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3/10は東京都平和の日。77年前の渋谷は焼け野原だった【東京都渋谷区】

Luna Subitowriter editor(東京都渋谷区)

3月10日は東京都が2020年に定めた「東京都平和の日」です。1945年3月10日、東京大空襲で約10万人の尊い命が奪われました。3月の空襲では浅草など下町が壊滅的な打撃を受けましたが、渋谷も同年5月の空襲で焼け野原に。当時を知る人に伺うと、今の渋谷からは想像できない地獄絵図だったようです。きらきらした渋谷もいいけれど、その街でかつてどんなことがあったのか…という歴史は 最低限知っておきたいですよね。

左:石川光陽『グラフィック・レポート 痛恨の昭和』 右:石川光陽 森田写真事務所編『グラフィック・レポート 東京大空襲の全記録』(共に岩波書店 1992年刊)
左:石川光陽『グラフィック・レポート 痛恨の昭和』 右:石川光陽 森田写真事務所編『グラフィック・レポート 東京大空襲の全記録』(共に岩波書店 1992年刊)

これは警視庁カメラマンとして東京大空襲の全貌を撮った唯一の日本人・石川光陽の克明な手記とGHQの押収を逃れた貴重な写真が満載の『東京大空襲の全記録』と『痛恨の昭和』(岩波書店 1992年刊)です。いずれも絶版本ですが、亡父の愛蔵書が手元にあるので 一部ご紹介します。

↓この写真は1945年5月26日の渋谷駅付近で撮影されたもの。前方は当時の「東横百貨店」(1934開業、2020年閉館)のようです。

石川光陽 森田写真事務所編『グラフィック・レポート 東京大空襲の全記録』(岩波書店 1992年刊)より
石川光陽 森田写真事務所編『グラフィック・レポート 東京大空襲の全記録』(岩波書店 1992年刊)より

石川光陽氏の同日の手記によると――「渋谷に出て驚いた。渋谷は殆ど焼け野原となり、東横デパートも焼けて、宮益坂から青山一丁目まで両側は焼土と化し、死体が道路にごろごろ転がっていて、その中を多くの人が往来している」ー-ここには掲載できませんが、記録写真の中には夥しい焼死体写真もあり、今の渋谷の街とのギャップに絶句します。

↓この写真は1945年5月25日、渋谷道玄坂、百軒店の焼け跡。

石川光陽 森田写真事務所編『グラフィック・レポート 東京大空襲の全記録』(岩波書店 1992年刊)より
石川光陽 森田写真事務所編『グラフィック・レポート 東京大空襲の全記録』(岩波書店 1992年刊)より

↓この写真は1945年5月27日、八幡通り(代官山)にあった実践女学校(今の実践女学園)付近。

石川光陽 森田写真事務所編『グラフィック・レポート 東京大空襲の全記録』(岩波書店 1992年刊)より
石川光陽 森田写真事務所編『グラフィック・レポート 東京大空襲の全記録』(岩波書店 1992年刊)より

信じ難いけれど、これが約80年前の東京のリアル。都内には80代以上の方が約100万人暮らしていますが、その人たちの多くが目の当たりにした光景なのです。。

「東京都平和の日」を機に、平和の意義を再確認したいですね。渋谷区では 3月10日14時から1分間の黙とうをささげる呼びかけを行っています。

東京大空襲はもちろん、過去のあらゆる戦災で亡くなられた方々、そして今リアルタイムで起きているロシアのウクライナへの軍事進攻による犠牲者のご冥福を心よりお祈りいたします。

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writer editor(東京都渋谷区)

奥渋在住20余年。旅、アート、インテリア、ウエルネス、映画、猫など多様なメディアに携わる文筆家。

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