不寛容の相乗効果:トランプ現象と英EU離脱をつなぐ「個人主義」と「平等主義」
後の時代から振り返ったとき、2016年は米大統領選挙におけるトランプ現象と英国の国民投票によるEU離脱(BREXIT)決定の年として記憶されることになるでしょう。これら2つの現象では、トランプ氏だけでなく、BREXITを主導したB.ジョンソン前ロンドン市長や英独立党のN.ファラージ党首(当時)のように、移民やフェミニストなど特定の集団やイデオロギーに対する敵意を隠さない主張によって、批判とともに支持を集めるリーダーが注目を集めがちです。特にトランプ氏に関しては、しばしば「不寛容や分断を煽っている」と批判されますが、BREXITを決定づけた国民投票後に外国人への嫌がらせが急増する英国も、ほぼ同様といえます。
ただし、リーダーへの関心が高い一方、彼らのフォロワーに関しては「格差などに対する不満」や「既存政党への不信感」といった説明で済まされがちです。しかし、これらの不満や不信感があるにせよ、そして有権者が往々にして非合理的な判断をしがちであるにせよ、そのエネルギーが特定の勢力に吸収されるのであれば、そのリーダーたちの示す方向性に、程度の差はあれ、フォロワーが共感しているといえます。
この観点から2つの現象を見比べると、そこには共通する「思想的傾向」を見出すことができます。その時のキーワードになるのは「自由主義(リベラリズム)」、そして「個人主義」と「平等主義」です。結論的に言えば、これらの現象の支持者と、これに批判的な「リベラル」は、思想的にほぼ隣り合わせであり、その近親憎悪がより不寛容を助長しているといえます。
自由主義の影響
「リベラル」という語は、現代の日本では民進党の凋落とも相まって、必ずしも好意的な扱いを受けないものになっています。しかし、一般的な用法において、どんな考え方を「リベラル」と呼ぶかは、必ずしも明確ではありません。トランプ現象に関していえば、移民排斥を叫ぶトランプ氏を批判する勢力が、そしてBREXITに関していえば、EU残留を求める勢力が、それぞれ「リベラル」と目されますが、それだけでは共通性があるようにみえません。
その一方で、トランプ氏やBREXIT支持派も、「リベラル」の影響から無縁ではありません。一般的にいえば、「リベラル」とは「個人の権利を重視する立場」とみなされます。だとすると、銃の保有規制に「個人の権利」の観点から反対するトランプ氏も、EUの規制によって英国人の権利が侵害されていると捉えるBREXIT支持派も、自由や権利を強調する点では「リベラル」と目される人々と同じとなります。
ただし、後でみるように、トランプ氏やBREXIT支持派がいう自由や権利は、いわゆる「リベラル」と異なります。ここで強調したいのは、意識しているかそうでないかにかかわらず、現代においてほとんどの人がリベラリズム、つまり自由主義の影響から逃れられないということです。
自由主義は18世紀英国の哲学者J.ロックを始祖とします。ロックは国王による専制を批判し、権力の分立や議会政治の確立を訴えました。ロックの思想は、主に以下の点を含みます。
・私的な領域への干渉を拒絶すること(思想信条の自由、表現の自由、私有財産の保護など)
・法によって個人の権利を保障し、専横を防ぐこと(法の支配、立憲主義、「法の下の平等」)
近代ヨーロッパで生まれた大きな政治思想の潮流には、自由主義の他に保守主義や社会主義があります。しかし、現代では保守主義者や社会主義者の大半も、自由主義的な観念を正面から否定することは困難です。「リベラル」に批判的な保守派の意見がネット上などで行き交うのは「表現の自由」という自由主義的観念に支えられたものであり、他方で本来はイデオロギー的に相いれないはずの共産党までが、やはり自由主義的な「立憲主義」を唱えることは、その象徴です。この傾向は、日本に限らず、ほぼ全ての西側先進国に共通しており、特に1989年の冷戦終結にともないイデオロギー対立が終息し、人権意識が高まったことで加速したといえます。
自由主義の分裂
ただし、自由主義には、もともと多くの潮流が含まれています。例えば「どのように個人の権利を守るか」に関して、ロックは法によって政府の権力を制限することを重視しましたが、19世紀半ばに活躍した英国のJ.S.ミルはむしろ政府が積極的に国民生活に関与することを強調しました。そこには、もともと専制支配を拒絶して登場したロック流の自由主義が、新たな支配関係を正当化する結果になったことへの批判がありました。
「法の下の平等」が確立されていても、それが実質的な権利の保障につながらないことは、現代でもみられます。例えば、自分の権利が誰かに侵害された時、裁判に訴えるためには相応の資金が必要ですが、それがなければ法によって自らの権利を守ることは困難です。つまり、ロックの時代に専制君主から権利や安全を守るための考え方として登場した「法の下の平等」は、場合によっては既に権利を保護されている者、特に富裕層などの「強者の論理」にもなり得るのです。形式的には双方の合意に基づく「契約」を盾にして、10歳に満たない子供が、資本家によって労働者としてこき使われていた当時の状況は、「法の下の平等」によって成立していたのです。
この立場からすると、自由や権利を法によって保障するだけでは不十分となります。例えば、当時の英国社会では女性も法的に権利が保護されていても、実際には家庭や社会において男性の監督下に置かれていました。これを踏まえて、ミルは女子教育の普及を主導し、その後の女性参政権への道を切り拓いたのです。
情念の自由主義と理性の自由主義
こうしてみると、「自由主義とは何か」だけで大きな議論が必要になるのですが、政治学者のJ.グレイは数多くの自由主義の系譜に属する学者やその所説に共通する4つの要素をあげています。
・個人主義:社会の要求に対して個人の道徳的優位を主張する(周囲からの期待、要望、圧力などに抵抗してでも自分の考え方を守るべき)
・平等主義:道徳的価値における法的・政治的差別を否定する(「何をよいことと捉えるか」に関するどんな判断や主張も、立場上は対等に扱うべき)
・普遍主義:人類の道徳的一体性を主張する(自由の価値は特定の人々だけでなく、人間がみな共有するべき)
・改革主義:全ての社会制度や政治的仕組みの修正可能性と改善可能性を主張する(世の中の仕組みを変更することで進歩を図るべき)
多かれ少なかれ、自由主義者はこの4つの要素を持ち合わせています。ただ、(グレイはそこまで言っていませんが)ここであえて単純化すれば、グレイがあげた4つのポイントのうちどれを重視するかで、それぞれの自由主義者ごとに比重は異なるといえます。
例えば、ロックの場合、専制支配を拒絶し、「判断主体としての個人の平等性」を強調したことから、これら4つの要素のうち、個人主義と平等主義が色濃いといえます。
他者による支配を拒絶することは、人間にほぼ共通する特徴とみてよいでしょう。それは自己保存の本能に近いもので、ロックはこの情念のようなものを理論的に洗練させたといえます。ロック流の個人主義と平等主義を重視する立場は、いわば「情念の自由主義」と呼べるでしょう。
これに対して、ミルの場合、従来の法によって守られていなかった権利を、実効性あるものとしてあまねく普及させることに主眼がありました。つまり、ミルの立場は先の4つの要素のうち、普遍主義と改革主義が色濃いといえます。
何らかの原理に普遍性を見出し、それに基づいて社会を再構築しようとする営為は、自己実現を目指す人間の理性に基づくとみてよいでしょう。性別、国籍、宗派、人種などその属性によらず、全ての人間に自由の原理を適用するための改革を目指すこのタイプの自由主義は、いわば「理性の自由主義」と呼べるものです。
情念の自由主義の噴出
これら二つの自由主義の観点からみると、トランプ現象とBREXITは、欧米諸国全体で「理性の自由主義」が広がるなか、社会に堆積していた「情念の自由主義」を求める欲求が一度に噴出という点で共通します。この点をジョンソン氏とフェミニストの間の一つのエピソードからみてみます。
この出来事は、2014年に欧州宇宙機関のマット・テイラー博士が、TVのインタビューを受ける際、私物のアロハシャツを着ていたことが発端でした。そのアロハシャツは女性のセクシーなイラストが複数あしらわれたもので、その風体で女性インタビュアーに応対した姿がSNS上で「性差別的」という炎上を招いたのです。そのシャツは博士が友人からもらったもので、本人としては深い意図なく、日常的に着ているものだったということですが、いずれにしても批判が集中した結果、テイラー博士は涙ながらにTV上で謝罪しました。これに対して当時ロンドン市長だったジョンソン氏が、テイラー博士が糾弾される様子をスターリン時代のソ連になぞらえて批判し、これがさらなる激論に発展したのです。
個人的には、そもそも公式の場やTVのインタビューで(柄に関わらず)アロハシャツという時点で違和感を覚えますが、それこそ個人の自由なのかもしれません。いずれにせよ、日本よりはるかにフェミニズムの影響が強い欧米諸国では、本人の意図とは無関係に、公的な場での言動が「性差別的」という批判を招き、テイラー博士のように一種の社会的制裁の対象になるケースは珍しくありません。しかし、それに対して「表現の自由」などを根拠に、そういった批判を「全体主義的」と捉える否定的な論調もまた、珍しくありません。
地下のロックやミルも、まさか自分たちの所説がここまで行き着くとは思っていなかったことでしょうが、この対立軸を先述の分類に照らして言えば、「両性の実質的な平等」という原理に基づき、(法的にはともかく実質的には不利な扱いを受けやすい)女性の権利を守ることを強調する側は「理性の自由主義」を奉じ、これに対して「あらゆる意見や考え方に優劣がない」ことを前提として、何らかの原理を「一方的に」課されることを拒絶する側は「情念の自由主義」を重視しているといえます。つまり、ここでの本筋に戻っていえば、ジョンソン氏の発言は、それに対する賛否はさておき、「情念の自由主義」に沿ったものだったといえるでしょう。
権威の拒絶と自分自身の絶対化
もちろん、これは一つの例に過ぎません。ここで重要なのは、トランプ現象とBREXITが、「個人がそれぞれ独立すること」を最大限に尊重する個人主義と「法の下の平等」を重視する平等主義に立脚する「情念の自由主義」の噴出と捉えるなら、「問題行動」が多いとみなされがちなトランプ氏やジョンソン氏を支持する人々の思想性もおのずと明らかになることです。
冒頭で述べたように、トランプ現象とBREXITのそれぞれのリーダーだけでなくフォロワーにも、外国人や異教徒、フェミニストに対する拒絶反応が顕著です。個人主義と平等主義を旨とする情念の自由主義の立場からみれば、全ての個人に権利を認める(普遍主義)ことを前提に社会全体の変更を推し進める(改革主義)ことは、それに関して個々人が評価することを拒絶するもので、逆に個人の権利の侵害と映ります。したがって、普遍的原理に基づく現状変更を強要されればされるほど、拒絶反応も強くなります(これは「人権保護」を欧米諸国から強要される開発途上国の反応に近いものがある)。
さらに、「法の下の平等」を重視するなら、特定の人々に対する優遇措置も認められないことになります。そのためこの立場は、公的機関や民間企業での雇用に女性や特定人種・民族の枠を設けるアファーマティブ・アクションなど、競争を実質的なものにするための(普遍主義的・改革主義的な)制度にも否定的です。
ただし、このように「立場の平等」の前提のもとで個々人の自由を最大限に尊重するこの考え方を発展させると、自分の考え方と異なるあらゆる権威を否定することにつながり、その結果として(他の人々と立場上対等であるが故に)自分自身の考え方を絶対化する、独善的な傾向が強くなりがちです。放言・暴言で知られるトランプ氏が、自らの移民政策を批判した(キリスト教圏で特別な存在に位置づけられる)ローマ法王にすら噛みついたことは、その象徴です。周囲からの批判を意に介さないジョンソン氏も、基本的には同じといえます。
さらに、この発想を国レベルに拡大させれば、「自己責任のもとで国家が自ら自由に判断・行動すること」を最大限に尊重するべきとなります。BREXIT支持派がさまざまな規制を課してくるEUを拒絶したことは、個人や国内のレベルでのさまざまな規制に対する懐疑と、「個々人の自由にやらせればよい」という志向の延長線上にあるといえます。米国が世界のことから手を引く「孤立主義」を強調するトランプ氏の主張も、この文脈において共通します。
また、トランプ現象とBREXITは、自由主義と国家権力の関係においても、従来からの転換を示しています。ロックの系譜に属する自由主義は、伝統的に国家権力の強化に否定的でした。自由競争と小さな政府を求める主張は、その象徴です。しかし、現代における「情念の自由主義」では、国際関係における「個の独立」と「立場の平等」を確保するために、むしろ国家権力の強化を求める傾向が強くあります。この点で、「情念の自由主義」はイデオロギーとしての保守主義に近づきますが、全ての判断基準を自分に向ける前者の傾向は、伝統的な権威などに敬意を払う後者からすれば相いれないものになりがちです。
二つの自由主義の激突
念のために言っておけば、ここでいう「情念の自由主義」と「理性の自由主義」とは、あくまで4つの要素(個人主義、平等主義、普遍主義、改革主義)のうちのいずれを重視するかで類型化したものです。そのため、どちらのタイプに属するにせよ、それぞれの人が他の二つの要素を全く無視しているとは限らず、ロックやミルに至っては尚更です。
とはいえ、現代では「情念の自由主義」と「理性の自由主義」のいずれもが、やや「振り切れた」傾向が出やすい点で共通しており、これは各国を覆う不寛容の大きな要因となっています。先述のアロハシャツをめぐるバッシングのように、「理性の自由主義」は規範からの「逸脱」に総じて厳しく、これは一定の行動パターンや思考パターンを相手に強要しがちです。他方、「情念の自由主義」は自分自身の考え方を絶対化し、それ以外の考え方や他者を排除することで安心感を得ようとしがちです。
情念の自由主義と理性の自由主義は、もともと隣り合う思想信条であるだけに、いわば近親憎悪ともいえる対立関係にあります。その対立が激化した契機としては、まず対テロ戦争の始まりがあげられます。冷戦終結後の1990年代、欧米諸国では自由や民主主義といった価値観が世界中で普及することへの楽観がありました。しかし、イスラーム過激派だけでなく、中国やロシアなど、必ずしもそれらの価値観を共有しない存在が台頭するにつれ、「他者の排除による自己保存」か「他者の吸収による自己実現」かが大きな対立軸となりました。他者性に由来する危機への意識が強くなるにつれ、理性より情念が優先されやすくなっていることを、トランプ現象とBREXITは示しているといえます。
これに加えて、格差の拡大もまた、その解消をめぐって二つの自由主義の対立を先鋭化させたといえます。どの国でも格差は拡大していますが、トランプ現象とBREXITに顕著な「自由な競争」を求める傾向は、それらのフォロワーの多くが「『本来は』支配的な立場にありながら、『現状において』不利な立場に立たされている」と認識しやすい立場にあることに由来するとみられます。トランプ氏の支持者に高卒以下の学歴の白人が多く、英国民投票でBREXIT支持票が反対票を上回ったのがロンドン以外のイングランドに目立ったことは、それを象徴します。
つまり、「自分は不利な立場に立たされているが、それは不当な規制のせい」と思いやすく、「それらの規制を撤廃して『自由な競争』さえ実現されれば、自分は満足できる状態になれるはず」という(根拠の有無にかかわらず)自信がある人ほど、これらの現象の中核を占めやすいとみられます。その意味で、トランプ現象とBREXIT支持派の多くが、移民など少数者に対してだけでなく、既存の秩序のなかで「いい思いをしている」エスタブリッシュメントにも反感をもちがちなことは、不思議ではありません。この点で「情念の自由主義」は、ひたすら自由競争を求めるよりむしろ実質的な機会の平等を求める「理性の自由主義」と対立し、ここにおいても既に社会的に優位にある人に多い保守主義に近づきますが、その反エリート志向は保守本流からも拒絶反応を招きがちです。トランプ氏が米共和党の、ジョンソン氏が英保守党の、それぞれの主流派から逸脱した存在であることは、それを象徴します。
頭の中身に踏み込んだ対立を克服する道
こうしてトランプ現象とBREXITをみれば、それはせめぎ合ってきた両者のうち、「情念の自由主義」の影響力が世界的に大きくなりつつあることの現れといえるでしょう。しかし、トランプvsヒラリーの舌戦にみられるように、自らを絶対化しがちな情念の自由主義と、普遍的な原理を絶対化しがちな理性の自由主義の対立は、もはやお互いの差異だけを際立たせることのみを目的化しやすくもなります。
どんな意見でも、それをもつこと自体は、まさに思想信条の自由として認められるべきでしょう。ただし、そこで注意すべきは、「他の思想的立場からみたときの自分の意見の座標」を意識することです。つまり、世の中にごまんとある意見や見解と引き比べて、自分の意見がどのような位置づけにあるかを理解するかを理解することがなければ、何かを絶対的な地位に押し上げる傲慢さに帰結します。それは社会全体に不寛容と不調和を加速させるものです。
ドイツの社会学者カール・マンハイムは、個々人の意識やものの見方がそれぞれの社会的属性(職業、居住地域、学歴、宗派など)によって左右されるものと捉え、これを「存在拘束性」と呼びました。それに従えば、どんな思想も普遍的なものではあり得ず、ただ特定の人々にとって満足のいくものとなり得ます。これを裏返せば、「どんな考え方も絶対化できないこと」を共通の理解としてもつことが重要になってきます。これは専制支配を否定したロックの古典的な自由主義の核心にあたるもので、激しい宗派対立を乗り越えた当時の英国で彼が「寛容」を掲げたことは偶然ではありません。何事も絶対化しない柔軟な精神を多くの人々が保持できるかが、「情念の自由主義」と「理性の自由主義」の不寛容さから社会の一体性を守るうえで重要なテーマといえるでしょう。