学力テストの結果を教員ボーナスに反映することはマズイのか
全国学力・学習状況調査(以下、学力テスト)の結果が政令市で最下位だったことを受けて、大阪市の吉村市長が、今後、学力テストの結果を校長や教員のボーナス(勤勉手当)に反映する方針を示したことが議論を呼んでいる。
教師をなめるな、という声
わたしが実際に何人か校長や教員に聞いても、あるいはSNS上でも、現役の教員(大阪市だけでなく、全国)の多くはこの動きに反発している。撤回を求める署名活動(「学校はそれではよくならない。」)にも発展している。
朝日新聞もこう報じている。
反対する主張をざっくりまとめると、3つだ。
●学力テストの結果を教師だけのせいにするなんて!
●ボーナスで教師の尻をたたいても、やる気は左右されない。多くの教師はすでに頑張っている。教師をなめるな。
●学力テストの結果を過度に重視する大阪市には教員志望者が減るのではないか。
さて、市長も予想していたと思うが、賛否ある話である。どう考えたらよいだろうか。
論点1:学力テストの結果は教師だけのせいなのか
全国の学力テストの結果は、報道では都道府県・政令市別順位にばかり気をとられがちだが、この順位には重要な留意点がある。
それは、公立学校のみの集計結果であるという点だ。私立はそもそも参加していない学校も多い。全国的には約半数が参加していない。
蛇足だが、本当に学力テストが有効な政策なりツールならば、もっと私立が参加すると思うのだが(この点は文科省さんよく反省、検証してほしい)。
仮に優秀な子は私立に流れやすいということなら、公立学校のみの平均得点率は低くなりやすい(もっとも、この傾向は大阪市だけの傾向ではないだろうが)。
こういうデータ上の限界は意識しつつ、学力テストの結果は教師だけのせいなのか、について考えてみたい。
次のデータは学力の経済学で有名な中室先生らが検証したもの。双子を被験者にして、遺伝の影響やほかの影響があるのか調査したものだ。
もちろん、この結果も限れたデータサンプルのものだし、どこまで一般化できるかは留意が必要だが、この研究でわかったことのひとつは、中3段階の学力の約7割は遺伝と家庭環境で説明されてしまう、ということである。つまり、親の影響が大きいということ。残りの3割が独自環境と呼ばれているもので、これには、どんな教師、授業と出会ったかとか、どんな友達と切磋琢磨したのかなどが含まれている。
実際、先ほどのニュースにもあったように、家庭の経済環境と子どもの学力とは強い相関があることが知られている。全国学力テストでの学校向け質問紙を読み解くと、小学校6年生について、就学援助の(生活保護等で学習上の経済的な支援を受ける)児童が在籍する比率が30%以上の学校は、大阪市では24.5%もあり、全国平均8.8%などと比べても著しく高い。
家庭がしんどいなかで、大阪市の先生たちは頑張っているのに、学力テストの結果で、それも私学に行く子が流出したあとの結果で、ボーナスに差を付けるとは納得できない、という気持ちは、理解できる。
ただし、仮に遺伝や家庭環境の影響が大きいとしても、教師の力量や学校の影響も一定程度はある。米国などの研究となるが、家庭環境が厳しい状態であっても、教師の力量が高い学校や、教職員の間の関係性のよい学校では、児童は一定程度以上の学力に高まることが検証されている。仮に大阪の先生が、「どうせ家庭がしんどいから、学力が低くても仕方がない」とあきらめモードであるとしたら、それはそれで大問題だ。ボーナスや学校予算で脅そうとすることよりも、このあたりこそ、冷静な事実確認と検証がなされるべきであろう。
論点2:ボーナスを上げると教師のやる気は高まるか
次に、仮にだが、大阪市の先生たちのやる気が足りない、もっと意識改革が必要だ、という市長の認識のとおりだったとして、果たしてボーナスで釣ることが有効なのかという問題について検討する。
わたしの新刊(『先生がつぶれる学校、先生がいきる学校―働き方改革とモチベーション・マネジメント』)でも紹介しているが、企業についての研究では、だいぶ、わかってきていることがある。
それは、「ボーナスなどの経済的な報酬は行動の動機付けには一定程度なるが、長続きさせることにはつながらない。非経済的な動機付けのほうが長続きする結果につながるときがある」ということだ。
つまり、ボーナスアップになっても、その直後はうれしいが、その効果は長続きしない可能性が高い。むしろ、経済的な報酬は、職場での不公平感などを生むと、人のモチベーションを下げるほうに働きやすい、ということが多くの研究が示すところだ。
数多くの科学的な知見を参照した『マッキンゼー流 最高の社風のつくり方』によると、仕事へのモチベーションを高めるには、金銭的な報酬や感情的なプレッシャー(たとえば、母親を失望させたくないので、ピアノのレッスンに嫌々通い続ける)ではなく、次の3つのことが重要だという。
★楽しさ
(仕事自体が楽しいと思えること。)
★目的
(仕事の結果について意味があると思えること。たとえば、看護師なら、患者の苦しみを癒すという目的が、仕事に励む動機になる。)
★可能性
(仕事の直接的な結果ではなく、二次的な結果について意味があること。たとえば、ロースクールの入学に役立つ可能性があるということで、弁護士のアシスタントとして働く場合。)
こうした企業の知見が日本の教師にそのまま当てはまるかどうかは検証が必要だが、人に関することである以上、ある程度共通する点はあるのではないか。
こう考えると、学力テストの結果を過度に重視されることや、教育委員会や校長からの管理が厳しくなることは、教師の楽しさを減らし、なんのために働いているのかという目的意識も減損させてしまう。
加えて、大阪市では主務教諭制度をこの春から導入している。大卒の場合、8年以上の経験者が主務教諭になる対象者となるが、37歳を超えている人で主務教諭に合格できない人の場合、昇給はストップするという。しかも、合否は2年間の人事評価結果から判断される。評価者は校長。
大阪市では、主務教諭制により、教師に対してアメとムチを強化しようとしている。かつ、今回の市長の主張が通った場合は、一層、学力テストの結果やその対策に熱心なことが人事評価にも影響するようになると思われる。校長自身のボーナスや評判にもかかわるので、大阪市中で、魅力的な授業づくりや探究的な学習はほどほどにして、学力テスト対策に躍起になる学校が増える可能性もある。かつ、校長がオカシイ場合も、人事評価で不利な扱いをされるのは怖いので、モノ言えない教師が増えかねない。
こうなると、おそらく多くの教師にとって、仕事の楽しさ、目的、可能性という3つの観点いずれをとっても、モチベーションは上がらない方向に向かう。大阪市で教師をやることの魅力も下がるかもしれない。仕事を通じて成長できるとか、風通しのよい職場で活き活きと働きやすいといったふうでなくなるとすれば。要するに、今回のことが実現すると、多くの場合、教師のモチベーションは逆に下がるし、離職者(他市等への転職)も増える可能性が高いと考えるほうが自然だろうと思う。こうなると、学力テストの結果はさらに悪くなり、悪循環となる、という最悪のシナリオである。
百歩ゆずって、ボーナスに差をつけることをやるとしても、一部の学校で試行、検証してからやるべきだ。上記のようなマイナス影響や副作用のほうがむしろ大きく出るかもしれないのだから。また、コメントにあるように、大阪市で教員をめざす人が減るかもしれないなどの中長期の影響もよく考えていく必要がある。
学力テストの結果は限れたデータにすぎないが、無視する、ないし他のせいにするだけでもいけない
以上のように、市長の方針には問題が多い。
だが、だからといって、大阪市の学校や先生たちは学力テストの結果について、
●まあ、こんなものだよね。
●家庭等の影響も大きいのだし、まだ頑張っているほうだよね。
などと安心、あるいはあきらめて、よいのだろうか?
知人の伊藤敏雄氏(著書に『勉強法以前の「勉強体質」のつくりかた』)から教えていただき、わたしのほうでも、学力テストの学校質問紙について軽く読んでみた。
大阪市からすぐ近く、京都市は政令市のなかでもトップクラスに学力テストの結果がよい。ここを参考に比較してみよう。今回は小学校への質問をもとに比較してみた。
実は次の表からも明かなように、大阪市の先生たちは、算数の少人数クラスや補充的授業の実施などで、低学力層の底上げを図ろうとしている。むしろ、少人数指導では、全国平均や京都市よりも、はるかに熱心である。
これが学力テストの結果に結びついているのかどうか、あまり効果はなかったのかどうかは、今後詳細な検証が必要だ。だが、この質問以外を見ても(今回はデータの紹介は割愛する)示唆されるのは、大阪市の先生たちはかなり様々な取り組みを行って、頑張っている、という事実だ。
もっとも、たとえ、少人数や補充・補習などをして努力しているとしても、やり方が誤っていたり、指導力が低かったりすると、結果にはつながらないので、努力だけでは判断・評価はできない。
しかしながら、大阪市と京都市、全国平均との間で、くっきりと差があったことがある。次の2つの設問である。
「前年度までに,家庭学習の取組として,児童に家庭での学習方法等を具体例を挙げながら教えるようにしましたか」について、「よく行った」という回答が大阪市では18.6%であり、京都市や全国よりも相当低い。ちなみに、全国トップの秋田県はこの比率が58.9%もあるそうだ(前述の伊藤氏のコメント)。つまり、大阪市では、学習方法等を具体的に示さないまま、丸投げであるか、どうせやってこないと放置している可能性もあるのかもしれない。
もうひとつの設問は、「前年度までに,近隣等の中学校と,授業研究を行うなど,合同して研修を行いましたか」である。大阪市では「よく行った」と回答する小学校は9.0%であり、京都市や全国よりも低い。
いろいろな背景はあるだろうが、あまり小中学校のあいだの関係、連携が取れていない可能性がある。この状態で、先ほどの学力テストのボーナスへの反映などを行うと、中学校からは「小学校の段階で学力が定着していないせいで、オレ達までとばっちりを受ける」などとみなされ、小中の関係性やコミュニケーションは一層悪くなるかもしれない。
この2つの設問が、学力テストの結果にどれほど影響しているかは、もっと検証しないと、わからない。
だが、わたしが言いたいことは、大阪市の学校や教師にも、もっと、反省材料や考えるべきことはあるのではないか、という点である。
全国学力テストそのものの意義や、費用対効果などは、別途議論が必要だが、本来、学力テストなどのデータは、何が反省材料なのか、何がよい実践として効果的なのかなどを分析するためにある。いきなりボーナスや学校予算うんぬんというよりも、ちょっと時間をかけて、そういう振り返りをしっかり行うことのほうにエネルギーを向かわせるべきではないだろうか。