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【深掘り「どうする家康」】今川氏真が松平元康の妻・築山殿を愛人にできなかった深いワケ

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
築山殿を演じる有村架純さん(写真:Keizo Mori/アフロ)

 大河ドラマ「どうする家康」では、今川氏真が松平元康の妻・築山殿を愛人にしようとしていた。本当にそういうことがありうるのか、深掘りすることにしよう。

 大河ドラマの中で、今川氏真が松平元康の妻・築山殿を愛人にしようと迫っていた。築山殿を演じる有村架純さんが美しいからだろうか。少なくとも史実としては、認められない。

 氏真には、早川殿という正室と側室(庵原忠康の娘)がいた。庵原忠康の詳しい事蹟は不明であるが、今川氏の家臣だったと考えられる。では、早川殿とは、どのような女性だったのだろうか。

 早川殿は北条氏康の娘であるが、生年は不詳である。最近の研究では、天文15年(1546)から天文17年(1548)の間に誕生したとの指摘がある。氏真よりも、8歳から10歳年下だったことになる。では、2人はいつ結婚したのだろうか。

 天文23年(1554)7月、17歳だった氏真は早川殿と結婚した。これは、今川、北条、武田の三者で締結された甲相駿三国同盟に伴うもので、政略結婚だった。

 駿河に向かう早川殿には、大勢の家臣が供奉し、その行列には多くの人が沿道で見物にやって来たという。早川殿の受け渡しは、三島(静岡県三島市)で行われ、好天に恵まれたと伝わる。

 結婚当時、早川殿は7~9歳だったので、まだ幼い子供だった。2人の間に娘(のちの吉良義定の妻)が授かったのは、永禄10年(1567)頃であるといわれている。早川殿は20歳前後だったと考えられるので、やや遅い子供だったかもしれない。

 氏真の初めての子が30歳頃ということは、いささか遅いといわざるを得ない。早ければ、10代で子がいても不思議ではない時代だったからだ。なお、側室を迎えた時期は不明である。

 今のところ、今川氏真が松平元康の妻・築山殿を愛人にしようとしたという記録はない。また、他人の妻を無断で奪うのは、当時の慣習(あるいは武家家法の規定)としてはあり得なかった。無理やり離婚を迫るのも難がある。

 やはり、これは素直にフィクションとみなさざるを得ないだろう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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