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ドラマ『この世界の片隅に』が描いていく、かけがえのない「日常」と「普通」

碓井広義メディア文化評論家
(ペイレスイメージズ/アフロ)

主人公「すず」と女優「松本穂香」

先週末、日曜劇場『この世界の片隅に』(TBS系)の第2話が放送されました。新しく始まったドラマの良し悪しは、やはり第1話だけでは判断できません。第1話には制作側も思い切り力を入れてきますし、少なくとも顔見世興行的に「面白そうだなあ」と言わせるところまでは持っていくからです。真価が問われるというか、本来の姿が見えてくるのは第2話あたりからでしょう。

その意味では、『この世界の片隅に』は大健闘していると思います。最も貢献しているのは、主人公の「北條(旧姓・浦野)すず」を演じている松本穂香さんの魅力です。

それは「すず」という女性の魅力でもあるのですが、あの「ぼんやり感」や「のんびり感」が見ている者の気持ちを和ませてくれます。

すずは、昭和19年に、海軍で軍法会議の録事をしている北條周作(松坂桃李)のもとへと嫁ぎました。18歳でした。それ以来、毎日、こまねずみのようにくるくるとよく働いています。

水道のない山の上の家なので、下の井戸から水を汲んでくることに始まり、三度の炊事、洗濯、掃除、衣服などの縫い物と、本当にまじめに働くお嫁さんです。

現代から見たら、ちょっと理不尽に思えるようなことも、すずは何も気にせず、自分が周作や北條の家に必要とされていることを素直に喜んでいます。

このドラマを見ていると、当然のことですが、戦前にも(そして戦中も)、人の暮らしというものはあったんだなあ、続いていたんだなあと、ある新鮮さをもって思ったりします。そう、いつの時代も「日常」というものが存在する。

このドラマでは、そんな戦前から戦中の日常が描かれていきます。すずは、ごく「普通」の女性であり、いや、普通の女性だからこそ、その喜怒哀楽に共感できるのです。ちょっとぼんやりで、おっとりで、優しい性格は、すず自身を救うだけでなく、周囲の人たち、そして視聴者をもほっとさせます。

そして、こんな「いい人」にも苦しみや不幸をもたらすのが戦争なのだと、憤りと共に再認識したりするのです。

漫画『この世界の片隅に』の映像化

原作は、こうの史代さんの同名漫画です。映像作品としては、2011年に日本テレビが「終戦記念スペシャル」としてドラマ化し、この年の8月に放送しました。

主演は北川景子さん。周作を演じたのは小出恵介さんです。すずと周作が、「人さらい」から逃れるエピソードから始まって、原作より少し早い昭和18年夏に結婚するのですが、物語はほぼ原作通りに進行していきます。大事な場面、大事な台詞も、しっかり踏襲していました。

力作ではあったのですが、最後まで違和感があったのが、すずを演じる北川景子さんでした。いえ、北川さんは熱演だったのです。逆に熱演に困ったというか。北川さんのような、きりっとした美人さんと、すずという「ぼんやりが取り柄」というキャラクターが、どうにもミスマッチでした。

また「終戦記念」などと力が入った分、ドラマ全体にも、よく見る「戦争物」に近い緊迫感、シビアな雰囲気がありました。原作漫画がもっている、時代はシビアだけれど、そこに生きる主人公は「ほわん」としているという、あの味わいが遠くへ行ってしまったような・・・。

そして、次が2016年公開の劇場用長編アニメ『この世界の片隅に』(片渕須直監督)です。背景も登場人物も原作漫画に近い「絵柄」で描かれていただけでなく、すずの「声」を演じた、のん(元・能年玲奈)さんがピタッとはまっていました。まさに「動く漫画」を見ているようでした。

戦争が始まったことで世の中が、そして人々が変わってしまう。普通が普通でなくなっていき、当たり前が当たり前でなくなっていく。だからこそ、すずの(つまり私たちの)「日常」や「普通」や「当たり前」が、何物にも代えがたい大切なものだとわかってくる。そんな作品でした。

日曜劇場『この世界の片隅に』は、前述のように松本穂香さんというヒロインの“最適解”と、当時の市井の人たちの日常を丁寧に描くことで、良質なドラマになっていると言えます。

松坂さん、その姉である尾野真千子さん、すずの母親の仙道敦子さん、そして遊郭の遊女・リン役の二階堂ふみさん。いずれも適役であり、じっくりと物語の世界にひたることができます。

「現代」パートは必要だったのか?

ただ一点、「現代」のパートについては違和感があります。近江佳代(榮倉奈々)という女性と、その恋人らしい江口浩輔(古舘佑太郎)が、第1話の冒頭と第2話の終盤に現われたのですが、どちらも何者なのか、いまだによくわかりません。それでいて、佳代は「すずさんが住んでいた家を修復して、民宿かカフェをやりたい」などと言い出します。

佳代が、すずの子孫とか縁戚とかいう話なのかどうかも知りませんが、はっきり言って、このドラマに2人が必要とは思えないのです。いや、むしろ物語の邪魔をしているのではないかと思います。

彼らは、原作漫画にも、日テレ版ドラマにも、そして劇場用長編アニメにも登場しません。今回の日曜劇場版オリジナルの人物です。

その投入の理由を考えてみると、たとえば、視聴者と過去の時代をつなぐ「パイプ」、もしくは「インターフェイス」といった役目を狙ったのかもしれません。いきなり戦前・戦中の物語を始めて、視聴者がついて来てくれるだろうかという懸念からでしょうか。

また、それよりもリアルな想像は、同じ原作をベースにした映像化ということで、日テレのドラマや劇場アニメとの「差別化」を図りたかったのではないかということです。

特に、今回のドラマは漫画が原作というより、アニメを原作としているように思えるくらい、既視感が強い。まあ、そこには仕方ない面もあるのですが、制作側としては目に見える形での「別作品」感を出したかったのかもしれません。

だとしても、あの若者2人の“導入”が、ドラマにとって成功しているとは思えません。物語に没頭しているのに、ふいに現実に引き戻されるような感覚。しかも、視聴者側はこの2人に何の思い入れもありません。つまり必要でもなければ、魅力的でもないキャラクターが異物のように混入している。残念なマイナスポイントとなっています。私たちは、「すずの物語」が見たいのです。

描かれる、かけがえのない「日常」と「普通」

とはいえ、全体としてはレベルの高いドラマになっており、もしかしたら途中で、延々と続く「日常」に飽きる視聴者も出てくるかもしれませんが、ゴールまでつき合う価値のある連ドラだと思います。

最初にも書きましたが、第2話まで見て、あらためて松本穂香さんに感心しました。かつてのNHK朝ドラ『あまちゃん』で、能年玲奈さんによって「天野アキ」がこの世に生まれたように、松本さんが「北條すず」を現出させてくれたのではないでしょうか。

これから物語の中のこの国は、ますます厳しい状況となっていきます。すずの「日常」と「普通」がどんなふうに守られ、ときに傷つけられていくのか。やはり目が離せません。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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