常に「これが最後の試合だ」―滋賀GOブラックスのクローザー・岡部拳門は悔いなき球を投げてNPBへ行く
■緊急の守護神投入
ゲームセットの瞬間、岡部拳門投手(滋賀GOブラックス)の顔から思わず笑みがこぼれた。引き分けに終わりセーブはつかなかったが、自分の仕事ができた安堵感に満たされていた。
5月8日の石川ミリオンスターズ戦は規定により八回が最終イニングになったが、岡部投手の出番はその前の回に急遽、訪れた。チームが3-4の1点リードで迎えた七回裏に追いつかれ、2死一、三塁で守護神投入となったのだ。
「準備はしてたけど、予定よりちょっと早かったので、その分ちょっと焦った部分はあったかもしれないです」とはいうものの、いつもと変わらず落ち着いていた。
「打たれる気はそんなしなかった」と大西智起選手を三ゴロに打ち取り、さらに回をまたいで最終回のマウンドにも上がった。
先頭の端保篤選手に右前打と盗塁を許し、次打者・松元風樹選手の二ゴロで1死三塁となった。絶体絶命のピンチに、仲間の言葉が脳内によみがえった。
「思いっきり楽しんで腕振ってこい!」
もとより自身もそのつもりだった。「より一層、悔いのないように、自分の球をミットめがけて投げようと思った」とボールに魂を込めた。
藤村捷人選手の強襲打には素早く反応した。「ボールが止まって見えた。アッと思って(グラブを)出したら入った」としっかりキャッチすると、最後も力勝負だ。山内詩希選手を速球で空振り三振に仕留めて役目を終えた。
公式戦では初めてのイニングまたぎに、澤崎俊和投手コーチも「よかったね。回をまたがせちゃったけど、よくやってくれた。『楽しめたか?』って訊いたら『はいっ!』って言ってた(笑)。実際はそうじゃないだろうけど、本当によくやってくれた」と手放しで讃えていた。
■滋賀GOブラックスのクローザー
なんとしてもNPBに行きたい―。そんな思いで心機一転、高知ファイティングドッグス(四国アイランドリーグplus)から日本海オセアンリーグの滋賀GOブラックスに移籍した。クローザーに任命されたのは、オープン戦が始まる2週間ほど前だった。
「1月2月の練習を見てて、監督とも話しながら、強い球を投げられているし、向こう(高知)でも経験はあるっていう話は聞いていたので、任せてみようかなということになった」と澤崎コーチが明かす。
現在、8試合に登板して4セーブはリーグトップ、そして未だ自責点は0で防御率0.00を維持している。首脳陣の期待にしっかり応えているのだ。
ただ岡部投手は「ポジションにはこだわらない」という。
「去年は先発をしていて、したいなっていう気持ちもあるけど、まずはNPBにに行きたい。そのためにはまず、150キロ以上投げないと話にならないというか上に行けないというのが、独立リーグで2年間やってきて明確にわかった。どこのポジションをやるにしても、まずそこをクリアしないといけない。だから、ポジションにはあまりこだわらない」。
自身の目指すところがハッキリしているのだ。
■見ている景色が変わった
最速は現在147キロだが、「そろそろ(150キロが)出そうだな」と感じるものがあるという。
「球が強くなったっていうのが、自分の中の感覚としてある。野球人生で一番、感覚としてはいい」。
感覚―。それは自分にしかわからないものだろうが、あえて言葉で表現してもらった。
「言葉にするとですか(笑)。うーん、なんて言ったらいいのか…威力が増したっていうか…」。
そして少し考えて、こう続けた。「ボールに力が伝わってて、見ている景色が変わったっていう感じ。いつも投げてるボールの、去年までの軌道っていうんですかね、それとは全然違うなっていうのはあります」。
なるほど、「見ている景色が変わった」とは素晴らしい表現だ。
そう感じ始めたのは、シーズンオフの12月、1月あたりだという。
「150キロ以上投げられるようになるためには、今までやってきたことじゃ無理やな」と考え、月に1度のペースで東京の野球専門の施設に通うようになった。NPB選手も通っている、投球フォームのメカニクスやウェイトトレなどを教えてくれるところだ。
高知在籍時から通い始め、オフも継続し、徹底的に取り組んだ。
「自分なりにアレンジもして、自分の中に落とし込んでずっとやってきた。そういうのを積み重ねてきた結果、よくなったし、今につながってるのかなと思う」。
具体的には「リリースの瞬間に100をもってくるというのは意識はしている。ロスなく、いかにボールに力を伝えられるかというのを考えながらやっている」そうで、それが今、うまくハマッているようだ。
■フォークは平間、藤井の両投手から伝授
ストレートでぐいぐい押すピッチングを身上としているが、ここぞというときの武器にフォークがある。「あまりムダ球になっていないっていうのはあります、今年のフォークは」と、昨年より精度が上がったと自信を見せる。
これには高知でのチームメイトだった二人の存在がある。今も高知に在籍する平間凜太郎投手からは「まっすぐと同じ腕の振りで、まっすぐよりもちょっと前で放すっていうイメージで投げている」と教わった。
もう一人は今年から福岡ソフトバンクホークスで活躍している藤井皓哉投手だ。
「藤井さんは、ベース板のちょっと前くらいに壁があって、その壁に当たってストンと落ちるっていうイメージでフォークを投げてるらしいんです」と、その極意を明かす。
昨季が終わって1ヶ月弱、ずっと一緒にキャッチボールをして、さまざまなものを吸収させてもらった。二人の先輩から得た財産が、今では自分の武器に変わった。
■「これが最後の試合だ」という考え方
さらに「あと、考え方かもしれないですね」と明かす。
「僕は本当にNPBに行きたくてやってるんですけど、今年は1試合1試合を最後の試合だ、次はもう投げられるかわからない、悔いのない球を投げたいって思って投げている。後悔しないように、やりきって終わりたいなって考えています」。
どれほどの思いで今年に懸けているのか、痛いほど伝わってくる。
1試合たりとも、1回たりとも、1球たりとも、決して無駄にはしない。
誰しもがそういうつもりで臨みたいと思っていても、それを継続するのはよほどの精神力が必要だ。それを成し遂げられているからこそ、結果が出せているのだ。
ビハインド展開でも、大量リードの場面でも、「野球は何が起きるかわからない」と決して気を抜かず、準備を怠ることはない。だから、今季何度かあった緊急登板でも「気持ちの面ではいつでもいけるようにはしています」と、動じず自分のピッチングができた。
そこには「後悔したくない」という強固な意思があるのだ。
■父は元ロッテオリオンズ・岡部明一外野手
お父さんはロッテオリオンズ、千葉ロッテマリーンズでプレーした元プロ野球選手の岡部明一氏だ。しかし、岡部投手が野球を始めたのは、お父さんに勧められたからではないという。
「生まれてすぐからゴルフボールとクラブを持って、ずっと打って遊んでたらしいので、親はゴルフをやると思ってたらしい(笑)」が、いつのまにか野球を始めていたのは、やはり何か導かれるものがあったのかもしれない。
お父さんの現役時代にはまだこの世に生を受けていなかった岡部投手だが、YouTubeなどでバッターとしての父の姿は見ている。「いい選手やな」と感じたが、自身が目指したのは父と同じ外野手ではなく投手だった。
本格的に投手をするようになったのは、早稲田摂陵高校2年の秋が終わったころだ。
「自らやりたいと言いに行きました。ずっとピッチャーがしたいっていう気持ちがあったんで。自分で試合を作れるっていうのが、かっこいい。一番目立つじゃないですか、ピッチャーって」。
以来、ずっと投手1本でやってきた。そして、今後もNPBで投手を続けたい。
■澤崎コーチはさらなるステップアップを求める
秋のドラフトに向けて、澤崎コーチも後押しをする。
「クローザーとしての仕事を十分にしてくれているし、結果も出してくれている。けれど、もう一つ上に行くためには低めの強い精度だったり、まだ求めるところはあるかなとは思う。今は150キロ投げる投手たちがNPBにはいっぱいいるんで、右のパワーピッチャーとしてそこと勝負するためには、武器がいる。ストレートを磨くのか、フォークか何かなのか、もう一つ、武器というのが出てきてほしい」。
愛弟子の夢がかなうことを願っている。
■「僕のようになりたい」と憧れられる選手に
岡部投手には明確な目標がある。
「独立リーグからNPBに行って、日本を代表するピッチャーになりたい。上の世界で、人から応援されるようなピッチャーになりたいし、『僕のようになりたい』って思うような少年が増えたらいいなと思う」。
NPBに入るのは狭き門だが、さらにそこで活躍し続けるのはひと握りだけである。しかし、必ずかなえるつもりだ。
幼いころからお父さんに厳しく教えられた「1球のたいせつさ」を胸に、岡部拳門は挑戦を続ける。
(写真提供:日本海オセアンリーグ)
【岡部拳門(おかべけんと)】
1997年8月24日生(24歳)
180cm・87kg/右・右
早稲田摂陵高―九州共立大―高知(四国IL)
大阪府堺市/A型
ストレート、フォーク、スライダー、カット、チェンジアップ