コロナ禍の地方都市・鹿児島から拓く音楽産業の未来像(松本圭使「かごジャズ2020」インタヴュー)
コロナ禍の2020年、春先から夏にかけて予定されていた音楽イヴェントは中止か延期と、ほぼ全滅。秋のイヴェントも危ぶまれていた夏の終わり、オンラインに切り替えての開催をいち早く打ち出していたのが、「かごジャズ」こと鹿児島ジャズフェスティバル2020オンラインでした。
緊急事態宣言中から、ミュージシャンのあいだでは個人的なインターネットを使ったライヴの配信などが試され、ライヴハウスもそれに追随するように増えてきたというのが、リスナーとしての印象。
そのなかで「かごジャズ」は、ライヴの代替手段としてのインターネット利用ではなく、オンラインでジャズ・フェスティヴァルを実施するという、肝の据わった発想の転換を実現したイヴェントであるように、僕の目には映ったのです。
そこで早速、その主謀者である松本圭使に連絡を取り、開催の経緯やバックグラウンドについて聞くことができました。
松本圭使は「鹿児島(九州)に籠もって出てこない」ことでも有名なミュージシャン(笑)。本来ならば鹿児島へ赴いて取材しなければならないところ、このコロナ禍のおかげで普及したテレビ会議システムZoomを使って、1,000kmほどの距離を「かごジャズ」同様に飛び越えて、実施することができました。
鹿児島ジャズフェスティバル
2017年に「本物にこだわった国内屈指のビッグ・フェス」をめざしてスタートしたジャズ・イヴェント。「毎晩違う場所で、毎晩違うメンバー」をコンセプトに企画を重ね、2019年の開催では67,000人を動員したが、2020年9月の第4回開催はコロナ禍のためにリアルを断念し、オンライン無料配信での開催となった。
https://www.kagoshimajazzfestival.com
松本圭使(まつもとけいし、ピアニスト、コンポーザー)
1984年生まれ、鹿児島県出身。幼少よりピアノを、18歳より演奏活動を開始し、ジャズを学ぶためNYへ留学。昨年10月には自身のピアノトリオで待望のサードアルバム『WITHIN THE CROWD』をリリース。2014年『モントルー・ジャズ・ピアノコンペティション・インかわさき』では多数のプロピアニストが応募する中から、唯一の地方在住者のファイナリストに選出され、話題を呼ぶ。地域活性化事業、大学セミナー等を自ら主宰し、2017年第42回鹿児島市春の新人賞を受賞。同年「鹿児島ジャズフェスティバル」を立ち上げ、昨年の第3回では67,000人の動員を記録。実行委員長を務める。ラジオでのレギュラー番組や、情報紙へのコラム連載など活動は多岐にわたる。地方在住ながら全国に大きな存在感を示すピアニストである。
♪ 鹿児島ならではの発信力を探し求めて
──「かごジャズ」、オンラインで拝見しました。こんな“逆風”の状況で、あれだけのクオリティのものを、ちゃんと視聴者に届けられたっていうのは、驚きというか、羨望の思いがあったというのが正直な感想です。
ありがとうございます。
──「かごジャズ」自体は、今年で4回目だったんですよね。
そうです。立ち上げについてはいろいろな要素が影響しているんですが、大きいのは、もともと僕がアメリカから戻って来てからずっと鹿児島を拠点に活動しているということです。
20代のころは、どうやって外の世界へ出て行くか、外に自分の発信をしていくかというところに、ものすごく注力して活動していたんですが、30歳になる前にけっこう日本のあちこちへ行けるようにもなったし、海外からのオファーも来るようになって、ひと段落したというか、自分のなかにあった関東勢に対する発信力のなさについてのコンプレックスみたいなものに区切りが付いたかなと感じています。
そんなときに、せっかく地方を拠点にしてやっているなら、その地方、僕の場合なら鹿児島に住んでいるからこそできることをやっていきたいという気持ちが芽生えてきた。
鹿児島大学のジャズバンド部(CIJO)へセミナー講師として出向いたり、県内に人口2万人ぐらいの阿久根市というところがあるんですが、市内にはライヴハウスが1件もないんですけれど、そこの駅を建て替えたタイミングで、毎月無料のライヴを開催したり。
そんなふうに、自分の活動をとおしてどれくらい地域に音楽が根付いていくのかということを、実験みたいにして始めてみたんです。
その阿久根駅のライヴが、1年ぐらいしたら多いときに200人ぐらい観客が集まるようになって。
そうやって実績を重ねていくうちに、それまで考えていた「外に自分の音楽を発信する」というだけじゃないアイデンティティみたいなものを創造できるんじゃないか、と。
ジャズ・フェスティヴァルみたいなイヴェントは、もともとやってみたかったんです。鹿児島で長く続いているフェスがひとつもなかったですからね。福岡・博多のNAKASU JAZZや愛知・岡崎の岡崎ジャズストリートなどに出演させてもらったりしていくうちに、鹿児島にもこういうフェスがあったほうがいいとの想いが強くなっていっただけでなく、運営自体をミュージシャンがやることで、ほかとは違う視点のイヴェントにできるんじゃないか、と思うようになっていきました。
註:NAKASU JAZZ2020は共催のKBC九州朝日放送の公式YouTubeチャンネルにて無料配信を実施。岡崎ジャズストリート2020は中止。
それを決心したのが2017年。ちょうどその年、鹿児島市の春の新人賞(文化芸術活動の向上発展を目的とし、鹿児島市を中心に優れた芸術活動を行っている若い芸術家を顕彰するもので、主催は鹿児島市芸術文化協会、共催は鹿児島市と鹿児島市教育委員会)を受賞して、その賞金が25万円だったんです。それまでの受賞者はだいたい、ホール会場で「受賞記念コンサート」を開いてその賞金を使ってしまうんですけれど、だったらそのお金を使ってフェスをスタートさせちゃおうと思った。
──なるほど。自分のための「お礼コンサート」じゃなくて、前々から考えていた地域発信の足がかりにできそうだ、ということですね。でも、25万円でできたんですか?
見積もりを取ってみると、2,000万円ぐらいかかることがわかりました(笑)。でも、受賞から1年以内に開いたコンサートに対して賞金を授与するという条件だったので、どうせだったらこのタイミングで始めちゃおう、と。
──会場費を優遇してもらってソロ・ピアノ・コンサートだったらなんとかできそうですけれど、フェスとなるとまったく足りませんよね(笑)。規模を大きくすることに関しては、いわゆるイヴェント屋さんに投げてしまうという手もあったかと思うのですが、圭使さんは最初から自分で仕切ろうとされていましたよね。
そうなんですよ。そういう乗っからせてもらえるところから声がかかれば、本当はよかったんでしょうけれど……。
ただ、ジャズ・フェスをやってみたいと思っている段階でいくつかの企業にプレゼンしたりしていたんですが、なにしろ実績はないし、まったく反応がない状態だったんです。そういうこともあったので、誰かが協力してくれるのを待つのではなく、もうこれは、自分でやってしまうしかないのかなという気持ちになっていたんですね。
──最初はどのぐらいの規模で開催しようと思っていたんですか?
天文館公園という繁華街にある公園をメインステージにして、そこから繁華街に人が流れていけるように街頭の小さいステージを4つほど作って、という計画でした。出演者は、初年度が30名ぐらいで、集客目標は1万人にしていたんですが、公式で1万6,000人と、その目標は達成できました。
──イヴェント主催者としてはほとんど素人状態だったと思うのですが、どんなところに苦労しましたか?
保険がどうなっているのかとか、出演アーティストのケアはどうすればいいのかとか、スポンサーからはどのぐらいの単位でお金を集めればいいのかとか、そのあたりはもう、手探りで進めていきましたね。お手本を探そうにも、規模も内容もイヴェントごとに違うので、とにかくやってみないとなにもわからない状態でした。
──初回は目標達成でしたが、続けるとなると、現状維持なのか大きくすることを目的とするのかという問題もでてきますよね。
実は、大きくしています。2年目からは天文館公園のメインステージに加えて鹿児島中央駅にウェルカムステージを加えました。メインステージ終了後に繁華街に人が流れるようにと設置したサテライトステージは、初年度2ヵ所だったのですが、2年目からは4ヵ所設置しました。このサテライトステージというのは、ストリートライヴみたいなもので、客席とステージの距離が近くて、初年度からとても好評だったんです。2年目にしてざっと会場数を倍に増やしました。それに加えて、海外からもスペシャルゲストを招聘することにしました。2年目はカート・ローゼンウィンケル(g)に出演してもらいました。
3年目は、会場の規模は同じでしたが、TV局の協力を得られるようになりました。それと、それまで2日間の開催だったのが、3日間になったというのは大きな変化ですね。
僕のなかでは、「かごジャズ」を少しずつでもいいから大きくしていって、「めざせ10万人規模のジャズ・フェス!」ということで続けるつもりだったので。
──スタッフはどのぐらいで運営されているのですか?
実行委員会のメンバーは10名です。
──少ないですね。
少人数体制でありとあらゆることをやっています。有能なメンバーが揃っています(笑)。
♪ 年初の思惑とはガラリと変わっていった2020年開催の段取り
──4年目の開催、計画段階ではこんなことになるとはおそらく思ってもいなかっただろうと思います。
いや〜、本当にそうですよね。
──普通なら、年明けぐらいにはブッキングが終わってないといけないスケジュールですよね。
そうですね。ブッキングについては年初にほぼ8割は終わっていました。2月にスポンサーの皆さんを集めて、今年の計画発表のパーティーみたいなイヴェントを開いていました。フライヤーもできあがっていたし、スポンサーに配布する冊子みたいな印刷物もできあがっていて、やる気満々でしたからね(笑)。
2月の後半あたりから雲行きが怪しくなって、3月にはもう完全に、計画どおりの会場を使った開催はできないということを決めざるをえませんでした。
──オリンピックをやるかやらないかの前後で、ガラッとイヴェント業界の空気が変わったのを覚えています。
そうそう。
──中止する、つまり「なにもしない」という選択肢はあったんですか?
ありましたね。3月時点で、自分の頭のなかは7割ぐらい、中止という方向に向いていました。
でも、緊急事態宣言下の自粛期間中、自分がピアノを弾きたいというよりも、音楽を聴きたい、ライヴに行きたいという想いが強くなっていったんです。
そのあたりから、こういう想いの人が多いに違いないのに「かごジャズ」まで中止にしてしまったら夢がないし、なにかしらプラスなエネルギーを発信する方法はないかと考え始めたんです。それからは、どういうかたちであれ、実施することを前提に考えるようになっていました。
実はその自粛期間中に、完全テレワークを導入しているある企業から福利厚生の一環でネット配信のイヴェントをやりたいから、僕の自宅からライヴを配信してもらえないかというオファーがあったんです。
そういうことを含めて、3月から4月にかけてインターネットを使ったライヴについての機材を揃えたり配信の実験を重ねることができた。そういうことをとおして手応えを感じていたことも、実施に向けて進んでいけるエネルギーになったと思います。
「かごジャズ」に関しては、実は、出演者の8割ぐらいが東京周辺で活動しているアーティストなんです。移動も制限されている時期でしたし、鹿児島に呼ぶことができないのであれば、東京会場を作って鹿児島会場と交互にライヴ配信し、しかもそれを同じチャンネルで見続けることができるシステムを作ることができれば、このコロナ禍の状況でも実施する意味があるんじゃないか、って。
──圭使さん自身は、コロナ禍以前に、YouTubeとかネット配信の経験は?
まったくありません(笑)。過去のライヴの動画をYouTubeにアップするぐらいはやってたけど、それもお遊び程度です。ライヴ配信については未経験でした。
──自粛期間中に時間があったから、いろいろ経験値を高めることができた?
そのとおりですね(笑)。鹿児島って、いまだにライヴに関してもほとんど再開していない状態なんです(註:2020年10月の取材時)。東京はけっこう早めに再開してたじゃないですか、そういうのを横目で見ながら、では自分たちはどうすればいいのか、ということを考えていたことが背中を押してくれたんじゃないでしょうか。
──会場を使って観客を入れるリアル開催と配信開催では、予算規模としてどれぐらい違いますか?
出演者に関しては4分の3ぐらいで、海外からは映像で出演していただきました。予算としては、ざっと半分くらいでしょうか。大規模な野外ステージの設営とか、アーティストの交通費がかかっていませんから。ただ、協賛金も例年の半分でした。そういう意味でも、簡単に「配信にします」と言えない収支予想だったのは事実です。
──圭使さん自身は、今年のオンライン開催での「かごジャズ」の成否をどうお考えですか?
成功だと、僕は思っています。
──やることに意義があって、それができたから?
それもあるし、毎年この「かごジャズ」を楽しみにしていただいている皆さんに、例年と遜色のない出演者ラインナップのプログラムを提供できたことも、成功と言えると思います。
それから、実際には鹿児島へ足を運べない状況になっても、イヴェントができるということを伝えることができたことは大きいと思います。
「入院していたから、野外開催だったら無理だったけど観ることができて嬉しかった」という感想や、どんなフェスなのかわかったので次は会場へ行きたいという意見をいただいています。
来年以降は、リアルのフェスを開催しながら、同時にクオリティの高い配信も可能だという選択肢が増えたことは、大きかったですね。
経済活動という点で鹿児島にどれだけ貢献できたかといえば、100%成功とは言えませんが、確実に来年につながる手応えを得た取り組みだったし、観ている方々に希望とイヴェントの未来像を少しですが“おすそ分け”することができたのではないかなと、自負しています。
──“入院”という言葉を耳にして、このコロナ禍のおかげで、いままで考えたこともないようなバリアフリーのライヴ開催方法があったんじゃないかということに気付かされたような気がします。そういう意味で、ライヴの在り方の可能性が、ものすごく広げられるかもしれない。
確かに、そういう見方もできるかもしれませんね。
──これまでの音楽業界、興行の世界は、とにかく人を集めなさい、それが経済活性化にも役立ちます、その部分でリンクすることによって音楽は生き残れるんだよ、みたいなことを言われ続けてきて、それを当たり前みたいに思っていたんですけれど、それだけじゃない。置いていかれていた人たち、もっと楽しみたい人たちはいっぱいいて、そのことに気付くことができたような気がしました。
そのとおりだと思います。
また、逆に、実際に生で観ることができない状況になったことで、ネットに詳しくないご高齢の方々とかから「置いてけぼりにするな」という意見もいただいています。
私たちも、「かごジャズ」のホームページのトップからYouTubeを再生できるようにしたりして、アプリの使い方がわからなくても観ることができるような工夫はしたんですが……。
そういう点で助けられたのは、県内の大きな商業施設や飲食店、銀行のロビーなどで、それぞれ「かごジャズ」を配信してくれたんですよ。実行委員会でオファーしたわけじゃないのに。それは嬉しかったですね。
──なるほど、サテライトのヴュー・ポイントを作れば、ネットに慣れない人もフェスに参加できるわけですね。
感染拡大防止の観点から、「ここで観られますよ!」と大々的に宣伝できなかったのですが、それでもライヴ配信により多くの観客を巻き込むことができる方法を作ってもらえたというのは、収穫だったと思います。
♪ 手探りで築いたハイクオリティな配信技術
──「かごジャズ」ならではのステージングとしては、バンド単位での出演ではなく、個々に呼んで組み合わせるというスタイルでしたね。
それが「かごジャズ」の特徴になっていると思います。組み合わせは初回から実行委員会で考えてやっています。
今回もそのスタイルを貫いて、それぞれのアーティストを個別に招集し、かごジャズオリジナルの組み合わせを作らせてもらいました。オンラインでもこのスタイルで実施できたことも、成功のひとつだったと思います。
──オンラインで2ヵ所をつなぐというのは、かなりハードルが高いですよね。
ええ。コロナ禍でいろいろなオンラインのイヴェントがありましたが、配信元が変わるものは、なかったんじゃないかと思います。
──発信元が変わるというのは、鹿児島と東京の2元中継を配信するということですね。
はい。鹿児島から東京、東京から鹿児島というふうに切り替えるのは、実はかなり危なっかしい橋を渡っていました(笑)。
──そのへんを具体的に知りたいです(笑)。
今回はYouTubeを使用して配信を行いました。映像も音もOBS(Open Broadcaster Software)に取り込み、ストリームキーを使って配信する。完全な思いつきだったのですが、鹿児島も東京も、同じストリームキーをシェアしてさえいれば、別にチャンネル自体をミックスしなくても、1つの番組として配信できるのではないかと思ったわけです。
「かごジャズチャンネル」でストリームキーを生成して、そのストリームキーを東京と中継基地とも共有しておけば、配信元がメインストリーム、待機している側がバックストリームとなるようなイメージで、配信の切り替えができるんですね。切り替え方法は、待機側が配信を開始したタイミングで、メインストリームの配信を終了するだけ。そうすることでYouTubeはメインがクラッシュしたと思い、待機中だったバックストリームをメインに取り扱ってくれる。
ただ、待機側が配信を開始していないタイミングで、メインストリームを切ってしまうと、配信自体が終了してしまうので、各会場の配信スタッフは番組を切らさないように、電話をつなぎっぱなしにしてやり取りするなど、かなり神経を使っていたようです(笑)。
また、この配信元の切り替えという大きなチャレンジに加えて、かなり労力を割いたのが、遠隔セッションへのチャレンジでした。東京と鹿児島で同時にセッションをし、それを配信に乗せるというもの。かなり時間をかけ、実験を重ねました。音に関しては、ヤマハのSYNCROOMを使って、映像に関しては、会議システムZoomを使って、鹿児島と東京をつないでいました。
──遅延は?
20ミリセック(=ミリ秒、1000分の1秒)ぐらいに抑えられたので、セッションすることができました。50ミリセック以上の遅延があると、とても一緒に演奏できるレヴェルではないので、光回線を使って、基地局を挟んで調整してもらいながら配信していました。
──基地局?
鹿児島と東京だけでもできなくはなかったんですが、SYNCROOMで音のやり取りをしながら、Zoomで映像のやり取りをしていたので、音と映像の上り下りに加えて配信となるとインターネット回線の負担が大きくなるため、両側のデータ(鹿児島東京それぞれの映像と音)を受け取って配信する中継地点を和歌山に設けていました。
──綱渡りといえば綱渡りですけれど、中継車を出すようで大がかりな装置を使わなくてもプロ・クオリティの配信ができる環境が整いつつあるということなんですね。
そこに気付けたというのは大きかったですね。誰にも教わらずに、というか、誰もやってなかったことなんですけれど(笑)。
──圭使さんのお話をうかがっていると、アーティストこそビジネスマインドが必要じゃないかと思います。
確かにそうですね。コロナ禍のせいで、その必要性に拍車がかかっているかもしれませんね。
新しい生活様式の時代に、どういう音楽活動で身を立てて発信していくのかということに関しては、やっぱりマネタイズを含めた自分の見せ方をちゃんと考えていくこと抜きには、ますます成り立たなくなっているんじゃないかと思ってます。
──生演奏やコンサートは文化だ、文化なんだから金くれって風潮が強まっていますけれど、サスティナブルという意味では、生活できる基盤を築いて、そのうえで文化活動をするという順位でなければ成り立たないという認識がないと、いずれは立ち行かなくなりますよね。
そうですね。音楽ビジネスも昔は、パトロンに頼って生活の面倒を見てもらったりしていた。チケット代とかレコードやCDの購入によって生活が成り立ったのは最近のことですよね。
そういう意味では、ライヴを定期的にやるとか、曲がある程度溜まったらアルバムを制作してリリースするという、演奏側の行為をリコメンドするだけではなく、受け手からの多様なサポート方法を考えていくのが、今後の音楽を含めた芸術文化の在り方には必要なのかもしれませんね。
──ウィズ・コロナで、なにかアイデアはあるのでしょうか?
ジャズシーン全体となるとちょっと話が大きくなるので難しいなとは思うんですけども、個人的な活動としてはSTUSTA(スタスタ)といって、ジャズの練習用カラオケみたいなものを遠隔レコーディングして、YouTubeで公開しています。その販売などは、ウィズ・コロナの時代にマッチした音楽ビジネスになるんじゃないでしょうか。
それから、ライヴに関しては、とりあえず客席を定員の半分にしなければならない状況であるわけですが、だったらチケット代を倍にできるかといえば、そうもいかない。
そうなると、配信で穴埋めしようという動きが必然的に活発になるわけですが、実際にはライヴに来られないお客さんを満足させられるクオリティの配信は、個人レヴェルでは難しいことも多いかもしれない。そういう部分で、ウチのスタジオ(株式会社delqui)はコロナ禍のおかげで機材を含めた配信のノウハウを高めることができたので、音楽以外の現場にもパッケージとして提供できればと思っています。
──とはいえ、もともとのジャズライヴを観に来る母数が少ないので、技術の提供といってもビジネスベースに持ち込むのは厳しいのでは?
確かに、配信スタッフを外注したらペイできるケースは限られているかもしれませんね。でも、だから無理だというのではなく、獲得した技術はどんどん公開していくので、共有してもらって、ライヴシーンに浸透させ活性化させていくことのほうが重要だと思っているんです。
──いわゆるパイオニアというか、イノベーターとして、「こういうことができるんだよ」っていうことを、実証しながら、自分が先頭になって進んでいくみたいなイメージでしょうか。
そうですね。それが地方にいる自分ならではのやり方なんじゃないか、と。
東京にいるヴォーカリストの和田明君とレコーディングを済ませたばかりなのですが、SYNCROOMを使って、一度もリアルでは会わずに、でも同時録音で、完成させるつもりです。
お互いの音をSYNCROOMで聴きながら、それぞれ自分の音源制作ソフトにハイレゾの音質で録音、それをミックスして作品にしようとしています。
──先にどちらかが録音した音源を聴きながら音を重ねるというのではなく、それぞれが同時に収録している、というところがポイントなんですね?
そうです。そうじゃないとお互いの音に反応した演奏ができないですからね。そういう、まだ誰もやっていないことを試してみて、「未来」を見ながら進んでいくということは、率先してやっていきたいと思っています。
東京のスタジオに集まるっていうのがマストではなくなっていくし、普段の活動という面でも、一緒にセッションできる相手っていうのが、地域が関係なくなっていく「未来」になるんじゃないでしょうか。
東京って、人口に対するジャズのお店の数もアーティストの数も、かなり飽和状態に見える。自分の地元を盛り上げたいなと思うようなアーティストたちは、どんどん地元に帰って、地元のコネクションを使っていろんな人とつながりながら、地域に根ざして活動していくという「未来」が見えてきたら、日本全体がおもしろくなるんじゃないかと思っているんです。
同世代だと、例えば名古屋の渡辺翔太君(ピアノ)とか、神戸の広瀬未来さん(トランペット)、福岡の糸島に浦ヒロノリ君ってサックスがいたり。東京にいないというアーティストも、ポツポツ出てきているんです。
そういう人たちが旗振り役となって、地方に移住して、地方のジャズシーンを盛り上げていくような流れがでたら、各地方都市にジャズの拠点が生まれて、ツアーもやりやすくなるだろう、と。日本全体のジャズファンの数も増えるだろうし、そういう動きにはなってほしいなと、漠然と思ってます。
──音楽活動におけるオンライン化が本格的になってきたので、夢物語じゃないですよね。ところで、来年の「かごジャズ」は、どうなるのでしょうか?
できればやっぱり、野外会場で実施したいですね。太陽が燦々と降り注ぐなか芝生に寝転がって、ビール片手にいい音楽を聴くという……。そういうのが、僕が思い描いていた「かごジャズ」の理想型なので。
コロナ禍次第ですけれど、やはり人がリアルに集まってなにかを一緒に楽しむというのは、とても尊い時間だと思うので、野外での実施がいちばんの目的です。
それと、せっかく配信の技術も磨いたので、鹿児島まで来ることができない方とか、事情があって外出できない方のために、同時配信というのもありかな、と。
そのあたりは実行委員会で意見交換をしながらまとめていければと思っています。
──配信に関しては、まだまだサムネイル的なイヴェント告知とかスポット的な扱われ方が多いような印象です。それに生配信コンテンツも、とにかく観ることができればいい、音質もこだわらないというレヴェルが、ようやく改善されるようになってきたような段階。演奏者側も発信ツールとして、もっと可能性を広げて利用していってもいいタイミングなんじゃないかと思うのですが。
そうですね。そういう意味では、ジャズ界もポップス界を見倣うというか、添え物ではなくちゃんと予算をかけて、生現場の代替品としての配信ではなく、それらを作品としてお客さんに届けていく時代になったのかもしれませんね。
今回の新しい試みを通して、僕自身たくさんの刺激を受けました。僕たちが学んだ技術や情報は、できるだけ広く発信していきたい。それらがシェアされ、ツールとして広く役立つことを願っています。
──ありがとうございました。
【LIVE】かごジャズ2020オンライン動画