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ノルウェー・ベルゲンが切り開く、新たな「インクルージョン」の形 市民と移民・難民の交流拠点を訪問

鐙麻樹北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員
「スクール・キッチン」でウクライナやポーランド料理を提供 筆者撮影

「インクルージョン・センター」

とにかく最初に目にした途端に気になった施設名だった。移民や難民が社会に溶け込むようにと政策が議論されるとき、ノルウェーでは「統合」を意味する「インクルージョン」という言葉がよく使用される。その言葉をそのまま施設名にしているとは、なんとも大胆ではないか。

一体どんな場所なんだろう。市民の税金を使って、どのような「インクルージョン・センター」ができるのだろう。とにかく気になったので、取材に向かった。

ノルウェー第二の規模である都市ベルゲン中心部から車で12分ほど、観光地から離れて、坂が多い住宅街に施設はあった 筆者撮影
ノルウェー第二の規模である都市ベルゲン中心部から車で12分ほど、観光地から離れて、坂が多い住宅街に施設はあった 筆者撮影

旧教員養成大学として残っていた建物を、これからどのように使おうか?

ベルゲン市議会は話し合った。当時は中道左派の労働党が中心となり提案されたのが、「ノルウェー初の人権のための空間に」

では、「人権を柱とした公的空間とは、なんだろう?」

市議会やベルゲン市民は議論を重ねたと、センターリーダーであるソルフリド・ヘルネスさんは取材で話す。

ヘルネスさんが座っているイスは壁だった素材を再利用。このように建物はサステナブルな建築であるようにと、古い素材がいたるところで再利用されている 筆者撮影
ヘルネスさんが座っているイスは壁だった素材を再利用。このように建物はサステナブルな建築であるようにと、古い素材がいたるところで再利用されている 筆者撮影

ベルゲン各地に散らばっていた様々な移民や難民のためのサービス事務所が、ここに統一されることになった。

ベルゲン成人小学校、ノルウェー語・社会科学習センター、難民紹介センター、同事務局の管理部門などだ。職探しだけではなく、これからノルウェーで起業したい人に向けても、「この国ではどのような準備が必要か」などのサポートを受けることができる。

市民が卓球台で交流していた。開放的な空間で、太陽光が降り注ぐ設計。暗い冬が長く続くと気持ちも落ち込みやすくなるので、できる限り外の光を取り入れようとするのが北欧建築だ 筆者撮影
市民が卓球台で交流していた。開放的な空間で、太陽光が降り注ぐ設計。暗い冬が長く続くと気持ちも落ち込みやすくなるので、できる限り外の光を取り入れようとするのが北欧建築だ 筆者撮影

このような施設が一か所に集まることには、意味も効果もある。まだよく知らない国で、各サービス施設の情報を集めるのは一苦労だし、アクセスするのも大変だ。情報格差などのさまざまな壁を乗り越えなければいけない「次から次へとくる苦労」を減らすことができる。

さらに、ベルゲン成人教育センターと移住健康センターというスペースも確保された。ベルゲン市のスポーツ局とも話し合い、スポーツエリアの共同使用も合意された。

スポーツ施設は予約して使用することができる 筆者撮影
スポーツ施設は予約して使用することができる 筆者撮影

筆者撮影
筆者撮影

移民や難民だけではなく、市民やボランティア団体なども利用できる地域コミュニティの場として機能している。

「インクルージョンと尊厳を促進する魅力的な建物」という、北欧市民ならではの高い理想が実現された建物ともいえるかもしれない。

「サッカーに関心はありますか?」。多様なアクティビティの知らせが掲示板に出ている 筆者撮影
「サッカーに関心はありますか?」。多様なアクティビティの知らせが掲示板に出ている 筆者撮影

「人間の尊厳を促進する解決策を優先する」という言葉は、この現代において遠い道のりのようだが、この施設はそれを実現しようとしているし、ある程度は実現できている。

建物の設計方法、建材の選択、実際の建設過程における労働者の権利、建物の使用・運営方法などにも厳しい基準が設けられた 筆者撮影
建物の設計方法、建材の選択、実際の建設過程における労働者の権利、建物の使用・運営方法などにも厳しい基準が設けられた 筆者撮影

入口のテーブルには迫るプライド月間の告知が。「ここは性の多様性を尊重する場所である」というメッセージを送っている 筆者撮影
入口のテーブルには迫るプライド月間の告知が。「ここは性の多様性を尊重する場所である」というメッセージを送っている 筆者撮影

4月にオープンしたばかりで、全てが順調というわけでもない。ベルゲン市は市議会で各党派の連立が不仲に終わったりと、政界はカオスな状態が続いている。そのため、市からの補助が足りず、十分な人員を雇えないという課題も抱えているという。

市民のアパートの部屋や病室を再現した空間もある。ノルウェーでの暮らしを練習するための場所だが、今はあまり必要とされないために、新たな活用方法を検討中だ 筆者撮影
市民のアパートの部屋や病室を再現した空間もある。ノルウェーでの暮らしを練習するための場所だが、今はあまり必要とされないために、新たな活用方法を検討中だ 筆者撮影

それでも、市民たちはこの場所を有意義に使おうとしている。食堂に案内されると、そこにはウクライナとポーランドを背景にもつ市民たちが、母国の料理を提供していた。まだ人と話すことに慣れていない人もいれば、片言のノルウェー語で積極的に話しかけてくる明るい人もいる。

筆者撮影
筆者撮影

「食堂オープン中」という看板を見て、新施設に関心があるベルゲン市民たちも「なんだなんだ」と覗きにきて、ウクライナとポーランドの食事を楽しんでいた。

まだ新しい国にきたばかりで、さざまな理由で、家(内)にこもりがちになることもあるだろう。そういう時、「カフェを開くから、おいでよ」と、まずは家から一歩出て、社会になじむ「きっかけ」がこの施設には無限に含まれているような気がした。

「今日は、ウクライナのスープ、コーヒー、ケーキを用意。学校キッチンは16~18時までオープン」 筆者撮影
「今日は、ウクライナのスープ、コーヒー、ケーキを用意。学校キッチンは16~18時までオープン」 筆者撮影

筆者撮影
筆者撮影

食堂をたまたま訪れた、あるカップルがいた。この施設のご近所に引っ越してくる予定だそうだ。筆者が取材のために建物を案内してもらっているところだと耳にして、「私たちも同行していいか」と一緒に視察することになった。

図書室で、インクルージョンセンターの活用方法の可能性を話し合うヘルネスさんと市民 筆者撮影
図書室で、インクルージョンセンターの活用方法の可能性を話し合うヘルネスさんと市民 筆者撮影

この夫婦は、建物がもつ様々な可能性に魅力を感じたようで、「私にはこのようなスキルがあるから、こういうことで貢献できるかもしれない」とスタッフに提案もしていた。

ここは移民・難民にとって「安心できる空間」だけではなく、ベルゲン市民がより街に溶け込めるようにするための空間でもあることを感じた。

北欧デザインらしい家具やベンチが溢れている。外では市民菜園ができる場所も 筆者撮影
北欧デザインらしい家具やベンチが溢れている。外では市民菜園ができる場所も 筆者撮影

税金が使われる公的施設では、ウェルビーイングのためにもアートがたくさん展示されている。施設ができる際も、地元の子どもたちが参加して「共につくる」プロセスを体験した。イベント会場も複数ある 筆者撮影
税金が使われる公的施設では、ウェルビーイングのためにもアートがたくさん展示されている。施設ができる際も、地元の子どもたちが参加して「共につくる」プロセスを体験した。イベント会場も複数ある 筆者撮影

「つながる場」を自治体が用意する責任

実は、この取材にはNGOピースボートのスタッフである金元明(きん うぉんみょん)さんも同行していた。欧社会について講演するために、筆者は水先案内人として乗船していたのだが、寄港先のベルゲンで取材に行くことを話すと、「インクルージョン・センター」という名前が気になった金さんも、ぜひ一緒に、となったのだ。

金さんは、ベルゲン自治体がこの施設に100%出資している事にまず驚いていた。

「印象的だったのは、移民の方向けに語学教室があること。住居スペースやキッチン、美容室などがあり、実践を通して生活用語を学べるスタイルによって、いかに移民の方がスムーズに社会に溶け込めように、施設側が工夫をたくさんしていると強く感じました」

「学ぶことだけでなく、近所の住民たちが料理教室やスポーツを通して、地域住民と移民と関係なく自然と交流できる仕組み、繋がる仕組み、そんな空間があることが驚きであり、実はとても重要な『場』で、これは必要不可欠なものだと思いました。 そんな『場』を、自治体が責任をもって用意しており、実際に運営がなされている姿に感銘を受けました」

「外国人の受け入れ拡大をしている日本ですが、その移民が日本に馴染めるような、受け入れ態勢は整っていると言えるのか?受け入れとは裏腹に、日本では外国人の悪待遇に関するニュースが絶えないことを考えると、インクルージョンセンターから、『もっとできる!まだまだ出来ることがある』と、教えてもらい、勇気をもらえました。日本に絶望するのではなく、モデルケースがあることに、ひとつ小さな光を見た気がして、希望を感じました。在日コリアンとして日本に住む自分の目にはそう映りました」

執筆後記

ここまで堂々と、「人権」「インクルージョン」「尊厳」「移民・難民」などを全面的に押し出して、市民の税金を使って公的施設を作ることは、日本で可能だろうか?

そんなことを感じながら、また数年後に、この施設がどのように変化しているのか、取材にきたいと感じた。

北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員

あぶみあさき。オスロ在ノルウェー・フィンランド・デンマーク・スウェーデン・アイスランド情報発信15年目。写真家。上智大学フランス語学科卒、オスロ大学大学院メディア学修士課程修了(副専攻:ジェンダー平等学)。2022年 同大学院サマースクール「北欧のジェンダー平等」修了。ノルウェー国際報道協会 理事会役員。多言語学習者/ポリグロット(8か国語)。ノルウェー政府の産業推進機関イノベーション・ノルウェーより活動実績表彰。著書『北欧の幸せな社会のつくり方: 10代からの政治と選挙』『ハイヒールを履かない女たち: 北欧・ジェンダー平等先進国の現場から』SNS、note @asakikiki

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