「ミラクル甲西」を覚えていますか? センバツ出場校に逆転勝ちし、夏はシードに!
高校野球の全盛期は、早稲田実(当時は東東京)の荒木大輔投手(59=元ヤクルトほか)が1年生エースとしてデビューした昭和55(1980)年から、池田(徳島)の「やまびこ打線」。そして「KKコンビ」のPL学園(大阪)が夏の甲子園を制した昭和60(1985)年までとされる。異論はあるかもしれないが、テレビの高校野球平均視聴率が最も高かったのがこの期間である。
大魔神・佐々木に逆転サヨナラのミラクル
そのピークとも言われる昭和60年夏に、初出場で4強まで勝ち進んだのが甲西(滋賀=タイトル写真)だった。開校3年目の公立校の快進撃はインパクト十分で、2試合連続で逆転サヨナラ勝ちし「ミラクル甲西」と呼ばれた。特に東北(宮城)の大魔神・佐々木主浩投手(55=元横浜ほか)を打ち崩した準々決勝は、いまだに甲子園の名勝負として語り継がれるほどだ。翌年の夏にも出場し1勝したが、それ以来、甲子園からは長く遠ざかっていて、現在は地元でもかつての輝きを覚えている人は少なく、「普通の公立校」として認識されている。
春の滋賀大会で3試合連続逆転勝ち
その甲西が今春、久しぶりに快進撃を見せた。しかも2回戦から3試合連続の逆転勝ちで、伝統の「ミラクル」ぶりがよみがえったかのようだ。米原に9回裏、4点を奪って逆転サヨナラ勝ちすると、3回戦では最速146キロ右腕の上藤(あげふじ)大輝(3年)擁する滋賀短大付と対戦。7回に追いついた甲西は8回、満を持して救援した上藤から2点を奪って、5-3でまたも逆転勝ちした。準々決勝の相手はセンバツ出場の彦根総合で、今世代の湖国で実力随一の強敵。かなりの苦戦が予想された。
小刻みな継投で彦根総合の勢い止める
試合は立ち上がりから彦根総合ペースとなり、甲西は防戦一方だった。それでも投手を小刻みにつないで相手の勢いを止めると、打線は相手先発の武元駿希(3年)に10三振を奪われながらも食い下がり、6回を終わって3-4と終盤勝負に持ち込んだ。そして7回裏、先頭の8番・吉越悠人(3年)が安打で出塁すると、彦根総合の宮崎裕也監督(61)はたまらず、エースの勝田新一朗(3年)をマウンドへ送った。
3、4番の連打で逆転し、エースが火消し
これで甲西ナインの闘志に火がつき、3番・奥村竜也(3年)が執念の同点適時内野安打。さらに4番・大野圭輔(3年)が勝ち越し打を放って、一気に逆転した。
そして8回からエース・伊藤航太(3年)が4番手で登板すると、2回で4三振を奪う見事な火消しを見せ、センバツ出場校に5-4で鮮やかな逆転勝ちを収めた。まさに「ミラクル甲西」の真骨頂を見た思いがする。
中学時代からの仲間多く、チーム一丸で成長
ナイン以上に興奮していたのが4月に就任したばかりの中山達也監督(59)で、「大きな1勝。前向きに取り組む向上心のある子ばかりで、投手も持ち味を発揮し、足りない部分を補い合っている」と会心の逆転劇に笑顔が絶えなかった。チームをまとめる主将の佐々木倖稀(3年)やエース・伊藤ら6人が、軟式チーム「甲賀セントラル」の出身で、中学時代から気心は知れている。佐々木は「チーム一丸で強くなってきたと思う」と、ナインの絆の強さを強調した。
「ヒゲの源さん」のご近所・奥村竜が大活躍
甲西と言えば、初代監督の「ヒゲの源さん」こと奥村源太郎さんを覚えておられるファンもいるだろう。甲西の校長時代には滋賀の高野連会長を務め、甲子園で育成功労表彰も受けた。80歳を過ぎてもお元気で、お孫さんが和歌山大で大学選手権に出場するなど活躍した。同点打を放った奥村竜は自宅が源さんの近所で、この試合では右翼からの好返球で相手の生還を阻止するビッグプレーも披露。源さんに連絡を入れてそのことを伝えると、「両親の仲人もした。しょっちゅう激励している」とのこと。源さんも甲西の活躍を楽しみにしている。
38年前は春の自信が甲子園へつながった
38年前、甲子園4強に進んだチームは、県3位で出場した近畿大会で、当時全盛だった箕島(和歌山)に1-2と善戦して自信をつけた。今回のセンバツ出場校撃破は、当時とダブる。かつての栄光は「敢えて話さないようにしている」と言う中山監督だが、高校野球の素晴らしさは、伝統や精神が代々、受け継がれていくことだと思っている。先輩たちの「魂」はユニフォームに宿る。懐かしいシルバーグレーのユニフォームが輝きを取り戻す日を、楽しみに待っている。