「北朝鮮との関係改善に特化」…韓国で重要3ポストが刷新
7月に入り、韓国で北朝鮮政策を左右する重要ポストの人事が相次いで刷新された。ベテランがずらりと並んだ布陣に、専門家は「南北関係改善に特化したもの」と評価する。巻き返しは可能か。
●国家情報院長・朴智元
「私たちの主敵であると同時に平和と協力、そして統一の対象です。兄弟です」
朝鮮戦争の休戦協定締結から67年目にあたる今月27日、朴智元(パク・チウォン)国家情報院長候補者は「北朝鮮は私たちの主敵か否か?」という野党議員の質問にこう答えた。
韓国では青瓦台(大統領府)以外の長官級任命職に就くにあたり、国会でその資格を問う人事聴聞会を行う。その中での一コマだ。
今年78歳の朴氏は韓国では「政治9段」の愛称で呼ばれ、知らない者はいない政治家だ。
その経歴を全て記すことはできないが、1985年に政治の世界に飛び込んで以降、故金大中大統領(在任98年2月〜03年2月)の右腕として長官や青瓦台の要職を経る一方、当選4回の国会議員として野党の代表を務めるなど重厚なキャリアを誇る。
与野党にまたがる幅広い人脈に加え豊富な政治経験に基づいた鋭い分析を、時にユーモアを交え簡潔な表現で行う術に長けており、テレビやラジオの出演も多い。
今年4月の総選挙で落選し、大学教授に籍を移したことで政治家引退と思われたが、7月初頭に文在寅大統領から国家情報院長に指名され、人事聴聞会を経て29日に正式に就任した。
冒頭の質問に話を戻す。これは朴氏の「特徴」と関連したものだ。
同氏は2000年6月に行われた韓国の金大中大統領と朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の金正日国防委員長による史上初の南北首脳会談の成功を、裏方として支えた経歴がある。
だがこの時の行動により、朴氏は2006年に懲役3年の実刑判決を受ける(起訴は03年)。
当時、財界1位の現代グループが北朝鮮での経済協力事業権を獲得するための3億5千万ドルと、南北首脳会談の対価として政府の肩代わりをした1億ドルを調達する際と北朝鮮に送金する際に圧力を行使したことや、収賄を問われたのだった。
このように北朝鮮に対する包容政策(太陽政策)を積極的に推進した経歴から、同氏は北朝鮮内部に人脈を持つとされる一方で、保守派からは「北朝鮮寄り」と批判を受けてきた。
国家情報院法は、同組織の職務を以下のように定めている。
1:国外情報および国内の保安情報(対共、対政府転覆、防諜、対テロおよび国際犯罪組織)の収集・作成および配布。
2:国家機密に属する文書・資材・施設および組織に対する保安業務(各級期間に対する保安監査は除外する)。
3:「刑法」中の内乱罪、外患罪、「軍刑法」の中の反乱罪、暗号不正使用罪、「軍事機密保護法」に規定される罪、「国家保安法」に規定される罪に対する捜査。
4:国家情報院職員の職務に関する犯罪に対する捜査。
5:情報および保安業務の企画・調整。
朝鮮戦争の平和協定は今なお結ばれておらず、南北朝鮮は軍事的な対峙を続けている。特に北朝鮮の韓国への浸透を防ぐ役割が国家情報院に求められている中で、朴氏はそれにそぐわないという指摘が根強かった。
一方でこれは韓国でよく見られる、批判相手に「アカ(=共産主義者)」と「レッテル貼り」を行う行為と紙一重のものだ。
特に第一野党・未来統合党の朱豪英(チュ・ホヨン)院内代表は「朴智元氏は北朝鮮と内通している」という思い切った批判を行うほど、朴氏の就任に反対した。
だが朱氏は逆に「内通の証拠があるなら、さっさと国に訴えればよい」と国家保安法を守らない人物として、世論とメディアによる大きな非難を浴びることとなった。冒頭の質問も朱氏が行ったものである。
ではなぜ国家情報院長に朴智元氏なのか?それは韓国では1972年の初の南北合意「7.4合意」の頃から今もなお、北朝鮮との水面下での秘密交渉を同機関が受け持っているからに他ならない。
文大統領は29日の任命式で、「史上初の南北首脳会談を成就させた主役であり、最も長い経験と豊富な経綸(国を治める方策)を持った人物」と朴氏を持ち上げた。78歳、年齢を考えると異例の抜擢は、朴氏が持つ南北関係の人脈・経験をフルに発揮せよというメッセージに他ならない。
●統一部長官・李仁栄
「あなたは主体(チュチェ)思想の信奉者ですか?」
「今も昔もそうではありません」
朴氏に先駆け、27日から勤務を開始しているのが、新たに統一部長官となった李仁栄(イ・イニョン)氏だ。上記の質問は23日に行われた李氏の人事聴聞会で、北朝鮮出身の太永浩(テ・ヨンホ)議員が李氏に向けて放ったものだ。
この多少ピント外れの質問が出た背景には、やはり李氏の経歴が関係している。1964年生まれの同氏は大学生の時に、民主化運動のリーダーとして活躍した。
大統領直接選挙制や言論の自由を勝ち取った1987年6月の民主化運動に参加すると共に、同年8月に結成された全国大学生代表者協議会(全大協)の初代議長を務めたのだった。
同団体はいわゆる、後に「386世代(60年代生まれで80年代に大学に通った世代)」と呼ばれる集団の最精鋭として、盧泰愚(ノ・テウ、1988年〜93年)政権当時に強い影響力を持った。その特徴の一つとして「NL(National Liberation=民族解放)」と呼ばれる考え方への傾倒が挙げられる。
これは「韓国は米国の植民地である」である、という認識に基づき、具体的には「反米自主」や「反ファッショ(全斗煥)民主化」、そして「民族統一」を目指すものだ。韓国社会におけるこうした思想グループの形成に「歴史の主人は民衆である」という北朝鮮の「主体思想」が少なくない影響力を持っていた歴史がある。
「主体思想派の代父」と呼ばれ、当時の思想形成に大きな影響を及ぼした金永煥(キム・ヨンファン、58歳)氏は著書で当時を「民主化運動の外見を帯びていたが、厳密に言うならば私たちはイデオロギー的には社会主義の指向性の方がはるかに強かった」と振り返っている。
さらに当時、NL系大学生組織の一部では、首領(金日成)や朝鮮労働党への崇拝もあった。冒頭の質問はこうした歴史性を知る太議員が李氏に向け、転向したのかという(時代遅れの)「踏み絵」を迫ったかたちだ。
李氏は不快感を露わにし「思想の転向というのは太議員のように北から南に来た方に典型的に当てはまる話ではないか」と切り返した。
さらに、「北では思想転向が明示的に強要されるかもしれないが、南側は思想と良心の自由が法的で無くとも(筆者注:憲法の思想と良心の自由は明記されていない)、社会政治的にそれを強要するものではない。太議員の質問は南側の民主主義に対する理解度が落ちるものだ」と強く反論した。
こうしたやり取りは、南北の知識人による衝突として非常に興味深くまた、両者の発言内容にも問題が多い。別途記事に取り上げる必要があるものだ。
本論に戻る。李仁栄氏をはじめ、当時の全大協の幹部たちの多くが政治の世界に入り、文在寅政権発足後には様々な要職を占めて世代(586と称される)としての全盛期を迎えている。文大統領の初代秘書室長を務めたイム・ジョンソク氏は全大協の3期議長であった。
日本では馴染みの薄い統一部について、ここで説明をしておきたい。
その役割は大統領令により「統一部は統一および南北対話・交流・協力・人道支援に関する政策の樹立、北朝鮮情勢の分析、統一教育・広報、その他の統一に関する事務を管掌する」と定められている。
簡単に言うと、北朝鮮との対話をはじめ、経済協力や人道支援、北朝鮮国内の人権問題改善、韓国内の脱北者の管理・支援など、北朝鮮に関わるあらゆる業務を行う部署だ。
この長官に李氏が就くことは、名実ともに韓国社会の中枢に位置する世代が、その世代を挙げて南北関係改善を強力に進めていくような動きを期待されていると見てよいだろう。
就任式を行わず業務に入った李長官は27日の初出勤時に、「大胆な変化を作らなければならず、戦略的な歩みを取る必要がある」と述べた。
続く28日には幹部たちとの会議で、「待つ姿勢ではなく、突き進むような積極的な姿勢で、より一歩機敏に動く雰囲気を共に作っていきたい」と意気込みを見せた。
●国家安保室長・徐薫…役割は?専門家に聞く
今回の重要ポスト刷新は、この二人だけではない。7月韓国の外交・安全保障のコントロールタワーとなる国家安保室長に、徐薫(ソ・フン、65歳)氏が就任している。徐氏は1980年から国家安全企画部(現国家情報院)一筋の叩き上げの人物で、2017年からは国家情報院長を務めていた人物だ。
南北関係に詳しい人ならば、徐薫−朴智元が並べばピンと来るものがある。2000年3月、シンガポールで同年6月の南北首脳会談に向けた南北の秘密会合が持たれたが、当時韓国の代表が朴智元氏で、国家情報院の実務担当が徐薫氏であった。徐氏は北朝鮮との交渉に熟達したプロと言える。
この3ポストの刷新を専門家はどう見るか。国策シンクタンク・統一研究院の趙漢凡(チョ・ハンボム)先任研究委員は29日、筆者の電話インタビューに対し「100%、南北関係の改善に向けたもの。それを実現する最適の人事」と評価した。
趙研究委員は昨今の北朝鮮側の動きについて、「北朝鮮は6月の南北連絡事務所爆破、7月の『再入北者』による新型コロナウイルス認識と、韓国に一貫して支援のメッセージを送ってきている」と分析する。
その上で「今回の人事はその北朝鮮側の期待に応える、南北関係改善に特化された人事だ。文在寅政権過去の3年半よりも積極的な動きがあるだろう」と見立てた。
趙氏はまた、こうした南北関係の改善が、米朝にも良い影響を及ぼすとし、以下のように述べた。
「今は重要な時期だ。韓国としては米国の大統領選挙の前に、何かの動きを作りたい。トランプ大統領の任期の内に米朝合意ができれば、もし民主党のバイデン候補が当選してもその合意は維持されるだろう。トランプ氏も不利な大統領選を挽回できる材料は選挙に何でも使いたいだろう。文在寅政権としても、バイデン新大統領の陣営が整う来年春までは待てない」
その上で、「北朝鮮の崔善姫(チェ・ソニ)副外相が言う『新たな枠組み』が作れれば米朝の対話は充分に可能だ。『寧辺(ニョンビョン)核施設の廃棄から始める』という原則に戻り、段階的な核廃棄と相応措置の交換に持ち込むべき。10月までに米朝首脳会談を」と主張した。
●「8月15日」に注目
文在寅大統領は29日に行われた任命式で、朴智元国家情報院長と李仁栄統一部長官に対し「詰まって止まっている南北関係を動かす使命が二人にある」と述べた。
見てきたように今回の人事は、韓国内の保守派野党が露骨に嫌がらせをしてくる程に、踏み込んだ人事であるという点が特徴だ。
筆者は過去、両者に1時間あまりインタビューを行ったことがある。朴智元氏はやはり老練で、金大中氏の右腕だったことから日本とのパイプ(自民党の二階幹事長と近い)も太く、大きな絵を描ける人物という印象だった。
一方の李仁栄氏は北朝鮮の金日成氏について、筆者と対話する間ずっと律儀に「金日成主席」と表現し続けるなど、真面目で民族主義的な傾向が強い人物という印象を持った。日本との独自の人脈もあるようだった。
前出の趙氏が韓国のイニシアティブを主張したが、これは伝統的な韓国進歩派の朝鮮半島政策である「包容政策」を踏襲するものだ。それは「北朝鮮を最もよく知り、北朝鮮と最も近い」という部分をテコに、朝鮮半島情勢の全体像を描き、各国プレイヤーたちをつなぎ合わせるというものである。
このためにもまず、南北関係の改善が望まれる。おのずと南北朝鮮における重要な記念日である8月15日の「光復節」に照準が定まる。文大統領の画期的な提案はもちろんの事、早期の特使派遣実現などがあり得る。
一方で、今回の人事は78歳の朴智元氏を引っ張り出してきたことから分かるように、「包容政策派」にとっては最後の挑戦であり、後が無い人事でもある。北朝鮮側の反応を含め、南北関係における時代の転換期になる可能性もあり、目が離せない。
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