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NZ銃乱射事件 タラント容疑者はどんな人生を歩んできたのか? 北朝鮮にも旅行し、父親は日本との接点も

飯塚真紀子在米ジャーナリスト
モスクの外で、銃乱射テロで亡くなった人々に黙祷を捧げる人々。(写真:ロイター/アフロ)

 ニュージーランドで起きた史上最悪の痛ましいテロ。極右の白人至上主義者がモスク(イスラム教礼拝所)を襲い、50人が死亡、負傷者は50人に達している。

 なぜ、ブレントン・タラント容疑者(28)はこんな事件を犯すに至ったのか? どうして、極右思想に染まってしまったのだろう? 様々な疑問が頭をもたげる。

父親は日本との接点も

 犯罪を考える時、その背景の一つとして考えられるのが生い立ちだ。タラント容疑者はどんな人生を送ってきたのか?

 「貧しい家庭に生まれた普通の白人男性」と自身について書いているタラント容疑者は、幼少期、両親が離婚している。父ロドニーはゴミ清掃夫をしていた。母シャロンは英語教師である。

 父ロドニーは強いトライアスロンの選手でもあった。1991年、タラント一家は、ロドニーがハワイ・アイアンマン・トライアスロンに参加するため、ハワイに旅行した。ロドニーは完走し、1400人中334位という成績を残している。また、1995年には、日本ストロングマン・トライアスロン・チャンピオンシップに参加するオーストラリアチームの一人に選ばれ、1300人中58位という素晴らしい成績を収めていた。

 1990年代に撮影された家族写真では、幼児だったタラント容疑者が父の腕に抱かれている。しかし、両親はまもなく離婚。

 父ロドニーは2010年、タラント容疑者が高校生の時、アスベストの吸引が原因と考えられる癌のため、49歳で他界する。ロドニーの死亡広告には「第2子の誕生後まもなく結婚は破綻したが、ロドニーはくじけることなく、悲劇的にも癌との闘いに負けるまで、子供たちにコミットした」とある。

 タラント容疑者は子供の頃から学校で教えられることには全然興味が持てなかったため、大学には進学していない。しかし、父親がトライアスロンをしていた影響であろう、2009年から、父親が亡くなった翌年の2011年まで、スポーツジムでパーソナル・トレーナーを務めていた。ジムのマネージャーによると、タラント容疑者は「トレーニングに熱心で、子供達を無料でトレーニングするプログラムに打ち込んでいた」という。

とても高い自尊心

 父親の他界後、タラント容疑者は遺産を受けついだようだ。2011年、「最近、父が亡くなったので、ちょっとした資本に出くわした。父が30年以上払ってきたお金を失いたくない」と株のフォーラムに投稿している。父親が株に投資していたのかもしれない。

 父の遺産がどれほどだったかはわからないが、タラント容疑者は自信を得たようだ。1ヶ月後、同じフォーラムで、

「電話で話す以外は、どんなことにも強い自信がある。毎日20人以上の生徒がいるフィットネスクラスで教えていて、楽しい。僕の自尊心はとても高いんだ。やろうと思えば本当になんでもできるさ」と投稿している。

 やろうと思ったこと。その一つが、タラント容疑者にとって世界旅行だったのかもしれない。旅行のフォーラムに「6月2〜9日の間に、オーストラリアの大都市に飛んで、キャッシュかデビットカードか個人小切手でバンを買おうかな」と投稿しているという。

北朝鮮が彼を変えた?

 そして、タラント容疑者は旅立った。ビットコネクトという仮想通貨のトレーディングで旅行資金を得たという。

 2016年12月に、ボスニア、モンテネグロ、クロアチア、セルビアを訪ねた。銃乱射をライブ・ストリーミングしている時、彼の車のスピーカーから流れてきたのはセルビアの愛国的な歌だったという。

 2017年には西ヨーロッパを訪ねた。この旅行での体験が彼に過激な極右思想を植え付けた。この時、タラント容疑者は、ストックホルムで起きた、IS共感者が起こしたトラックによるテロで、白人の少女がなくなった事件に恐怖を覚えたという。また、同年に行われたフランスの選挙で極右政党が負けたことに怒りを募らせ、移民を非難、多くの移民のためにフランス人たちがマイノリティーになっていると嘆いている。他には、アイスランド、ポーランド、ニュージーランド、アルゼンチン、ウクライナも訪問している。

 2018年10月には北パキスタンも訪ねていた。彼が宿泊したホテルオーナーは、彼について、「ノーマルで礼儀正しい青年だった」と話している。  

 2018年11月にはブルガリアに滞在し、ハンガリーへとドライブしている。

 トルコにも1回以上訪問し、長期滞在している。犯行前にネットにあげた「マニフェスト」の中で、彼はターゲットに言及しているが、トルコのエルドアン大統領もその一人だ。他には、ドイツのメルケル首相とロンドン市長のサディク・カーン氏もターゲットリストに入っていた。

 また、時期は不明だが、タラント容疑者は北朝鮮も訪ねていた。ツアーグループに加わって三池淵大記念碑を訪ねた時に記念碑の前で、写真を撮っている。タラント容疑者が務めていたジムのマネージャーは、北朝鮮を訪問したことで彼は変わったのではないかと考えている。

 世界各地を訪問する中、タラント容疑者に芽生えた極右思想はどんどん深まっていったのかもしれない。

トランプを支持する保守系政治活動家の影響

 旅行以外にもタラント容疑者に影響を与えたのは、右翼に傾倒している人々だ。

 その中の一人に、保守派グループ「ターニング・ポイントUSA」のキャンディス・オーウェンズ氏がいる。オーウェンズ氏はアフリカ系アメリカ人の保守系コメンテイターで、政治活動家。トランプ氏を支持し、「ブラック・ライヴス・マター(アフリカ系アメリカ人に対する暴力や人種差別の撤廃を訴えるための社会運動)」や民主党を批判している。タラント容疑者はマニフェストの中で、

「とりわけ僕に影響を与えたのはキャンディス・オーウェンズだ。彼女の話を聞くたび、彼女の洞察力と物の見方に圧倒され、僕はどんどん暴力を信じていった」

と書いている。

 タラント容疑者はまた、イギリス人政治家の準男爵サー・オズワルド・モズレー卿にも心酔していた。モズレー卿はイギリスファシスト連合の指導者。タラント容疑者のフェイスブックのプロフィールページには、モズレー卿のスピーチ録音が載せられていたという。

 また、77人の命を奪ったノルウェーの連続テロ犯アンネシュ・ブレイビクともコミュニケートし、彼のマニフェストにインスパイアされたという。

 そして、トランプ氏のことを「白人復活のシンボル」と見ていた。

 恐怖を生み出し、イスラム人コミュニティーに対する暴力を扇動したかった。

 マニフェストにそう書いたタラント容疑者は、2年前からテロを計画、3ヶ月前にニュージーランドのクライストチャーチにターゲットを決め、犯行に及んだ。

 裁判所に出廷したタラント容疑者は笑い、白人至上主義者が使う逆さまのOKサインをして見せたという。裁判で、タラント容疑者は何を語るのだろうか?

参考記事:Accused mosque shooter 'changed' after visiting North KoreaNorth Korea, Pakistan, Bulgaria: The unusual travels of the New Zealand shooting suspect

在米ジャーナリスト

大分県生まれ。早稲田大学卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会、トレンドなどをテーマに、様々なメディアに寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲル、ジム・ロジャーズなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。

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