【交野市】赤いレンガの橋台に感じる時の流れ──明治期の鉄道遺構を巡る<YouTube動画あり>
11日午前、神宮寺のぶどう園付近からJR河内磐船駅へ徒歩で向かう道中で、JR片町線の線路下に古そうなレンガの構造物があるのを見つけて、しばし見入ってしまいました。
場所は、河内磐船駅から津田駅側へ200〜300mのところにある森踏切付近。そのすぐ西側にある狭い道が線路下を通る個所の左右に、赤いレンガが積まれていました。
昨年、四條畷市立歴史民俗資料館で開かれた第37回特別展「シデウナハテ 関西の軽井沢・日本的フィヨルド─明治〜昭和期の四條畷観光と鉄道─」の配布冊子には、片町線などに現存する明治期の遺構が表でまとめられています。
それによると、筆者が見つけた構造物の名称は「架道橋橋台(森架道橋?)」、建築の想定年代は「明治31年」とあります。明治31(1898)年と言えば、四条畷駅〜長尾駅間で鉄道が開通したのと同じ年ですね。
橋台の半分はレンガ製、もう半分はコンクリート製です。四条畷駅〜長尾駅間が複線化されたのは昭和54(1979)年なので、コンクリート製の方はその際に増築されたのでしょうか。
レンガ製の方は、一部のレンガが少し欠けていたり、ところどころ黒ずんでいたりして、時の流れを感じさせてくれます。
上の方をよくみると、四角く埋められたような跡が2つ、線路の幅と同じような間隔で並んでいました。実際の線路は、それらよりもう少し外側にあります。もしかすると、昭和の複線化時に、少し外側に移設されたのかもしれませんね。2つの四角い跡を見ながら、単線時代の様子を勝手に想像しました。
先の冊子には、その他にも明治期の遺構が掲載されています。今後も機会を見つけて、四條畷・交野両市内にある遺構を訪ね歩いていみたいと思います。
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