安倍元首相銃撃事件から1年、選挙プランナーがみる選挙現場の変化とは
安倍元首相銃撃事件から、今日で1年が経ちました。筆者は選挙プランナーという職業柄、この銃撃事件以降で要人(警護対象者)が入る選挙応援での警備は、以前と比べて実務上どれぐらい警備が厳しくなったのか、といった現場の声をよく尋ねられます。要人警備という性質上事細かに説明をすることはできませんが、安倍元首相銃撃事件以降変わったことをいくつか上げてみながら、選挙現場がどう変わりつつあるのかを考えたいと思います。
警備の重さは従前よりも厳しくなった
選挙特有の「応援弁士の臨機応変なサプライズ対応」は少なくなった
要人(警護対象者)が入る選挙応援では、政党と候補者陣営の連携のもとスケジュールが組まれた時点で、所轄の警察署と候補者陣営の担当者が警護計画を作成します。ここでは、要人(警護対象者)の移動ルートだけでなく、立ち位置や立ち位置までの導線、警備員などの配置状況なども細かく決めます。そして警護計画の立案に際しては、実際に現場を実地調査(いわゆる「実査」)し、警護対象者や警備員などの立ち位置などを実際に確認することになります。
安倍元首相銃撃事件以前は、警護計画を策定しても、例えば会場で車両を降りた警護対象者が壇上に上がるまでに関係者と触れあったり、演説が終わった後に群衆に入っていって握手や記念撮影をするような「接触の多い」応援演説が数多く見られました。一部を除き、このような「接触」は警備計画には入っておらず、サプライズ的なものの一つとして許容されていたように思います。有権者にとっても人気の応援弁士と握手をしたり記念写真をするなどの「接触」は思い出に残るものであり、まさに「選挙応援」の大事な要素であったことは間違いありません。
しかしながら、銃撃事件以降は「警備計画」通りの進行が求められ、例えば会場で車両を降りた警護対象者が壇上に上がるまでに関係者と触れあうにしても、触れあう可能性のある人を事前に特定をした上で、識別章をつけるなど事前に接触可能性のある人を特定することが求められるようになりました。ビル内での移動についても、警護対象者は「事前に待機させておいたエレベーター」にスムーズに乗る形が求められ、同乗する人も事前確認されます。「アドリブ」や「その場でのエイヤー対応」はほぼ無くなりました。
さらに直前の警備計画変更などは認められないことが多く、導線の変更や障害物(バリケード)の変更、警備員の変更なども極力避けるように指導されることが多いのが実情です。このあたりは「選挙だから直前変更もいくばくかあっても致し方ない」という感覚から「万が一のことを考え変更は認めず(原則は)警備計画通り」というのがしっかり守られているという印象です。
このことから、選挙応援そのものは守られつつも「事前の計画通り」という方針を厳守する姿勢に大きく転換したこと、そしてそのことにより有権者との「接触」が減ったという事実は否めません。
「見せる警護」と「見せない警護」のハイブリッド強化
警護対象者を守るSP(セキュリティポリス)の存在がニュースなどでも話題になることが多いですが、警護対象者を守るSPの数も明らかに増えました。具体的な数に触れることはしませんが、警護対象者の種別(首相、大臣、政党幹部)を問わず、SPが増えています。「見せる警護」を増やすことで、犯罪企図者に対して威圧する目的があるとも捉えられます。
また、「見せない警護」と書きましたが、一見してSPとわからない警護担当者が増えたのも印象的です。陣営関係者に求められる警備補助の人員も増えたことから、例えば街頭演説会場や個人演説会といったイベントにおける警護全般の人員が増えたことは間違いありません。以前であればカラーコーンにトラロープを張って「立ち入り禁止」としていただけのところに警備担当者を配置するなど、とにかく人を多く配置して安全導線確保を行うという方針が垣間見えます。もちろん、有事に素早く対応できるように群衆の中に一見して警備担当者とわからないような警備要員が配置されるようなこともあり、「見せる警護」だけでなく「見せない警護」にも力を入れていることがわかります。
それでも起きた「岸田首相襲撃事件」
このように、選挙応援にかかる具体的な要人警備は明らかに変わりつつあるものの、それでも今年4月には、衆議院和歌山県第1区補欠選挙の応援演説に駆け付けた岸田首相の近くに爆発物が投げ込まれる襲撃事件が発生しました。安倍元首相銃撃事件とは異なり、幸いにも死者ゼロ(負傷者2名)で済んだものの、相次ぐ選挙現場での要人襲撃に「選挙の応援演説は危険なもの」「演説会場は危ないところ」というイメージをもった有権者も少なくないでしょう。
屋内の個人演説会などと異なり、屋外の街頭演説会は警備が極めて難しいのが実情です。屋内の個人演説会(いわゆる「ハコ」)は、党員や支援者などを対象に士気を高めるための場であり、身元確認や手荷物検査もしやすいのに対し、屋外の街頭演説会は一般の方や通行人にも聞いてもらうことが目的です。無党派層や選挙無関心層に「知っている政治家が話している」と振り向かせて関心を持ってもらうと同時に、ご当地の候補者の顔と名前を覚えてもらうという手法は、特に選挙期間中には多用されることが多く、候補者陣営としても、大物政治家の応援演説ほど屋外の街頭演説会をやりたがります。
選挙戦も熱が入れば入るほど、「集票」と「リスク」のバランスが崩れる傾向にありますが、安倍元首相銃撃事件や岸田首相襲撃事件を踏まえて、大物弁士による屋外の街頭演説会を開催する「リスク」に、各陣営がこれまで以上に真剣に考えなくてはならない時期が来ていると考えられます。
「傍から見て従前と変わらない選挙」こそが理想
わずか1年のあいだに起きた2度の襲撃事件で、選挙のあり方にも少しずつ変化が見えてきています。各候補者陣営も、要人警護や雑踏警備といった選挙における「ロジスティクス」周りをおそろかにすることなく、安心して街頭演説会場に来てもらう責任を負ったとも言えるでしょう。
このような2度の襲撃事件があっても、選挙制度そのものは変わらず、今後も選挙は定期的に訪れます。秋の衆議院解散総選挙は遠のいたとの見方もありますが、10月には(岸田首相襲撃事件が起きた4月と同様)国政補選も予定されており、選挙における警護のあり方と有権者との接点の課題は、永遠の課題とも言えます。
そして、その課題においては、「傍から見て従前と従前と変わらない選挙」が行えるかどうかが今後の鍵と言えます。有権者が「演説会場や選挙そのものは危険なものだ」と認識をすれば、候補者や弁士の声を直接聞くことを忌避し、あるいは投票所へ向かう足も重くなるかもしれません。それは民主主義の本来あるべき姿と反対を向くことです。
安倍元首相銃撃事件直後、自民党が各陣営に「暴力には屈しないという断固たる決意の下」選挙活動を進めることを要請した文書は、このような悪循環に陥らないことを目的としていました。ただ、「暴力には屈しない」という文言を現実において実現するのは、並大抵の努力では済みません。ここまで述べたように、聴衆の安全を守るための警備要員の確保や警備計画の作成、それに伴う費用といったコストといった負担も候補者陣営にかかるなかで、どのように有権者にとって「身近な政治」を感じてもらいつつ、「国民の安全」も同時に守るのか。その課題への挑戦は、始まったばかりです。