らしい働き方ができています。学生時代の自分に何か伝えることができるとしたら、「こんな働き方もあるよ」と今の自分の働き方を伝えたいです。
そして、今の働き方になってからの方が、組織に属して働いていた頃よりも、学生の頃よりも、自由度が増しているということも伝えたいと思います。
21歳でうつ病になった私が感じていた、「この先の人生下り坂」ということは全くなかったですし、「そんな風に人生を悲観することはないよ」と言いたいですね。
確かに、うつ病の再発などもあって、苦しい20代を過ごした時期もあるにはありましたが、30代となった今は自分らしく無理しない人生を歩んでいます。
苦しい経験もあったけれど、必要な経験だったと考えて、これからも無理しない人生を送っていきたいと思います。
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今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう!