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アメリカがアイマン・ザワーヒリーを暗殺:何ら思うところなし

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2022年8月2日、アメリカのバイデン大統領はアフガニスタンのカブールでアル=カーイダのアイマン・ザワーヒリーを殺害したと発表した。ザワーヒリーの消息は、アメリカの高度な諜報活動によって突き止められ、精密な攻撃によって殺害したとの由である。アメリカにとっては、9.11事件以来のアル=カーイダの追跡の中で、2011年のビン・ラーディンの暗殺に続く大戦果であろう。しかしながら、アル=カーイダを含む現在のイスラーム過激派の活動状況に鑑みると、ザワーヒリーの生死が「ギョーカイ」に何か影響を及ぼすようには思われない。

ザワーヒリーはエジプト人

 アル=カーイダは、中東の国なり、ムスリムが人口の多数を占める国なりのどこかでの武装闘争を行うのではなく、「イスラーム共同体に対する侵略は場所がどこであろうとイスラーム共同体全体の問題」と認識し、「侵略」の主体であるユダヤ・十字軍との地域や国境を超越した武装闘争を行うことを旨とするネットワークである。この点で、同派は「正しいムスリム対その他」という対決の構図や、既存の国境や国家を無視/超越したネットワークの構築と資源の動員という現代のイスラーム過激派の行動様式を作り出した重要な当事者である。ザワーヒリーは、2011年5月にビン・ラーディンが暗殺された後、アル=カーイダの指導者に選任された。同人は、当時世界を席巻した「アラブの春」の中で醸成された、「平和的な抗議行動によって“独裁政権”を打倒できる」、「(アル=カーイダの唯一の政治的行動形態であるテロリズムよりも)リスクもコストも少ない方法で政治的な意見を表明・実現できる」との極端な楽観の中で、平和的抗議行動でも民主主義でも世俗主義でもなく、ジハードこそが問題解決策であると訴え続ける重責を担うこととなった。

 しかし、ザワーヒリーは、自らの出身地であるエジプトを政治的な関心や情勢認識の中心に据えるという殻を破ってイスラーム共同体全体のネットワークを指導・扇動することができなかった。アル=カーイダが発信する同人の著述をモニターする経験からは、チュニジアやシリアの政情を語るべき場面で、当時エジプトで進められていた憲法改正案の一字一句についてちまちまと長時間を費やして演説するザワーヒリーに心底うんざりしたものだ。その結果、ザワーヒリーはイラク・シリア方面でのアル=カーイダのネットワークの指導で致命的な大チョンボを犯す。イラクとシリアとの間の「人工国境」を破壊して両国を飲み込まんばかりの勢いで活動する現在の「イスラーム国」と元々は「イスラーム国」のフロント組織に過ぎなかったヌスラ戦線(現:シャーム解放機構)が指揮権や活動地域を巡って対立した際、「イスラーム国」はイラクに、ヌスラ戦線はシリアに専念して活動するよう「指示」してしまったのだ。これは、イスラーム過激派として超越・打倒すべき存在である既存の国家を、イスラーム過激派団体の活動の「器」なり単位として是認するという自家撞着も甚だしい判断だ。イスラーム共同体のあらゆる災禍や圧政を個々の国の問題ではなく、ユダヤ・十字軍による侵略であるとのストーリーを謳ったビン・ラーディンに比して、ザワーヒリーの器量の不足は明白だった。カイロやナイルデルタを中心とする地域以外は国内であっても「外地」扱いのエジプトで成長し、そこで長年活動したザワーヒリーにとって、イラク、シリア、レバノン、ヨルダン、トルコ、パレスチナなどで「“サイクス・ピコ体制”をぶっ壊す」という試みがイスラーム過激派の支持者やファンに与えるインパクトは、現実の行動として理解できなかったのかもしれない。こうして、「イスラーム国」に対して(イスラーム過激派としての)論理的な優位を喪失したザワーヒリーとアル=カーイダは、イスラーム過激派の支持者・ファンから得られる資源も調達できなくなっていった。

誰もザワーヒリーのお説教なんて聞きたくない

 ザワーヒリーやアル=カーイダが「イスラーム国」との競合で劣勢に立ったのは、彼らの広報の手法が現代的でなくなってしまったことも重要な理由である。伝統的に、アラブの政治家は格調高い美しいアラビア語で長時間演説する能力を重視してきた。ビン・ラーディン、ザワーヒリーをはじめとするアル=カーイダの活動家たちも、時に2時間を超える大作を飽くことなく発信し続けた。しかし、イスラーム過激派が広報作品を発信したり、彼らの支持者やファンがそれを受信したりする媒体が携帯端末を使用したSNSへと移り変わるに従い、視聴者たちは長大な映像・音声・文書を視聴し、それを理解する意思も能力も無くしていった。この10年ほどのイスラーム過激派の広報の主体は、「イスラーム国」の広報にみられるような短信、ごく短い声明、長くても30分程度の動画や音声である。しかも、ザワーヒリーらは近年敵であるユダヤ・十字軍に甚大な物的被害や大きな社会的影響を与える戦果を上げることができていない。もちろん、ザワーヒリーはアメリカのトランプ前大統領がとったイスラエル支持の諸決定や、アラブ諸国の為政者によるイスラエルとの関係正常化を非難し、これに対する反撃を扇動した。しかし、これにお付き合いしてくれるのは僻地のアル=カーイダの仲間である「シャバーブ運動」(ソマリア)、「イスラームとムスリム支援団(JNIM)」(サヘル地域)くらいで、その社会的影響は限定的だった。つまり、現代の、そして将来のイスラーム過激派を担う若人たちにとって、ザワーヒリーの広報活動は9.11事件に代表される過去の実績を誇るだけのおじいちゃんのお説教にすぎず、どう見ても魅力的なものではなかったのだ。

ザワーヒリーの限界はアル=カーイダの限界

 SNSを通じた簡潔かつ直感的な(≒中身のない)広報のやり方に対応できなかったことは、ザワーヒリー個人の問題ではなく、アル=カーイダとその系列団体全体の問題でもあった。アル=カーイダは、ビン・ラーディン、ザワーヒリー、アブー・ヤフヤー・リービー、アダム・ガダンなどなど、イスラーム過激派の間では著名な活動家を「スター選手」のごとく前面に立てた広報を行ってきた。この手法にはそれなりの長所もあろうが、活動家たちが「スター選手」となるだけの業績を上げ、視聴者の支持を獲得するまでにはそれにふさわしい知名度と活動歴が必須となる。つまり、この「スター選手」がいったんアメリカ軍などに殺害されれば、それに代わる人材を育成するのは非常に困難になるということだ。これは、「イスラーム国」がやるような、広報動画の登場人物を使い捨て同然に消費し匿名で単純なメッセージを繰り返す、出演者は誰でもいい広報と対極をなす。

 アル=カーイダも、次代の「スター選手」としてウサーマ・ビン・ラーディンの息子のハムザを売り出そうとした時期もあったが、ハムザは数年前にアメリカ当局が死亡説を唱えてから、アル=カーイダがそれを肯定も否定もできないまま広報場裏から姿を消した。要するに、アル=カーイダにはザワーヒリーに代わって指導者として世界的な知名度を持つ「スター選手」の人材が払底しているのだ。これでは、アル=カーイダの中でザワーヒリーの殉教を認め、それを讃える追悼声明を書くのは誰か、という点すらおぼつかない状態である。となると、アル=カーイダがザワーヒリーの暗殺に対する復讐や反撃を扇動したとしても、それに応じる者が多数出るほどの説得力を持つこともままならないということができる。

歴史のゴミ箱へ行け

 アル=カーイダの衰退は2010年以前から徐々に進行してきたことであり、今に始まったことではない。この間、イスラーム過激派諸派はアメリカをはじめとする大国との直接対決を避ける、イスラーム共同体に対する重大な侵略行為であるパレスチナ問題への対処を彼岸化する、アメリカなどの利益に合致する攻撃対象を選択する、など現実に適応し、変質を遂げてきた。シリアの反体制派に偽装することで確固たる占拠地域を獲得したヌスラ戦線や、シーア派殺し(=対イラン攻撃)や欧米諸国が本腰を入れて介入してこないアフリカでのキリスト教徒殺しを主な生業とするようになった「イスラーム国」、中華人民共和国を全く攻撃せず、移転先での安穏な暮らしを楽しむトルキスタン・イスラーム党がそうした適応の具体例だ。こうした状況下でのザワーヒリーの暗殺は、アル=カーイダのメッセージがイスラーム過激派の支持者やファンにとっても魅力的でなくなってしまった現実を確認するできごとであり、今後この事件についてイスラーム過激派の側から大きな社会的反響を呼ぶ行動が出てくるようには思われない。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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