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社長が交代した朝日新聞社の抱える苦悩と課題について同社を退社した南彰さんと話した

篠田博之月刊『創』編集長
朝日新聞社(写真:西村尚己/アフロ)

 2024年6月、朝日新聞社の社長が中村史郎氏から角田克氏に交代した。角田社長は社会部畑で、このところ社会部政権などとも言われる朝日新聞社の流れを象徴的する交代劇だったが、同社の社会部もモリカケ事件で新聞の意義を改めて認識させたようなあの権力監視のイメージと今はかなり異なっているという。

 部数減の中で、この何年か、社内管理が強化され、記者の退社も相次いでいる朝日新聞だが、いったい何が問題となっているのか。昨年、同社を退社して琉球新報に入社した南彰さんと話した。南さんはこの春、『絶望からの新聞論』(地平社)を上梓している。何に絶望し、今後、新聞ジャーナリズムの残された可能性はどこにあると考えるのか、聞いてみた。

 日本の新聞界が岐路に立たされている現状で、朝日新聞社はとても大事な局面を迎えていると思うので、本当のことを言うと南さんのような人こそ辞めないで内部に踏みとどまって同社を支えていってほしかったと今も思うのだが、個人の進退は本人が決めることだから仕方がない。

 今やるべきことをやらず現状を切り開けないなら、新聞は歴史的使命を終えてしまうのではないか――南さんの問題提起にはおおいに考えさせられる。

昨年7月に辞表提出、10月に退社

――南さんが朝日新聞社を辞めて琉球新報に入社したのが2023年11月ですから、もう半年以上経ったわけですね。今どういう仕事をされているのですか。

南 琉球新報では、暮らし報道グループの編集委員兼記者という肩書きですが、わりと自由にやらせてもらっています。沖縄に行ってすぐに南城市長からセクハラを受けたという相談を受け、疑惑を追及しているのですが、今、他にも複数の被害者が出てきて大きな山を迎えているところです。あとは戦後80年、沖縄戦80年に向けて「新しい戦前にさせない」ための企画をやっています。

 また、世論調査の数字では表すことのできない地域で暮らす住民の声を丁寧に示していくことを目指した企画「歩く民主主義 一〇〇の声」も始めています。

――朝日新聞社を辞めた経緯については4月に出した著書『絶望からの新聞論』に書いていますが、辞表を出したのは昨年7月10日でしたね。

南 7月10日は、2020年に「ジャーナリズム信頼回復のための提言」を現場の記者や研究者と各報道機関の幹部宛に出した日なのです。その提言は、朝日と産経の記者が関わっていた黒川元東京高検検事長の賭けマージャン問題をきっかけに、既存のビジネスモデルも崩れるなか、「権力とメディア」「メディアと市民」の関係をそれぞれ見直し、信頼とビジネスの一体改革を求めたものですが、その後も体質改善は見られなかったわけです。

 また、読売が公権力とも結びつきながら、業界内の独占的地位をめざした経営を進めているのに対して、対抗すべき朝日の経営陣が、デジタル化の流れの中でどうやってジャーナリズムを守っていくかという意識で、業界をリードする議論を展開できていない。例えばデジタル化の中でのプライバシーに関するルールをヤフーと読売が一緒に作るという動きがありますが、これは表示ルールを自分たちで有利に持っていこうという狙いですよね。そういう読売一強への動きに対して、朝日が対抗軸になりえていないどころか、「築地再開発」など読売主導のプロジェクトに組み込まれている。将来へ向けて、新しい軸を作っていく必要があるのではないか、そう感じたのです。

南彰さん(筆者撮影)
南彰さん(筆者撮影)

 朝日新聞にとっては2014年の慰安婦報道問題を機にしたバッシングを経て、経営者候補が一掃され、「朝日らしさ」を忌避し、統制を重視するメンバーが偉くなっていった。2014年問題のようなことを引き起こさないで会社を守るという危機管理意識ばかりが強くなってしまったわけですね。

 デジタル空間の中でリベラルを冷笑したり朝日を冷笑したりという言説が広がっている中で、デジタルでどうウケるかといったことばかり重視していくと、ますます自分たちの立ち位置を見失っていく。それが最近の「悩みのるつぼ」の件とか、ほかにも起きている問題に繋がっているんじゃないかという気がします。

「悩みのるつぼ」騒動と朝日新聞の抱える問題

――「悩みのるつぼ」の件というのは、土曜版の「be」に掲載している人生相談コーナーで、新たに回答者になった野沢直子さんが5月に書いた回答が炎上し、フォローしようとした朝日関係者のSNSがさらに火に油を注いでしまった話ですね。世界の戦争や混乱に絶望的になって夜も眠れない、という悩み相談に対して「最初に思ったことは、そんなに心配なさっているなら実際に戦場に出向いて最前線で戦ってくればいいのにな、ということです」といった回答の表現が冷笑主義だと反発を招いた。南さんはこの件については、どういう受け止め方ですか。

南 野沢直子さん個人には表現の自由があるわけですが、新聞社として出すには2つの問題点があったと思うんです。

 1つは社会問題を一生懸命考えて真剣に悩んでいる人に対して、「人間とはないものねだりな生き物で、あまり幸せだと『心配の種』が欲しくなってくる」などと小ばかにして、冷笑を助長したことです。

 もう一つは回答の中の「戦場に出向いて最前線で戦ってくればいい」というくだりですね。野沢さんとしては冗談として言ったつもりかもしれないけれど、朝日新聞は、戦場に行って戦うことを奨励するようなことをそのまま新聞紙面に載せてしまい、いまだに反省も示してないわけです。かつてアジア太平洋戦争の時に戦争を煽った新聞の戦争責任のもと、「二度と戦争のためにペンを取らない」という戦後の新聞人の原点を捨て去ってしまったのでしょうか。

 しかもbeの編集部がその部分をアンダーライン引いてSNSで事前に告知していた。何の問題意識も感じず、面白がっていた意識がうかがわれ、相当深刻なんだろうとは思います。

――この件では、40年間、朝日を購読してきたが、これでもうやめようと思う、といった声が吹き荒れ、前川喜平さんのようなリベラル派代表のような識者も、朝日の購読をやめようかと思ったと『週刊現代』で書いていました。

南 社内でもかなり深刻に受け止めている人が多かったようですね。現場からの反発もあったようです。ただ上層部は対外的に沈黙を貫いています。

――2014年問題の時の池上彰さんのコラムをめぐる騒動を思い出しました。あの時も朝日社内の現場から会社の方針への反発が噴き出したわけですね。

南 今回、野沢さんの記事を「すごい!」とSNSに投稿した朝日新聞ポッドキャストチーフパーソナリティの神田大介さんが後で釈明した時、池上コラム問題を引き合いに出して、表現の自由を守らないといけないと思って推奨したと言っていました。ただ池上コラム問題は、自社を批判する言説を経営の判断で弾いてしまったわけですね。自分たちに不都合な言説を排除した問題が問われたわけです。でも今回の場合は、冷笑主義にくみしないとか、戦争を煽らないといった、新聞社が大事にしてきたことをあっさり捨て去って、それも含めて表現の自由だと言っているわけですよね。逆に、表現の自由の重みを本当には理解してないんじゃないかと思えました。これでいくと、もうヘイト的な言説も表現の自由と言いかねないんじゃいかと思いますよね。

『絶望からの新聞論』(筆者撮影)
『絶望からの新聞論』(筆者撮影)

朝日新聞がなくなってよいとは全く思っていない

――南さんは朝日新聞を辞めるにあたって、7月の辞表提出の時には経営陣に対して、10月に退社する時には社員も含めて自分の思いをメッセージとして発しました。辞めるにあたっては、自分が考えた朝日新聞の問題点をきちんと提示しようと考えたわけですね。

南 そうですね。今の朝日新聞を、僕はなくなっていいとは全く思っていないのです。現状において朝日という軸がなくなった時は、言論状況における相当なマイナスが生じると思っています。だからこそ、まだ再生可能なうちに、しかもそういう意識を持っている社員がいて、多くの読者がいる間に立て直しを図るべきだと思っているのです。

 そこで、自分なりにこの間思ってきたことを伝えた方がいいんじゃないかということで、メールをしたわけです。

――それに対して会社側からは今のところ反応がないわけですね。

南 「絶望」を生み出した中村史郎社長(現会長)と角田克専務(現社長)からはないですね。社員からはメールだけで60通ぐらいありました。やっぱりみんな忸怩たる思いを抱えているけれど、もう少し中でやれることがないか頑張ってみたいというのが大方の反応でした。もう一歩踏み込んで、自分もこの先のことを考えたいという声もありましたが。

――南さんは政治部にいた時に新聞労連委員長になって、再び政治部に戻る時に『政治部不信』という著書を出し、その後コンテンツ編成本部に異動になったわけですが、その人事をめぐっては会社側との軋轢のようなものはなかったのですか?

南 幹部の間では様々な意見があったと思います。現場の記者からデスクに引き上げるという形だったし、デジタルシフトの中核となる部署を経験させるということでした。

 確かに直接自分が書く立場ではなくなったので、記者職から外されたと主張しようと思えばできなくはないんですけど、でも実際には編集局長室とのやり取りなども見られる立場になったので、会社の状況がよくわかりました。コンテンツ編成本部での1年間の経験は良かったと思います。

 ちなみに、『政治部不信』については、政治部長も自席の後ろに置いてましたし、「書いてあることはそのとおりだよな」と言ってくれていました。

 政治部は理解があったと思うんです。「ジャーナリズム信頼回復のための提言」などを主張したことを快く思っていなかったのは別のグループでしょう。今の朝日新聞社は社会部政権ですから。

――一般的に言うと社会部は権力追及の急先鋒で、政治部は権力に食い込んでいるから癒着というイメージですが、そんな単純ではない、と。

南 東京新聞社会部の望月衣塑子さんとも議論になったりしますが、それは結構誤った認識だと思います。社会部の警察や検察の記者クラブにおける取材対象との関係は根深いものがあります。

 例えば、伊藤詩織さんが最初に会見をした時に、政治部のデスクが「これは報道すべきだ」と指摘したのに対し、社会部はデスクの総意として記事化を阻止しました。そして、捜査に手心を加えた疑惑を持たれている中村格氏が警察庁長官に就任した時には「ひと」欄に取り上げています。昔から捜査当局と一体化する記者はいましたが、検察が「最強の野党」だった時は、それでも「権力追及の急先鋒」に映ったでしょう。しかし、官邸と司法の一体化が危惧される状況の中では極めて危険です。自民党の裏金問題も検察の捜査に合わせて報道が盛り上がりましたが、もう一度しっかり検証すべきだと思います。

 全体としては、新聞社が縮小を迫られるなかで、社会部では平和・人権・市民運動などに向き合う記者をより多く減らしているため、新聞社の良さが削られ、悪い部分が目立つようになってしまっていると思います。

管理強化で現状を乗り切ろうとする危うさ

――先ほど、朝日新聞社で危機管理が強くなったという話がありましたが、この1~2年、社外活動に対する規制の強化などかなり締め付けが厳しくなっていると言われてますね。

南 昨年、朝日の記者の三浦英之さんが朝日の社内事情で記事にできなかった取材成果を集英社から『太陽の子』という本で出版し、新潮ドキュメント賞を受賞したという話がありましたが、今後はそういうことはもう絶対できなくなるでしょうね。

――行き過ぎた締め付けは現場の活力を削いでしまって、メリットがないように思えますが。

南 明らかに活力を削いでいますよね。確かに朝日は以前から、どこかに自由な気風を残しつつも厳然たる官僚制というのがあったことはあったし、その両輪によってあれだけの大企業を成り立たせてきたという面もあると思うんですけど、組織をスリム化していかなくちゃいけないという局面で、朝日にとって大切な価値を持つ部分から削っていく形になっちゃっている気がしますね。

『絶望からの新聞論』では、初めのところに「新聞の正しいたたみ方、いや、正しい残し方」と書きましたけど、基本的には今までのような巨大な組織を維持し続けることはできないという前提のもとで、何を改め、何を残すのかを提示したつもりです。

新聞界は今後、どこに活路を見出すのか

――新聞社をめぐる環境が激変するなかで、そういう新聞のあり方を考えたうえで南さんは琉球新報に移られたわけですが、さてこれからそこで何ができるかですね。

南 デジタル化の中では、トヨタ自動車がオウンドメディア「トヨタイムズ」を立ち上げたり、巨大プラットフォーマーのアルゴリズムに情報の流通が支配されたりと、強者の論理が強く働く情報空間になっています。

 そして、既存のビジネス基盤が崩れた全国紙は地域から次々と撤退し、残念ながら中央目線で「消費するニュース」に傾きつつあります。

 そうした中で、琉球新報の幹部たちが口をそろえて語りかけてきた言葉は、新聞人の原点に忠実でした。

「私たちの前には読者がいる」

「市民の小さな声をすくい上げる役割を背負っている」

「沖縄を二度と戦場にしない」

 ライバル紙の沖縄タイムスとともに、米軍や日米両政府という巨大な権力と対峙してきた歴史に裏打ちされたメッセージです。

 琉球新報に移った理由の一つは地域を大事にしているところです。全国紙が地域から撤退しつつあるのは、人々の一番身近な民主主義を切り捨てていることだと思うんです。まずは地域を大事にして草の根から民主主義を立て直していく。さらに、地方紙のネットワークを広げ、調査報道を一生懸命やっていたり、ジェンダー報道に長けた独立系のネットメディアとも連携していく。そのようにして、新たなニュースの生態系というか、ネットワーク型で、読売とは違う言説の空間をどう維持していくかというのが大事になってくると思います。

 例えばSlowNews(スローニュース)というネットメディアで、元北海道新聞の高田昌幸さんが中心となって、沖縄の国会議員が選挙直前に特定寄付を10年間で2000万円ぐらい受け取っていたと調査報道をした。その報道を受け、スローニュースと琉球新報が連携してもう一歩深掘りする報道をしました。そういう形の連携で実績を積み上げていく中で、新しい形が見えてくるのかなと思っています。

 朝日を辞めた理由のひとつに、地域を切り捨てて、昔だったらこういうことをフォローしてくれたのに今は書いてくれる新聞がないんだという声が、かつて担当した地域の人から相当寄せられていたという話があるんです。

 地方紙自体ももちろん地方権力との関係性とかいろいろ課題はあると思いますし、そこのあり方も自分たち自身で見直していかないといけないとは思うんです。ただ、今考えられる、より現実的な方法としては、地方紙同士が組んで、読売とは違う日本の言論の軸を保っていく。公権力や強いものの情報を代弁する言論と一線を画した軸を作っていくことが大事かなと思います。その時に大切な要素が、過去の新聞の戦争責任の原罪を意識し、「二度と戦争のためにペンを持たない」という原点をどこまでしっかり持てるかということだと思います。

――なかなか大変な仕事だなという気はしますが、南さんとしては今後、そういう方向へ向かってやっていきたいと。

南 そうですね、それができないんだったら、新聞社は歴史的使命を終えてしまうんじゃないでしょうか。

※記事中に出てきた「なやみのるつぼ」騒動に続いて最近は蓮舫さんと同紙記者のやりとりが話題になっている。これについては森達也さんが月刊『創』(つくる)9月号で論評している。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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